さて今回は、ある意味で経済における根本的な問いかけをしたいと思います。私たちは資本主義という単語をよく使う割には、その本来の意味を踏まえていないことが少なくありません。ですので今回は、資本主義が何か再定義したうえで、その構造上の問題を検討してみることにしましょう。

 よく資本主義を単なる金儲けと誤解する人がいますが、これは違います。確かにアリストテレスが「政治学」で家庭の経営(現在でいうところの経済学・家政学)と金儲けの技術(現在でいうところの経営学・商学)を区別していることからわかるように、人類は古代から金儲けに興味を持っていましたが、金儲け自体は資本主義的なものではありません。たとえば、温泉地にある家族経営のペンションが人気になりお客さんが殺到するようになったとしましょう。以前だったら1泊1万円だった部屋がすぐに満室になるようになると、この家族は強気になって料金を1万5000円や2万円に引き上げますが、これは資本主義ではありません。なぜかというと、あくまでもこの家族は自営業としてこのペンションを運営しており、その利益を誰か別の人に配当するわけではないためです。同じ理屈で、プロ野球やサッカーの選手が何億円、人によっては何十億円という年棒をもらっても、これはあくまでもスポーツ選手としての自分の能力を市場価格で販売しているだけで、誰かにこの年棒の一部を配当しているわけではありません(プロの交渉人に支払う費用は、あくまでもスポーツジムの使用料と同じく経費)。

アリストテレス像(出典: Wikipedia)

アリストテレス像(出典: Wikipedia)

 また、誰かに雇われて働くこと自体も、資本主義ではありません。実際、警官や市役所職員などの公務員の場合には、その雇い主である行政は当然ながら資本主義企業ではないため、この雇用形態は資本主義ではありません。民間企業の場合においても、たとえば手取り月15万円の給料で週40時間駐車場の管理人をすることになった場合、この人は週40時間の労働を提供するかわりに月15万円の給料をもらうことになります(雇い主から見た場合、これに税金や社会保険料などの諸経費が付け加わります)。この場合、雇い主からはあくまでも駐車場の運営という事業に必要な人材を雇っているため、この管理人の給料は基本的に月15万円で固定されます。駐車場を利用する人がほとんどいなくて赤字になろうが、逆に駐車場が常に満車状態であろうが、週40時間の勤務体制である限り、彼の給料には関係ないのです。

 資本主義が何かを理解するには、株式会社の構造を忘れるわけにはいきません。所有と経営の分離という表現が意味するように、株式会社ではその会社の所有者=株主と経営者が別々になっていることが多く、経営上のミス(たとえば重大な法令違反)があった場合、経営者が最終的に責任を取ることになります。しかし、株主は有限責任で、事業で利益が出れば配当金をもらったり、上場株の場合には株価が上がることによる利益を得たりする一方、株を持つ会社が殺人や贈収賄などの犯罪に関わっても、株主まで刑事上の責任が及ぶことはなく、最悪の場合でも企業が倒産した際に株価が無価値になる以上の損害を負うことはありません。このため、基本的に資本主義とは、このような株主の金銭的利益を最大化するために会社が事業を運営することを指すわけです。オーナー企業でない限り、社長といえども株主から指名された従業員でしかない点に注目する必要があるでしょう。

 このように考えると、私たちが通常資本主義と呼んでいる経済制度は、実は自由競争を認めた市場経済であることがよくわかります。資本主義と市場経済との違いについて、もうちょっと考えてみましょう。

 旧ソ連などで実践されていた社会主義経済は、資本主義の対極にあるように思われることが多いですが、実際には政府が株主であるという特徴を持った資本主義です。政府は一般株主ほど利益追求に躍起にならないかもしれませんが、一般の資本主義企業と公営企業の間では、利益が出てもそれが必ずしも労働者に還元されるわけではない点が共通しています。違いとしては、資本主義は通常市場経済に基づく一方、社会主義は政府による計画経済である点です。それに対し、労働者自身が資本家である労働者協同組合の場合は、政府の意図と関係なく自由に経済活動が展開できる点では資本主義や市場経済と共通する一方、組合で剰余金が出ればそれを組合員に配分する点では、資本主義とも社会主義とも異なっているのです。

 自由競争型市場経済の長所としては、あくまでも利益の最大化のために競争が促されるため、特に消費者にとっては安価かつ良質のサービスが受けられるようになるというメリットがあります。また、野球やサッカーなどのプロスポーツの世界では、能力の高い選手はより高給を出してくれるチームに移籍することが一般的ですが、特に欧米においては、優秀な人材を高給で引き抜く企業がたくさんあり、そういう意味では有能な労働者にとっては労働市場においてその才能が正当に評価される制度だと言えます。

 しかし、市場経済であっても自由競争が実現できない分野があり、そこでは企業は、最大限の利益を手に入れるべく暴利をむさぼります。たとえば、遊園地や野球場という私有地の中では、いくらお客さんが入る場所であっても、その施設を所有する企業の許可を得ずに他社が進出して飲食店を出すわけにはいかないため、たとえば街中なら1杯500円の生ビールが、野球場の中では700円とか800円という価格設定になっているケースも珍しくありません。1杯500円で1000人に売っても50万円の売上にしかなりませんが、1杯700円に値上げして、多少お客の数が減っても800人が買ってくれ56万円の売上になったほうが、はるかによいのです。また、関東と関西の間の移動の場合、飛行機やバスなどの代替交通手段も一応あるものの、今では民間企業となったJR東海が運営する東海道新幹線での移動が一般的で、放っておいても乗客が殺到する一方、新幹線に勝る移動手段を自前の体力で提供できる企業はなく(実際にはJR東海自身が中央新幹線を建設し始めていますが)、この市場への参入には障壁があるため、割引切符はそれほど発売しません(同じJRでも、飛行機やバスなどとの競争が激しい路線では、割引切符を積極的に発売する場合があります)。

 また、市場経済では儲かる分野には企業や個人が続々と参入しますが、利益が出ない事業の場合、それがどれだけ社会的に意義のあるものであっても参入が起きず、また赤字になると撤退してしまいます。過疎地では鉄道のみならずバスも撤退し、高齢者を中心に交通難民が出ている問題がありますが、これは市場経済だけでは解決できません(コミュニティバスという形で行政が安価なバスサービスを提供する例もありますが)。最近欧米の大都市では、投機の関係もあり家賃が急騰しており、中心街から遠く離れた場所に住んで長時間通勤を迫られたり、ホームレスになったりする人も少なくありませんが、市場経済の論理に任せていては住宅難の問題は解決しません。水道事業が民営化されると水道代を支払えない家庭への水の供給がストップしてしまいますが、そうすると水を飲めなくなった人は生きるか死ぬかの問題に直面することになります。実際、水道の民営化によって水道代が数倍に上がった南米ボリビアでは、国がマヒするほどの大規模なデモが発生し、水道の再公営化が行われたほどです。

 また、意外と知られていない、資本主義による問題をもう一つ紹介したいと思います。経済においてお金は、人体における血液のようなもので、経済がちゃんと機能するためには社会全体全体にお金がまんべんなく流通する必要がありますが、現在の経済ではお金の大半が、資本主義企業である民間銀行の融資という形で発行されており、常に社会全体の債務のほうが通貨流通量を上回る状態、端的にいうなら子どものときに遊んだ椅子取りゲーム同様、不十分な量のお金をめぐって熾烈な戦いを迫られているのです(詳細はこちらで)。

 このような状況を受けて、上記のリンク先で紹介したポジティブ・マネーが中央銀行や通貨管理委員会による通貨発行制度に戻すことを提案しています。この提案にはさまざまな賛同者がおり、たとえばスペイン銀行(スペインの中央銀行で、現在では欧州中央銀行スペイン支店的な存在)のミゲル・アンヘル・フェルナンデス・オルドニェス前総裁は、中央銀行が直接発行する通貨制度を支持する発言を、同国国会で行っています。その他、英国やオランダ、アイスランドなどの国でこのような提案への関心が広がっています(アイスランド政府がまとめた英語の報告書については日本語訳が出てますので、ご参考になるかと思います)。


動画: 中央銀行が直接発行する通貨制度についてのスペイン銀行前総裁の国会発言(日本語字幕付き)

 私の立場は、資本主義を完全に否定するわけではない一方、民間企業による資本主義だけではうまく回らない部分も多いので、そういう部分については行政や協同組合、NPOや財団など多様な担い手が担うべきだというものです(民間資本主義でも公営企業でもない社会的連帯経済の定義についてはこちらを参照。また、各分野の役割分担についてはこちらを参照)。もちろん、具体的にどの部門において資本主義企業が、どの分野で公営企業が、そしてどの分野でNPOや協同組合など社会的連帯経済の団体が適しているかという点については絶対的な回答はありませんが、個人的には全て資本主義企業に任せるべきだという新自由主義的な考え方を離れて、より広い視野で経済について考えることが大切だと思います。