さて今回は、一昨年までの連載で取り上げてきた社会的連帯経済が、右と左のどちらに属するのかについて考えてみたいと思います。
意外に思われるかもしれませんが、どの勢力が右翼でどの勢力が左翼かは、時代や国により異なっています。たとえばフランス革命直後は、できるだけ穏健かつゆっくり社会改革を進めようとするジロンド派が右派である一方、革命前の貴族やカトリック教会による支配に反対し、市民社会による統治を徹底しようと考えたジャコバン派が左派でしたが、ジャコバン派には経済的自由主義者や資本主義者という、今日では右派とみなされる人たちも含まれていました。また、王政の国では共和派は、王室関係者などの既得権益層に立ち向かう左派とみなされる一方で(私の住むスペインがその典型例)、共和制の国では共和派は、共和国という国家制度を守る右派的な行動を取る傾向があります(米国やフランスの共和党がその典型例)。このような前置きを踏まえたうえで、専ら経済的な面における左右について、今回は探ってゆきたいと思います。
一般的に経済面では、アダム・スミス的な自由競争を追求する人たちが右派、そうではなく政府を介した富の再配分を重視する勢力が左派とみなされます。経済は、そもそも人間が必要とする商品やサービスを提供する活動であるため、これらについて政府が介入すべきではないというのが右派の伝統的な立場です。そして、計画経済を重視していたソ連など共産主義諸国が経済破綻したり、中国が改革開放経済という事実上の資本主義経済体制を導入したりしたことで、この立場はさらに強化されることになります。
とはいえ、右派が絶対的に正しいわけではありません。自由放任経済が際限なく実施された場合、どうしても貧富の格差が拡大します。貧富の差が極端に拡大した社会では治安が悪化し、貧乏人はもちろんなこと、金持ちも安心して生活を送れなくなります(途上国など)。そのような状況では社会的連帯経済は、貧富の格差を縮小し、より公平な社会を作るための手段として主に左派が興味を示す傾向にあります。逆に、国営企業中心の社会主義により、貧富の格差はないもののあまり起業家が生まれず経済が停滞している国では、そのような国営企業では実現しにくい新規事業の起業手段として社会的連帯経済を選ぶ人が出てくるため、どちらかというと右派的な色彩を帯びることになります。
この定義から、協同組合の7原則(日本語訳はこちらのサイトより)を読み直すと、協同組合が左右どちらと簡単に定義できるものではないことがわかります。ちょっと具体的に見てみることにしましょう。
まず、「第1原則 自発的で開かれた組合員制」や「第2原則 組合員による民主的管理」、そして「第4原則 自治と自立」の場合、一般的には国営企業の従業員となるしかない共産主義国(左翼国家)においては、そのような国家と関係なく自分たちで結成や運営が可能な労働者協同組合は右派的になる一方(参考: キューバの協同組合)、資本主義企業の下で低賃金長時間労働に耐えるしかない国では、同じ労働者協同組合が左派的な側面を帯びることになります。「第3原則 組合員の経済的参加」も、一株一票という資本主義企業の観点からすると左派的ですが、基本的に利益は全て国のものとなる国営企業が一般的な社会主義国家からすると、利益を自分たち組合でとどめておくことのできる協同組合は右派的だと言えます。「第6原則 協同組合間協同」や「第7原則 コミュニティへの関与」は、自分たちの狭い利益を超えて協力してゆくという意味では左派的に聞こえますが、企業の社会的責任(CSR)という表現がかなり広く使われるようになった現在では、資本主義側としても無視することはできません。
NPOや財団といった非営利団体については、その性格上利益(=出資者への配当)を出すことができないという点では左派的に見えますが、その一方でいくら余剰金が出ても、それを従業員に配分する義務がないという点では右派的とも言えます。ただ、NPOや財団の場合、そういった細かい点よりも、それらの活動目的で左右を判断することになります。
また、農協についても、左右両方が存在することになります。基本的に自作農家が集まって生まれた農協(日本はこのタイプ)は、いかにして自分たちの農産物の商品価値を高めたうえで最大の利益を得るかという点に焦点が当てられることから、どちらかというと右派的な性格の経営を行う事例が多くなる一方、ブラジルの土地なし農民運動やスペインのマリナレーダのように、社会運動の成果として大地主が所有していた農地を獲得した事例から生まれた協同組合の場合、社会運動の性質を残したまま協同組合の経営を行うことから、必然的に左派的になります。
スペイン・マリナレーダを紹介した動画(英語字幕付き)
その一方、連帯経済の場合、さまざまな社会運動と結びついた形で経済活動が実践されるため、一般的に左派的であるとみなされます。たとえばフェアトレードは、それまで資本主義的=弱肉強食的な形で、具体的には交渉力の高い仲買人がコーヒーの豆を買い叩いて利益を確保する一方、山間部に住む生産農家にほとんど利益が回らず、彼らが貧しい生活を余儀なくされていた現状への代替案として成立したもので、貧富の差を縮めることから左派的であるといえます。社会的企業は、経済的弱者向けに雇用や商品・サービスを提供することにより彼らの生活水準を高めることを目的にしていることから、やはり左派的といえます。
しかし、当然ながらこれらの例にも例外はあります。社会的企業と間違えられやすい社会的起業家の場合、社会的ということをウリに普通のビジネスを行いますが、これらの事業の中には、必ずしも富の再配分的な性格がないものもあります。たとえばマイクロクレジット自体は確かに貧困層が融資を受ける貴重な機会を提供するものではありますが、そのビジネスモデルを振り返ると富を再配分的しているというよりも、貧困層からの融資で利益を出す構造となっており、その融資を受けて貧困層がかなりビジネスをヒットさせない限り、借金に苦しめ続けられることにもなりかねません。
個人的には、特に協同組合には、左右どちらかに偏った経済のバランスを取るための調整弁としての機能があるのではないか、という気がします。こちらの回で経済における陰陽の特徴について説明しましたが、右派はこの中でも陽的(中央集権、階層社会、競争、技術支配など)な要素が強い一方、左派は陰的(相互信頼、平等社会、協力、対人関係支配)が強くなります。極端に右派が強い社会は生き馬の目を抜くような競争社会になるため、消費者としては最高品質の商品やサービスを格安価格で手にすることができる一方、弱肉強食的かつギスギスした世の中になり、労働者も経営者も枕を高くして眠ることができなくなります。逆に左派が強い社会では、労働者の権利などは守られる一方、なあなあの甘えが生まれて技術革新が進まず、経済活動が停滞することになります。このことから、左右のどちらが絶対的に正しいというものではなく、その場の状況に応じてバランスを取ることが大切だと言えます。
また、この点では、資本主義でも共産主義でもない経済(参考記事)という、社会的連帯経済の独自性に注目する必要があります。資本主義と共産主義は一般的に正反対の経済体制と思われる傾向にありますが、現場で働く労働者が経営に関わる権利がないという点では違いがなく、経営者は株主や国家の意向に従って経営を行わなければなりませんが、協同組合など社会的連帯経済の事例の中には現場労働者が運営に関われる例が数多く存在し、資本主義からも共産主義からも自立した運営ができる点が、社会的連帯経済の魅力なのです(以前の記事は、資本主義優位の現代社会から見ると社会的連帯経済が陰的に見えるという意味で書いていましたが、社会主義優位の社会からすれば陽的に見えることでしょう)。
以上、一般的に左派とみなされがちな社会的連帯経済について、今回は考察してみました。ご参考になれば幸いです。