社会的連帯経済が盛んなフランスやスペインなどでは、脱成長(仏décroissance、英degrowth、西decrecimiento)と呼ばれる思想が、社会的連帯経済の実践例にも影響を及ぼしています。今回はこの脱成長について取り上げたうえで、社会的連帯経済との間でどのような親和性を持つか検討してみたいと思います。
脱成長の論者として世界的に最も有名なのは、フランスの経済学者セルジュ・ラトゥーシュで、彼の著作「経済成長なき社会発展は可能か?──〈脱成長〉と〈ポスト開発〉の経済学」(中野佳裕訳、作品社)は邦訳されているほどです。経済学者でありながら、ラトゥーシュは経済至上主義や功利主義、さらには開発至上主義といった現代経済の潮流や、石油などの天然資源を採掘して大量生産・大量消費そして大量廃棄する現代型の文明に非常に批判的であり、そのため「脱成長」という考えに至ったわけです。
▲セルジュ・ラトゥーシュ(出典: Wikipedia)
ラトゥーシュがこのような考えに至るきっかけとなったのは、1960年代にラオスの農村に滞在したときの経験です。いわゆる近代的な開発とは無縁で、地元の農民は農業により慎ましくも幸せな生活を送っていました。当時は隣国のベトナムで、資本主義陣営と社会主義陣営との間で壮絶な内戦が発生していましたが、どちらの陣営も伝統的な生活様式を犠牲にして、近代化や経済開発を重要視していた点には変わりがないことに、ラトゥーシュは気づきました。そしてこのような経済開発により伝統的な社会構造が破壊されることから伝統的な経済学そのものへの信頼を失い、文化人類学的なアプローチを採用するようになったのです。その後、1970年代以降に環境問題が重要視されるようになると、天然資源の有限性や環境保護という観点も脱成長の思想に付け加えられるようになりました。
産業革命により起きた経済の大きな変化は、それまで基本的に地域内での自給自足型で運営されていた経済が全世界レベルでの交易体制へと移行したことです。これにより全世界レベルでの競争が激化し、その競争に勝てない地域が衰退してゆくようになりました。先ほどのラオスのような村に近代経済が到達すると、さまざまな文明の利器が外部から入るので一見生活水準は向上するように思えますが、それに見合う対価を支払わなければならなくなり、多くの場合これらの農村が貧困化し、富=お金を求めて大都市への人口流入が起き、大都市郊外にはスラム街が形成されることになります。伝統的な生活様式は破壊され、誰もがお金に追われる生活を余儀なくされるようになるのです。
この脱成長を実施するキーワードとしてラトゥーシュは、8つのRを提唱しています。
- 再評価(Réévaluer): 近代経済的な価値観、具体的には他人を蹴散らしてでも出世や収入増のためにあくせく努力し、それによって得られた報酬で派手に消費するというものではなく、他人への協力や社会生活など、経済統計上の数字には出てこない価値観を再評価する。
- 概念の再構築(Reconceptualiser): パラダイムシフトと言い換えることもできるだろうが、要は1.のような概念を着想したうえで、特に消費については持続可能なレベルに抑える方向で調整する。
- 再構成(Restructurer): 1.や2.で明らかになった価値観を基にして、生産財や人間関係を再構築する。
- 再分配(Redistribuer): 天然資源の有限性を認識したうえで、富だけではなく天然資源へのアクセスについても公平に再分配してゆく。
- 空洞化した産業の復興(Relocaliser): 以前は地元で生産されていたものの、グローバリゼーションの影響で地域から離れた産業を復興させて、地域の持久力を高める(このあたりについての詳細は、第31回の記事を参照)。
- 削減(Réduire): 無駄な大量生産や大量消費・大量廃棄を抑える。また、その大量生産や大量消費を支えることになる長時間労働や長距離輸送などの削減。
- 再使用(Réutiliser): 中古の品物を再利用すること。これにより生産や流通の手間を省き、必要以上の資源の浪費を抑えることができる。
- リサイクル(Récycler): 使えなくなったものを加工して再使用。たとえば使用済みのアルミ缶を回収してもう一度アルミ缶にして利用する。
このような状況下で、社会的連帯経済は脱成長とある程度親和性があることがわかります。協同組合や産直提携農業(詳細は第110回の記事を参照)、そして補完通貨などの事例は、このような開発至上主義ではなく、あくまでも実際の人間の需要を満たすための生産活動として実現されています。また、資本主義的な競争原理ではなく協力を重視するあたりも、伝統的な社会と共通していると言えます。
社会的連帯経済関連のさまざまな事例の中で、最も脱成長に近い実践例は、トランジション・タウンズであると言えます(詳細は第32回の記事を参照)。トランジション・タウンズ自体は脱石油文明としての取り組みですが、石油ではなく再生可能エネルギーをベースとした地産地消型の経済構造の構築という点では、トランジション・タウンズと脱成長の間にはかなりの親和性があります。特に、5番目の空洞化した産業の復興という点では、脱成長とトランジション・タウンズは密接に関連しているということができるでしょう。
◁「トランジションを実践するための基本ガイド」表紙
とはいえ、脱成長を実現するためには、そもそも私たちが現在使っている通貨が際限なき経済成長を強制しており(詳細は第18回記事を参照)、また現在の通貨は基本的に債務として発行されており、通貨流通量よりも債務額のほうが多いため誰かの破綻が避けられない(詳細は第47回記事を参照)という問題を克服しなければなりません。現行の通貨体制の下で膨大な額の債務が発生しており(全世界の債務は、国際通貨基金(IMF)の計算では152兆ドル(約1京6860兆円)にも達している)、この債務返済のために各国政府や企業、個人などがあっぷあっぷの生活を強いられています。脱成長を実現するためには、そもそも際限なき経済成長を強いている現在の通貨制度そのものを根本的に改革する必要があると言えるでしょう(もちろんこのテーマは壮大過ぎて、社会的連帯経済の範疇を超えてしまいますが)。
また、脱成長を達成するためには、従来のものとは異なる開発の指標が必要となります。従来の経済では国内総生産(GDP)がその指標として使われる傾向にありますが、このGDPは必ずしもそこの国に住んでいる人たちの生活水準を表すものではありません。たとえば、水道水がきれいな国ではミネラルウォーターをわざわざ買い求める必要はない一方、水道水の質に問題がある国ではミネラルウォーターは不可欠になります。ミネラルウォーターが売れればそれだけGDPが上昇しますが、だからといってミネラルウォーターが売れている国のほうが生活の質が高いとは言えないでしょう。
脱成長は一見すると現在の経済システムそのものを否定するもののように思えますが、実際にはそうではなく、経済発展を絶対善のものとみなす現在の潮流を批判し、経済発展に頼らないライフスタイルを築いてゆこうという運動の一環です。必要以上に消費に走る従来の生活パターンを見直すという点では、最近日本で流行っている断捨離とも哲学的に通じるところがあります。本当に必要なものは一体何なのかを見極めたうえで、無駄のないシンプルな生活を見極めてみてはいかがでしょうか。