パラダイムシフト──社会や経済を考え直す

第62回

ツイッターとウィキペディアの違い
──ネット上の重要サイトの運営から社会的連帯経済の意義を考える

 世界にはいろんな国があり、その中には民主主義が機能している国もあればそうでない国もありますが、基本的に民主主義がうまく行っている国は賞賛される一方、民主主義が機能していない国に対しては批判が向けられる傾向にあります。しかし、経済活動の運営においては必ずしもそうではありません。今回は、インターネット上の重要サイトでありながら、その運営方式が正反対のツイッターウィキペディアを比べた上で、社会的連帯経済の意義について考えてみたいと思います。

 ツイッターはジャック・ドーシーらにより2006年に創設されましたが、ご存知の通り2022年10月に大富豪イーロン・マスクにより買収され、彼自身が同社のCEOに就任して彼好みの経営を行っています(ユーザー投票では彼の解任を支持する声の方が多かったものの、この原稿を作成している2023年1月4日現在では彼はまだ辞任していない)。それに対しウィキペディアは、米国フロリダ州に本拠地を置くウィキメディア財団が保有しており、同財団がインフラの維持を担当する一方、サイト自体の運営は世界各地にいるボランティアにより任されています。これにより、両サイトの運営形態はかなり異なるものになっていますが、それについてちょっと見てみることにしましょう。

ツイッター本社の画像
(米国カリフォルニア州サンフランシスコ市内、出典: ウィキメディア)ツイッター本社の画像
(米国カリフォルニア州サンフランシスコ市内、出典: ウィキメディア)

 資本主義企業での最高意思決定機関は株主総会ですが、そこでは1株1票となっているので、その会社の発行済み株式のうち過半数を買ってしまえば、その他の株主たちの意見を完全に無視して自分の好きな経営を行うことができるようになります。株主総数が1000人だろうが10万人だろうが、彼ら全員よりも多くの株を持っていれば、残りの株主たちが何と言おうが関係ないのです。このため、実質上その会社を個人の所有物として扱うことができます。基本的にその会社の従業員をいくら解雇しようが、その会社の利益を何に使おうが勝手なのです(もちろん、法律に違反することを行った場合には、それぞれの法律により処分されますが)。

 また、このような状況で大株主自身が最高経営責任者(CEO)になった場合、誰もそのCEOを解任することができなくなります。普通の資本主義企業の場合、さまざまな株主が集まって過半数の票を確保できればCEOを解任できますが、特定の株主が過半数の株を持つ場合、基本的に自分自身の解任に賛成する人はいませんから、いくら株主が抵抗しても無駄です。政治の世界では、首相や大統領が無茶な政治を行った場合、内閣不信任や弾劾などの手段で解任することができますが、自身がCEOとなった大株主の場合、死亡や病気などで本人が活動できなくなるか、本人が辞任しない限り、誰も解任できないのです。前述した通り、ツイッターの場合にはイーロン・マスク本人が進退に関するユーザーの投票を受け付けましたが、この投票結果はいかなる法的拘束力をも持ちません。

 その一方で、この株主が別の人物をCEOに指名した場合、このCEOの生殺与奪権をこの株主が握ることになります。個人的な理由でこの大株主がCEOを気に入っていれば、従業員やその他の株主たちがどれだけこのCEOを批判しても大株主から守ってもらえる一方、どんなにこのCEOが従業員やその他の株主たちから愛されていても、何らかの理由でこの大株主の機嫌を損ねただけでクビになりかねないのです。

 このような状況では、株主による企業経営の監査は実質上不可能になります。もちろん知る権利や配当金を受け取る権利など、株主としての権利はその他の株主にも(もちろん持ち株数に応じて)平等に保証されていますが、最終的な意思決定権が事実上ないため、例えばその他の株主たちが現在の経営方針にいくら不満を持っても、前述の大株主という一個人が同意しない限り、株主総会を通じてその意見を反映させることはできません。もちろん違法行為が行われた場合、その会社のある国の当局により検査や査察などが行われて罰せられることになりますが、少なくともこれら中小株主たちは、その違法行為をやめさせる権限を持たないのです。彼らにとっての抗議手段は、その会社の株を売りに出して株価を下げることぐらいですが、大株主がそれを気にするかどうかは場合によりけりです。

 個人的に不思議に思うのは、世界各地の独裁政権を批判する人の中に、そのような形で大株主としての特権を行使するイーロン・マスクに対しては無批判な人が少なくない点です。過半数の株を保有すれば誰からも干渉されずに自分の好きな経営を行うことができますが、これはまさに、このような人が何よりも嫌う独裁政治でしかありません。国家の独裁統治は嫌だけど企業の独裁統治はOKどころか歓迎というあたり、私としては矛盾を感じざるを得ません。

 その一方でウィキペディアの場合、当初は別形態の法人格で運営されていましたが、2003年6月にウィキメディア財団が発足して以来、この財団に属するプロジェクトとして運営が続いています。このプロジェクトの場合、幸いにも各種団体や利用者などから維持費用をカバーできるだけの寄付が集まり(ウィキペディアの常連であれば、寄付を呼び掛けるメッセージが時折同サイト上で表示されることはご存知でしょう)、広告を出すことなく同サイトの運営が現在まで続いています。なお、ウィキメディア財団ではウィキペディアのみならず、ウィクショナリー(ウィキで作成される国語・外国語辞書)やウィキボイッジ(旧称ウィキトラベル、同じくウィキで作成される旅行ガイド)なども運営しており、これらの分野でも知を万人に共有するプラットフォームとして幅広く受け入れられています。

ウィキメディア財団の職員らの記念撮影(2019年1月、出典: ウィキメディア)ウィキメディア財団の職員らの記念撮影(2019年1月、出典: ウィキメディア)

 また、日本国内の財団の場合、基本的に日頃の運営について意思決定を行うのは、資本主義企業における取締役会に相当する理事会です。確かに、代表取締役社長に相当する役職として代表理事(一般的には理事長と呼ばれることが多い)も存在しますが、理事会が代表理事の解任権を持っているため、基本的に無茶を行うことはできません。また、理事自体も、株主総会に相当する評議員会が選出することになっており、評議員会により代表理事が解任される可能性もあります。このため、二重のチェックが働いていると言えます(もちろんチェックが働いていない財団法人もあるでしょうが)。

 しかし、ウィキペディアの運営において何よりも注目すべきことは、今や326言語で約5868万記事(2022年5月1日現在)を抱える巨大サイトとなった同サイトの運営を、同財団が直接行うのではなく、ボランティアに任せている点です。ウィキペディアの場合は最初から非営利性を明確に打ち出しており(もちろん運営に必要な従業員については普通の財団同様雇っており、2021年10月現在で約700名いる)、当初は創設者のジミー・ウェールズがある程度影響力を行使していましたが、2006年に同財団の理事長を退いて名誉理事長になって以降は、日本の会社の会長のようにご意見番の役割を果たすだけにとどまっており、細かい運営に対して口出しすることは基本的にありません。そうではなく、各言語版に管理者がいて、その管理者のもとでボランティアが集まってサイトの運営方針についていろいろ相談してゆく体制を保証しています。財団はあくまでもハードウェアの維持や財務など裏方に徹し、サイトそのものの運営は利用者に任せるというスタイルが確立しているのです。

 ウィキペディアには記事の間違いや編集合戦などさまざまな問題がありますが、それでも今では、普通の百科事典をしのぐ存在として数多くの人たちに活用されるようになったことは、誰も否定できないものと思われます。百科事典を編纂するには何年もの時間がかかり、完成する頃には世界情勢が大きく変動して記事の内容が古くなっていることも少なくありませんが、ウィキペディアでは最新の情報にも敏感に対応し、記事が更新される傾向にあります。また、日本語で情報がない場合にも、英語など外国語で検索すれば詳細情報が出てくる場合も少なくありません。もはや一般の百科事典を超えるほどにまでウィキペディアが成長してきた背景には、知の共有という高邁な目的のみならず、あくまでも非営利事業としてこの目的の達成に取り組んでいる同財団やボランティアの真摯な取り組み、さらにはそのような運営方針への共感があると言えるでしょう。

 また、社会的連帯経済の観点から見た場合、ウィキペディアは単に財団という法人形態により社会的経済の最低限の要件を満たしているだけではなく、ボランティアによる運営を積極的に推進することにより、通常の財団以上の水準の民主的運営を達成していると言えます。あくまでも法的には、理事会や評議員会を通じた運営が保証されていれば問題がなく、同サイトの一般ユーザーに管理権限を与える必要はないのですが、ウィキペディアでは積極的にユーザーに権限委譲を行うことで、同サイトの社会的意義を理解した一般市民らによる民主的な運営が実現できているのです。この点で、イーロン・マスクという一個人の鶴の声によってサイト方針がどうにでも変更されてしまうツイッターとは、根本的に大きな違いがあるといえます。

 もはやインターネットは、私たちの生活において欠かせない存在になりましたが、特にかなり民主的な形となっているウィキペディアの運営方針から、今後の私たちの社会の運営のヒントが学べるのではないでしょうか。

コラムニスト
廣田 裕之
1976年福岡県生まれ。法政大学連帯社会インスティテュート連携教員。1999年より地域通貨(補完通貨)に関する研究や推進活動に携わっており、その関連から社会的連帯経済についても2003年以降関わり続ける。スペイン・バレンシア大学の社会的経済修士課程および博士課程修了。著書「地域通貨入門-持続可能な社会を目指して」(アルテ、2011(改訂版))、「シルビオ・ゲゼル入門──減価する貨幣とは何か」(アルテ、2009)、「社会的連帯経済入門──みんなが幸せに生活できる経済システムとは」(集広舎、2016)など。
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