北京の胡同から

第41回

「回復」が口実の破壊 鐘鼓楼広場整備プロジェクト

寝耳に水の再開

 やはり、北京を長く離れたりするものではない。昨年12月、別の事情でしばらく外地にいた間に、北京では信じがたいプロジェクトが始まっていた。
 古くは元の時代に建てられ、明の永楽帝の時代に現在の場所に移った鐘楼と鼓楼。合わせて鐘鼓楼の名で呼ばれ、長い時間にわたって北京の住民に時を告げてきたいわば「時計台」だ。だが民国期以来も、観光地として、また日々の生活に憩いや潤いをもたらす場として、北京の重要な遺産であり続けてきたこの歴史的文化財を囲む一帯に、とうとう「鐘鼓楼広場の回復と整備」を口実とした、立ち退きと取り壊しのメスが入ってしまったのだ。
 慌てて現場に駆けつけると、すでに一帯では、立ち退きに関するビラがあちこちに貼られていた。その範囲は、鐘楼と鼓楼の間の鐘楼湾胡同と豆腐池胡同、湯公胡同、鐘庫胡同、草廠北巷など70の番地(一部のみ取り壊しも含む)に及んでいる。しかもこれ以外に、126番地分(一部のみも含む)の「隣接地区」の住民にも、強制的ではないものの、生活改善のための立ち退きが勧告されている。一つの番地には通常複数、多くて何十もの世帯が住んでいるため、強制的な立ち退きだけでも500世帯に及ぶという報道は決して誇張ではないようだ。
 だが奇妙で意外だったのは、どこにも「拆遷(取り壊しと立ち退き)」の文字はなく、「搬遷(立ち退き)」としか記されていないこと。通常なら、壁には家屋を取り壊すにあたっての「拆遷公告」や「拆遷管理弁法」などのビラが貼りだされるはずなのだが、いずれも目に入らない。取り壊し予定の建物の壁に通常書かれる巨大な「拆」の字、人権を無視するものとして批判され、一時期は消えたものの、その後続々と復活した忌まわしい文字も見当たらない。
 私はそこに、今回のプロジェクトの巧みさを感じた。建物を壊さないのであれば、住民が立ち退く必要はないわけで、取り壊しは必ず行われるはずである。にも関わらず、「拆遷」という言葉を避けているのは、今回のプロジェクトがあくまで整備であり、破壊ではないことのアピールに他ならない。立ち退きを拒む住民への脅迫行為で悪名高い「拆遷弁公室(立ち退き問題を扱う事務室)」も、表向きは影をひそめており、目立つのは、補償として安価な価格で提供される住宅「安置房」を選ぶ部屋のみだ。外国人も多く集まる観光地、そして2年前に開発プロジェクトが市民や有識者の反対によって「挫折」した前例をもつエリアならではの、さすがの配慮だといえる。
 もっとも、取り壊すぞ、という雰囲気づくりのためだろうか。住民には目立つが、観光客はそこまで多くない一角にある一軒だけが、まるで「サンプル」のように取り壊されていた。

清代に再建された鐘楼。地元では鐘をめぐる伝説も伝えられている。

▲清代に再建された鐘楼。地元では鐘をめぐる伝説も伝えられている。

失敗をふまえての奇襲

 そもそも今回の再開は、北京の文化財愛好者にとっても、かなり唐突だったようだ。前回、大規模な地下開発を含む「時間広場」のプロジェクト(本コラム第31回の「中軸路をめぐる思惑」を参照)が中止を余儀なくされたことを受け、今回は個別メディアの取材を一切受け付けないまま、再スタートしたという。さすがに形の上では住民の意見を募り、プロジェクト開始にあたっては、記者会見も開かれたらしいが、一般の市民も参加できるような公開の場での討論は行われず、本コラムでも取り上げたことのあるNGO組織、「北京文化遺産保護中心」のスタッフが熱心に交渉を繰り返しただけだという。
 詳細を知るべく、筆者もさっそく、安置房の提供をとりしきる部屋に入ってみた。提供される部屋の簡単な見取り図こそならんでいるが、周辺の環境をめぐる情報は極めて少なく、よく商品住宅のセールスのために作られるようなミニチュア模型などもってのほか。部屋を選び終わったことを示す赤いシールもまだほとんど貼られておらず、立ち退きの契約を積極的に結んだ住民について報道した『北京晩報』の記事のコピーだけが、白々しく入口で目立っていた。
 部屋の中にいた人に、「ここ一帯で行われるプロジェクトの完成予想図などはないのですか?」と聞くと、「ない」との答え。「では、立ち退いた後はどうなるんですか」との問いにも、ただ「広場を広げて、芝生にする」との回答のみだ。外で道行く人にも何度か同じ質問をしたが、同じ答えか、憶測に基づく「擬古調の建物にするんじゃないの?」といったものしか得られない。
 その後、関連する報道を逐一見て、やっとおぼろげに真相が分かった。関係者の答えが曖昧なのも当然で、プランはまだ「練っている最中」なのだ。プランが確定されていないのに、「実施」だけは先に決め、商業目的の開発ではないことを理由に、安い補償金で先に住民を追い出してしまう。「前門」周辺の破壊的プロジェクトのもたらした教訓は、全然生かされていないことを痛感した。

「明清時代の風貌を回復」は口実

 そんな情況ゆえ、先回のプロジェクトで代替案(縮小案)として鼓楼の東南部に建設が決まった北京時間博物館プロジェクトとの関連性の有無についても、一定の説はない。ただ、関係者が一度ならず強調しているのは、鐘楼と鼓楼の間の広場の拡幅による、「明清時代の景観の回復」である。
 これはまるで、「北京は明清時代は首都だったが、民国期以降は存在していないも同然」とでも言いたいかのようだ。そもそも近年、文化財関係者は「明清時代の風貌の復興」に実に熱心。解放後にとり壊された永定門を敢えて復元し、前門を明清時代の風格をアレンジした擬古調の店舗で埋め、清末には単なる排水溝になっていた運河を「玉河」として掘り起こしたのは、その例の一部にすぎない。それらのプロジェクトの文化財保護という意味での意義はさておき、いずれのケースにおいても漏れなく発生したのは、北京っ子を主体とする「庶民」およびその「庶民文化」、そして民国期以降の建設行為の痕跡の抹消である。
 確かに、ある程度の伝統的景観の統一は、観光都市北京にとっては生命線でもあるだろうが、都市とはある特定の時代にすべてが完成されるのではなく、各時代の建設行為の積み重ね、そして美意識の移り変わりなどに影響されながら、有機的に成長していくべきものだ。そのプロセスを無視し、強引に明清時代の街並みだけを復元し、しかも擬古調の建物や装飾によっていわば「偽造」することに、どれだけの意義があるのか、疑問を覚えざるを得ない。北京の文化財保護関係者が、この復古調崇拝を「自信のなさの表れ」としているのも、むべなるかな、だ。
 立ち退きを進める政府関係者は、清末以降、人々が勝手に家屋を建て増ししたため、景観が大いに破壊されており、それを回復させるのが今回のプロジェクトの主旨だというが、中国新聞社に投稿された記事で行われている綿密な分析によると、実際は清末以降に建て増しされた部分は全体のほんの一部と推測されるらしい。本記事はその事実を踏まえ、現在の街並みを取り壊すことの意義に大きな疑問を呈している。筆者もまったく同感だ。
 そんなに明清がいいなら、いっそのこと、皇帝や王朝まで復活したらどうだ、というブラックユーモアでも言いたくなるところだが、もちろん、美意識については、中国人独特の時間感覚も考えなければならないだろう。八カ国連合軍の侵攻や義和団の乱が一般の人の間で話題に上る頻度などを考えると、中国人、とくに北京の人の100年は、日本人にとっての50年ちょっとくらいの感覚なんじゃないか、と思うこともある。明清建築の偏重もそのためで、日本でも、明治時代の建築は珍重しても、戦後の街並みをわざわざ復元しようとする人は少ないのと同じなのかもしれない。また、行政側には、文化大革命中に封建王朝時代の無数の文物を取り壊してしまったことに対し、「繕っておかねば」という意識も働いてしまうのだろう。もちろん、「壊したものを復活させる」なんてことはそもそも不可能なのだが。
 いずれにせよ古来、時間を告げ続けてきた鐘楼、鼓楼の下で、時間を止めようとするプロジェクトが進行するというのは、歴史の皮肉だ。まるで、鐘楼、鼓楼が役目を終えた時点で、この一帯の時間も止まってしまったのだよ、とアピールしたいかのようである。今回のプロジェクトをめぐって感じる唯一の救いは、先回のプロジェクトと比べ、「地下スペースの開発は一切行わない」と断言している点だ。

「生活条件向上のため」という言い訳

 立ち退き歓迎派は、こう主張する。「文化財保護を訴え、取り壊しに反対する人たちの多くは、自身は平屋に住んでいない。平屋の住環境のひどさを知らないから、気楽に取り壊し反対などと言えるのだ」と。
 しかし、そもそも生活条件の向上と文化財の保護はそこまで矛盾する観念ではないし、少なくとも今回に関しては、この主張は説得力がない。なぜなら、鐘鼓楼地区の平屋は、北京でも1平米あたりの単価が非常に高い区域だからだ。今回、取り壊しの際の補償額を決めるため、「独立、客観、公正、科学的」を標榜する土地評価事務所によって決定された基準価格は44361元。これは市場価格のおよそ4分の3強に過ぎない。しかも市の中心部の平屋物件は年々減りつつあり、完全に売り手市場。もし、住環境を改善したいなら、取り壊しの通知が来る前に売り払ってしまったほうが、金額的にはずっと得なのだ。
 だが問題は、平屋の面積である。胡同地区の多くの屋敷は多数の世帯が住む大雑院となっており、一世帯あたりの面積が小さい。だがマンションの1ユニット当たりの面積は概して広めだ。そのため、いくら単価が高くても、売却後に市内でマンションを買うのは難しい。そこで住民たちは、取り壊しに伴って優先的にあてがわれる補償性住宅の「安置房」を当てにすることになる。
 だが、今回の例はまだましとして、そもそも多くの「安置房」は遠い郊外に設けられることが多いため、トイレや水回りの設備、居住面積こそ多少は改善されても、通学、通勤、通院、交通などの他の面では、むしろ環境が悪化しかねない。
 まさに賭博に近い「棚ぼた狙い」である。立ち退きのビラを見ていたある通行人も、「安置房は建物の質があてにならない。それに、いざ住んだら管理費などの諸々の費用がえらく高くついて、結構たいへんさ。移っていいことなんてあんまりない」と言いながら立ち去って行った。
 つまり、政府が掲げている立ち退き理由の一つ、「生活環境の整備」は、筆者の正直な印象では、ただの「言い訳」にすぎない。そもそも、北京に残っている胡同地区全体の生活条件の中でいえば、家屋の質の悪さや老朽化のレベルは、もっとひどいところがたくさんあり、建て増し部分の多さにより、安全面でより大きな潜在的危険がある住宅地も、他に無数にある。なぜ鐘鼓楼周辺の環境を優先的に整備する必要があるのか、根拠がない。
 そもそも近年、かつて同郷者が集った会館などを除いては比較的簡素な四合院が多い崇文区と、かつて官僚が多く屋敷を構えていた旧東城区が東城区に統一されてからは、同区内の平屋の居住条件の格差も大きくなっている。モデル的に行うのであれば、旧崇文区の平屋地区を優先した方が、ずっと理に適うのだ。
 もちろん旧崇文区でも、同理由での改造は行われている。だがオリンピック前にスタートした、前門の東側の広大なエリアの改造は、モデルどころか失敗例に近い。環境は改善されたのかもしれないが、そもそも恩恵にあずかるべき住民が7割以上追い出されてしまい、半分ゴーストタウンになってしまったからだ。その収拾がついていない現在、新たに環境整備といわれても、かなり「まゆつば」であり、正直なところ、ただ「予算」というケーキがもたらす利益を分け合いたいだけにしか見えない。
 本気で胡同地区の生活環境を改善したいなら、一律に多くの人を住み慣れた環境から引き離すのではなく、循環型で排水管やガス管の敷設工事でも行い、一人あたりの居住面積が低い平屋の住民に優先的に福利性住宅でも提供した方が、よっぽど助けになるといえる。
 筆者はかつて、日本の研究者の提案で、浄化槽付きのトイレを胡同の大雑院に試験的に導入する案を居民委員会に持ちかけたことがあるが、上層部への報告も討論も一切ないまま、末端の「失敗した時の責任がとれない」との冷たい一言で一蹴されてしまった。
 その時、行政側が、職務を果たす以外は、胡同の住民の生活環境の改善になど何の積極性もないことを、身にしみて感じたのだった。

立ち退きをめぐる詳細を記したビラを眺める人々

▲立ち退きをめぐる詳細を記したビラを眺める人々。

綿密で周到な計画

 そんな詭弁に満ちているとはいえ、今回のやり方が、先回の失敗を踏まえて念入りに仕組まれたものであるのは、ディテールから明らかだ。まずは、補償の仕方が巧みである。
 例えば、補償は二通りに分かれる。一つは市内の同レベルの面積の家屋との交換。もう一つは1平米44361元という基準での、貨幣による補償だ。この内、「安置房」政策の恩恵を求める住民は、補償金を受け取った後、朝陽区芍薬居にある「安置房」を現在では破格の価格ともいえる1平米7000元で買うことができる。安置房の物件は、50平米から100平米程度で、ちょうど補償金で買える価格だ。多少余った部分は改修や管理費に回せばいい。
 今回取り壊しの対象となった区域は、低所得者が比較的多い一帯だといわれている。貯蓄のある家庭なら、これを機に貯金を上乗せして家を買おう、ということになるだろうが、低所得者には難しい。それに芍薬居は、安置房の場所としては、比較的市の中心部に近い方で、しかも風水的に北京っ子の好む北側にある。強制的立ち退きによって、願わずして河北省近くの遠い郊外に追いやられた人も多い北京では、少なくとも表面的にはかなり有利な条件と映るはずだ。つまり、こういった点だけみれば、低所得者層にとって、安置房の条件はまあまあ我慢できる範囲のものである。
 胡同地区の立ち退きでよく話題になるのは、近所同士の関係がずたずたに引き裂かれることだが、こちらへの配慮も怠っていない。対象地区には安置房の入手を奨励するスローガンとして、「鐘鼓楼で私たちは古い隣人、芍薬居でもお隣同士」が貼られてあった。願おうと願わまいと、低所得層にとっては、半ば強いられた集団移住と変わらないのだから、「お隣同士」は当然なのだが。
 いずれも、北京を代表する主要な観光地ゆえ、釘子戸や暴力的取り壊しはできるだけ避けたい、という関係者の苦心がうかがわれる内容だ。さらにはその時期も重要である。冬の観光客が少ない季節を狙っての実施である上、しかも春節直前という、誰もが経済的不安を抱きたくない時期が選ばれている。果たして立ち退き勧告のビラにも、「早く優遇政策を受け、落ち着いた、幸せな年越しをしましょう」と書かれていた。

すでに閉店した店舗前に貼られた告知ビラ

▲すでに閉店した店舗前に貼られた告知ビラ

釘子戸は生まれるか?

 つまり、今回の強制立ち退きは、補償額の単価こそ低いが、「安置房」を当てにせざるをえない低所得層にとっては、そう悪いばかりでもない。だがそれでも、地元の顧客や、観光客をあてにしている店の経営者、および芍薬居以外で条件のいい家を買いたい人にとっては、最悪の事態だ。以前日本でも話題になった「釘子戸」は、やはり今回も出現するのではないだろうか。
 取り壊しに反対する住民が団結し、立ち退きが難航するケースを何度も体験する中、これまでも行政側が求める立ち退き期限はどんどんと早まる傾向にはあったが、今回も信じられないほど早く、立ち退きの期限は公告が行われた2012年12月12日から2013年2月24日まで。早期に立ち退きの契約をした者には奨励金が支払われるが、その期限に至っては2月2日までだ。この地区に何十年住んだ人であれ、立ち退きの範囲に指定されていれば、この2カ月で新たな行き場を決めなくてはならない。うかうかしていれば、その気がなくても釘子戸になってしまいそうだ。
 現地の人がこう言っていた。「立ち退きを拒んでねばったとしても、最終的に有利なのは、私有住宅の所有者で、政府に何らかのコネがある人だけさ」。「公房」とよばれる、企業や不動産管理局が管理し、住民には「使用権」しか与えられていない住宅の所有者は、「ただ放っておかれるだけ」だという。
 取り壊しを取り仕切る、いわば名を隠した「拆遷弁公室」のビラにも、「今回のケースはこれまでの『拆遷』とは異なる。補償プランは一貫性を保ち、奨励金も期限を過ぎたら決して払われない。変な噂を信じて、幻想を抱いたりしないように」という意味の、いわば「釘子戸」を戒める内容が書かれていた。
 ネット上でも盛んにこの問題が議論されていたが、プロジェクト実施側の関係者である可能性もある、立場が不明のあるユーザーは、釘子戸になることについて、「補償金ではにっちもさっちもいかず、本当に行き詰ってしまった人以外は、ろくなことにならないので止めた方がいい」とまるで経験者のように書き込んでいた。

北京っ子文化の消滅

 何はともあれ、改革開放前と異なり、さまざまな要求や条件や思惑をもった住民がいる現状の下では、住環境の改善と伝統的景観の保護を一緒に論じて煙に巻きたがる政府の口ぶりには十分な警戒が必要だ。むしろ集団的立ち退きと伝統の破壊こそが一緒に論じられるべきであり、地元に根付き、その文化を担ってきた「北京っ子」たちの大量移転に伴う伝統的風習やライフスタイルの破壊こそが、危惧されねばならない。
 経済適用房(低価格分譲住宅)の多くが、本来の対象で、本当にそれを必要としている低所得層ではなく、会社組織などの内部で分配されていることはよく知られている。メディア関係の友人によれば、国営メディアの関係者で占められている物件も多いという。その口をふさぎ、政策に対する批判の筆鋒を緩めるためだ。低所得者なら誰でも自由に申請でき、本当の意味での住環境の改善をもたらすべきである低価格分譲住宅が、慢性的に不足し、価格も高すぎ、分配に公正さを欠き、不当に売買や賃貸され、腐敗の温床となっているという現状を前に、「住環境の改善」を唱えられても、空疎にしか響かない。
 それならむしろ、まっとうな拠り所と必要性に欠ける大規模な取り壊しを避け、「自宅がいつ強制的に取り壊されるか分からない」という不安を極力減らし、住みたい者は住み、移りたい者は好きな時に好きな場所に移れるようにし、僥倖に頼らず、自主的に将来の居住計画が立てられる経済生活を保証するに越したことはない。

鐘楼北の広場で憩う人々。実は取り壊しエリアの建物には、近年改修されたばかりのものも。

▲鐘楼北の広場で憩う人々。実は取り壊しエリアの建物には、近年改修されたばかりのものも。

 それを一切考慮せず、近現代の蓄積を無視した「拆(取り壊し)」と土地の文化的コンテクストを分断、消滅させる、集団での「遷(立ち退き)」にこだわり続けるのであれば、鐘楼と鼓楼の時間は、清末で止まるどころか、実は逆行しているのかもしれない。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、『シベリアのビートルズ──イルクーツクで暮らす』(2022年、亜紀書房刊)。訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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