北京の胡同から

第13回

無形文化財の知識の普及

 今年の2月9日から北京の全国農業展覧館で「中国非物質文化遺産伝統技芸大展」が開かれた。今回は、北京で行われている無形文化財の知識の普及についてご紹介したい。

 時は遡って、2005年9月。北京西郊の高碑店に建設されたばかりの「華夏民俗文化園」という場所で、民俗文化祭が開催された。伝統民芸の名人作家101人が全国から集められ、制作をしながら作品の展示や販売を行ったのである。当時、こういった民間に眠る名人技は、まだ日本語の無形遺産にあたる「非物質遺産」という概念よりは、「民間工芸」という概念で括られ、その紹介が行われていたようだ。

 開幕当時、主催者らは、今回呼んだ名人作家たちに恒久的に文化園に住んでもらい、作品作りと作品の販売をしてもらいたい、と目標を語っていた。作品作りの環境を作家らの故郷に近づけるため、部屋にわざわざオンドルを作るなどの努力も行われた。だが、文化祭が最初の一ヶ月を過ぎると、作家らは次々と帰郷。現在その跡は閑散とした物寂しい感じになってしまっている。

伝統民芸の名人たち その後、北京オリンピックが近づくにつれ、民間工芸は中国文化の豊かさを語るだけでなく、世界の遺産であるという意識が普及。非物質遺産という言葉も多用され始めた。

 その後、06年2月12日から3月16日にかけて中国国家博物館(旧歴史博物館)で開かれた「非物質文化遺産展」は、プロパガンダ的な要素が強かったとはいえ、各地の少数民族の文化にも比較的細かく目を配った、展示的にも学術的にも一定の水準に達したものだった。
 だが、同じく大勢の観客を集めた展覧会でありながら、今回行われた展覧会はだいぶ水準が異なっていた。展示物は、切り絵や刺繍、楽器、唐傘、陶器、景泰藍、織物などの民間芸術品から、山西省の酢、全国の郷土料理まで。ジャンルの異なる展示物が一部実演つきでずらり並べられたのだ。

 また、今回の展示の参観は学校の宿題でもあったようで、大勢の小学生が会場に殺到。その結果、小学生から老人まで、あらゆる年齢層の観客が一気かつ大量に押し寄せることになった。その結果、展示品のジャンルのばらばらさと相まって、展覧会は大変ごちゃごちゃ感の強いものに。週末には、入場の整理券を待つ観客の列が会場前の広場を「2周半」分連なり、何と待ち時間は1時間半。もちろん会場内も人の海で、とてもゆっくり参観できる雰囲気ではなかった。

 もちろん、「非物質文化遺産(無形文化財)」という概念の普及にこういった展覧が大きな役割を果たすことはいうまでもない。だが、概念の普及と質の高い展示というものを両立させることは、色々な面での格差が大きく、膨大な人口を抱える北京のような大都市では大きな課題だ。貴重な伝統の技というものを実際に目で見ることは確かに貴重な経験。だが、技がその発揮される環境や風土と切り離され、展覧会が地方物産展の「名人」つきバージョンに過ぎなくなっては、名人の存在価値は下がってしまう。
 無形文化財の紹介に関しては、まだまだ迷走中の中国。試行錯誤はしばらく続きそうだが、地大物博の中国では、全国の粋を全て一カ所に集めようと試みること自体が、誇大妄想的なのかもしれない。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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