廣田裕之の社会的連帯経済ウォッチ

第74回

社会的連帯経済の発展のための文化的基盤づくり──「武士道」から「被抑圧者の教育学」へ

 前回(第73回)の記事では、政治家や行政への働きかけ、または地域内でのネットワークづくりなどを通じた、日本における社会的連帯経済の発展の可能性について検討しました。このような他者に働きかける運動と同じく、いや場合によってはそれ以上に重要なのが、社会的連帯経済にふさわしい文化や価値観を私たち自身が持つことですが、日本ではこの点において、伝統的とされる文化や価値観が邪魔する場合が少なくありません。今回の記事では主に、そのような日本的な価値観を代表するとされる「武士道」(新渡戸稲造著、初版刊行1899年)などを批判的に読むことにより、社会的連帯経済が自然に発展するような土壌を日本で培うにはどのような文化的変革が必要なのかについて考えてみたいと思います。

「武士道」の著者の新渡戸稲造(1862~1933)

◀「武士道」の著者の新渡戸稲造(1862~1933)

 当然といえば当然ですが、「武士道」はもともと日本人全員が共有する価値観ではありませんでした。奈良時代から平安時代初期にかけて、皇族や貴族(特に藤原氏)の子孫の中で朝廷の公職にありつけなかった人たちが地方に下り、京都の中央政府が派遣した現地長官を軍事的に助ける役割を担い始めるようになったのが、武士の始まりです。高貴な家柄だったこともありこれら武士は、当時にしては非常に高い教育水準を持っており、貴人としての文化水準を保ちつつ、軍事的に必要な鍛錬を積むようになりました。戦国時代の下剋上により、天皇や貴族を先祖に持たない人たちの中で武士となり、武士としての文化を身につける人も増えましたが、それでも江戸時代において武士階級に属していたのは当時の日本の総人口の10%未満であると推定されています(1874年1月の調査では士族の割合は総人口の5.6%で、その後減少)。つまり、武士が実際に存在していた時期の日本でさえ、圧倒的大部分の人たちは武士ではなかったのです。

 明治維新になり、社会階層としての武士はいなくなりますが、その価値観は消え去るどころか、日本における社会秩序を構成する重要な要素として、学校教育などを通じてむしろ士族以外の階級にも広まることになりました。このような状況の中で、米国留学経験を持ち英語に堪能で欧米知識人との交流も深かった新渡戸稲造が、ベルギー人の友人から「日本には宗教教育がないのになぜ道徳教育ができているのか」という質問を受けた際に即答できなかったものの、その答えを「武士道」に見出し、欧米人向けに英語で著したのがこの本です。

 まず新渡戸は、日本の武士道の基盤に、死を含む運命を平静に受け入れる仏教文化に加え、主君や先祖、そして自然を神として敬う神道文化があり、特に神道により日本という国のアイデンティティが構築されていると説きます。ユダヤ教・キリスト教の聖書やイスラム教のコーラン、そして仏教の経典に相当する文書は神道には存在せず、むしろ感性を通じて君主や愛国心が育まれていると説明しています。さらに、中国から伝来した儒教でも、臣下は主君を、子どもは父親を、弟は兄を、そして妻は夫を敬うピラミッド型の構造を重視していますが、これも武士道文化の形成に一役買ったとしています。

 次に、欧米には存在しない義理という概念について新渡戸は、親や上司など他人から受けた恩義と説明し、恩返しが武士の行動原則の1つとなっていることを指摘しています。また、義理を含め正義の実現のためには命をも惜しまない勇気や、暴君と化さないために必須の仁徳(例: 武士の情け)、礼儀正しさ(過度な場合もあることは新渡戸自身が認めているが)、誠実さ(商業への武士の参入を禁止することで、権力と富を分散)、面目(恥を嫌う風潮)、忍耐(例: 数々の逆境を耐えて天下統一を達成した徳川家康)、忠誠心、質実剛健な生活様式、自制(感情の抑制を含む)も取り上げた上で、武士の教育では各種武道に加えて倫理、書道と歴史が重要視されていた一方、数学や理科はほとんど教えられなかったことを紹介しています。また、父・夫や息子たちといった男性家族に尽くす武家の女性の姿についても描かれている一方、形而上学的な教育を武士道が行わないことから、日本人が高尚な哲学概念を苦手としていることを認めています。

 前述したように、武士という社会階級は明治維新により廃止されましたが、士族が軍人や教師などの職に就いたことから、武士道的価値観はその後も長く残り、現在の体育会系気質に受け継がれています。このため、単に150年近く前に終わった過去の文化ではなく、現在の日本社会にも影響を与え続けている思想とみなすほうが適切だと言えます。

 ここまで読むと、武士道は素晴らしい日本文化だと思われる方が大半でしょうが、こと社会的連帯経済との関連では相性が悪いのが実情です。その点について、いくつか見てみましょう。

 その前に、まず武士の価値観を社会全体の価値観とすることの正当性について、問いただす必要があるでしょう。平安時代から江戸時代初期までの日本はさまざまな戦乱に巻き込まれていましたが、その中で社会秩序を保つために、前述した仏教や神道、そして儒教を基盤とした軍律として武士道精神が育まれました。確かに武士階級の中での内部統治の文化としては、主君への絶対的忠誠や自己犠牲は素晴らしい価値観かもしれませんが、武士ではない一般市民にとっては、主君や国家への自己犠牲を強いる武士道的価値観はむしろありがた迷惑なものと呼べるかもしれません。むしろ、世界人権宣言日本国憲法第3章など、市民の諸権利を認める立場から社会づくりをしてゆくことが適切でしょうし、また社会的連帯経済の価値観とも相性がよいように思われます。

 本題に戻って、最初に主君への忠誠という価値観についてお話しすると、当然ながらこれらは、平等性や民主的運営、そして組織への自発的な加盟(や脱退)を重視する協同組合の原則と矛盾します。日本では終身雇用制が一般的で、企業は社員の能力よりも企業への忠誠心を重視し、同じ会社で長く働くと給料が増える一方、転職を繰り返す人への評価は低い傾向にあります。また、企業のようにピラミッド型ではない組織でも先輩・後輩関係が重視され、特に若い人が年長者や組織のトップに向かって面と発言しにくい状況があります。新卒で入った会社が肌に合い、そこでのリストラも乗り越えて長年勤続できる人は、若いときに我慢すれば中年以降にその実りを得ることができますが、何らかの理由で退職するとなかなか企業社会には復帰できません。このような中で社会的連帯経済的を推進するには、平等主義で出入り自由な組織の文化を養うことが大切です。また、この意味では、西洋の慈悲に近い概念である仁徳も、あくまでも強者から弱者への思いやりでしかないことを、忘れてはならないでしょう。

 次に、義理や忠誠心によって社会の秩序が保たれるという面がある一方、恩着せがましい社会のしがらみによりがんじがらめになっている人も少なくありません。親であれ上司であれ恩師であれ、その好意により人間関係が窮屈になり、何らかの事情でその地域や組織を離れたくても離れられないような状況は、自立した個人の連携を重視する社会的連帯経済の理念とは合致しません。組織の仲間を大事にすることは大切ですが、それによって個人の自由が侵害されないようにしなければならないでしょう。

 さらに、恥を嫌い忍耐や自制を重んじる文化も、度が過ぎると個人の権利を疎外しかねません。これについては程度の問題になりますが、極端に恥を嫌うあまりに失敗を素直に認めることができなかったり、忍耐や自制を極端に美化するあまりに、サービス残業を含む長時間労働が常態化するようでは、社会的連帯経済にふさわしい職場環境とは言えません。場合によっては恥を克服したり、あるいはあえて我慢せずに主張・要求して、人間らしい生活を求めることが大切です。

 しかし、武士道の最大の弱点は、抑圧的な社会構造に決して疑問を呈さず、むしろそこに同化してゆく点です。この連載の第6回で、ブラジルの連帯経済の精神的基盤として同国の教育学者パウロ・フレイレ(1921~1997)の代表作「被抑圧者の教育学」について紹介していますが、ここで彼は、武士道における仁徳に相当する慈善行為の偽善性を批判した上で、そのような抑圧的な社会構造に対して一緒に戦うべきだと書いています。また、武士道では死を含む運命を受け入れることが美徳とされていますが、パウロ・フレイレはこのような宿命論を脱し、被抑圧者が自ら解放に向けて努力することを推奨しています。

「被抑圧者の教育学」の著者パウロ・フレイレ(1921~1997)

◀「被抑圧者の教育学」の著者パウロ・フレイレ(1921~1997)

 新渡戸自身も、明治維新後に商売に乗り出した士族の大半が失敗したことから、武士道は商売人向きではないことを認めています。武士道は、ピラミッド型組織内ではうまく機能しますが、組織外の人との人間関係には適用することができません。顧客は常に別の店を選ぶ権利があり、この顧客に対しては、基本的に上下関係を適用することはできません(町に1軒しかない薬局など、競争相手がいない分野なら別ですが)。顧客にペコペコする必要はありませんが、少なくとも顧客満足度を高め、「この店だったらまた来てもいいな」と思わせるような努力をする必要があります。なお、このあたりに関しては、社会的連帯経済におけるマーケティングを取り上げた、第28回の記事がご参考になることでしょう。

 また、武士が受けた教育に偏りがあった点についても、1つ補足しておきたいと思います。前述したように、武士の教育では形而上学的な訓練が疎かにされ、その伝統が続いたため、今でも原理原則論に関する議論を日本人は苦手とする傾向にあります。しかし、社会的連帯経済の運動自体が、従来の資本主義経済を補完する、あるいはそれに代替する経済体制の模索や推進であるため、その経済活動自体や方向性を定義する原理原則論は、避けて通ることができません。このあたりについては、第51回の記事でも紹介しましたが、そもそもどんな社会を作りたいのかという根本原則についての再検討は、この運動において不可欠なものです。

 野球やサッカーの男子日本代表の愛称として「サムライ」という表現が使われているように、日本では武士を自国の誇るべき伝統文化としてとらえる傾向が非常に強いですが、今回はあえて社会的連帯経済との相性という観点から、その傾向に疑問符をつけてみました。仮に新渡戸稲造とパウロ・フレイレがお互いの本を読んだうえで対談した場合、どのような議論を展開するか、ぜひお考えになってみてはいかがでしょうか。

コラムニスト
廣田 裕之
1976年福岡県生まれ。1999年より地域通貨(補完通貨)に関する研究や推進活動に携わっており、その関連から社会的連帯経済についても2003年以降関わり続ける。スペイン・バレンシア大学の社会的経済修士課程および博士課程修了。著書「地域通貨入門-持続可能な社会を目指して」(アルテ、2011(改訂版))、「シルビオ・ゲゼル入門──減価する貨幣とは何か」(アルテ、2009)、「社会的連帯経済入門──みんなが幸せに生活できる経済システムとは」(集広舎、2016)など。
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