BOOKレビュー

関智英氏による書評:王友琴『血と涙の大地の記憶』

〔中国文化大革命論文集〕血と涙の大地の記憶

書名:〔中国文化大革命論文集〕血と涙の大地の記憶
副題:「文革地獄」の真実を求める長い旅にて
附録:毛沢東独裁下、史上未曾有の飢餓地獄の記録(1959~1961年)裴毅然著
著者:王友琴
編集:小林一美
翻訳:佐竹保子、土屋紀義、多田狷介
発行:集広舎 A5判上製/576ページ/5,900円+税
発売:2023年03月15日 ISBN 978-4-86735-044-7 C1022

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この書評は2023年(令和5年)5月12日発行『週刊読書人』に掲載されたものです。書評氏のご許可を経てここに転載いたします。

生々しい文革の記憶を集める 忘却される歴史に抗する叙述

「文革地獄」の真実を求める長い旅にて

 1966年から10年間にわたり中国を席巻したプロレタリア文化大革命(文革)は、「文化」という言葉の与える印象とは裏腹に、その実情は階級闘争に名を借りた集団リンチ/殺戮に起因する社会混乱だった。渦中で命を落とした者は、少なくとも172万以上と言われており、その詳細は今もって不明な点が多い。
 本書はそうした文革被害の実態を、中国大陸各地を巡り、当時の関係者への丹念な聞き取りを通じて明らかにしてきたシカゴ大学の王友琴教授の成果である。2004年に最初の成果が香港で出版された際には659名だった証言者は、その後も増え続け、現在では1000名を超えている。証言を基にした本書の原文(中国語)はオンラインの「中国文革受難者記念園」だ公開されている(ただし中国大陸からの閲覧はできない)。
 本書は、第一篇から第十篇で主に北京の学園闘争を中心に分析し、巻末には付録として文革に先立つ大躍進時期に、中国各地で生じた飢餓の記録が掲載されている。これにより文革に至るまでの社会の雰囲気と、文革が突発的事件ではないことが理解できよう。
 インタビューの内容は生々しく、凄惨な記述にもそれなりに耐性があると自任する評者も、しばしページを閉じて瞑目した。
 文革の直接的な要因は、当時政権中枢から一歩退いていた毛沢東が、再び実権を握ろうと画策したことにある。その際、毛沢東が利用したのは、毛を建国の父として神聖視していた学生だった。毛に扇動された若者は、校長や教員を批判という名のもと虐待(さらには殺害)し、混乱は社会全体に広がった。
 文革開始当初、闘争の中心となったのは北京の諸大学に附属する中学校や高校だった。本書に登場する証言者の多くも、その関係者である。こうした名門校には共産党幹部の子女が多く、彼らは自らを紅衛兵と称して、教員だけでなく地主や資本家などを出自とする学生を弾圧し、全国の先駆けとなった。
 本書の著者は、当時北京師範大学付属中学に二年飛び級で入学するほどの優秀な学生だったが、両親が教師だったため批判され、妹とともに雲南での強制労働に従事させられた。著者も文革被害者の一人なのである。
 1976年、毛沢東の死により、文革を推進していた四人組は失脚し、文革は終わった。1981年には中国共産党が文革の誤りを公式に認め、迫害された人々の名誉も回復された。大学入学の統一試験も再開し、これまで大学進学が認められなかった著者も、文系全国トップの成績で北京大学に入学した
 ただこうした上からの拙速な秩序回復は、従軍慰安婦問題や戦争賠償問題といった例からもわかるように、往々にして個人レベルの問題を切り捨てて行われる。残念ながら文革もその例に漏れない。さらに文革の場合、その原因を突き詰めていくと現在も政権を担っている共産党の政策的誤りを顕在化させることにもなるため、今もって中国での研究が難しい。
 この傾向は1989年の天安門事件以降、多少の曲折を経ながらも強められて現在に至っている。日本との抗日戦争は知っていても、それよりも後に起きた文革を知らない若者が、中国では主流派になりつつあるのである。
 こうした過去を忘却した社会が何を生み出すのか。象徴的なのが、文革での迫害と殺戮を「否定する」主張の登場である。本書第9篇では、四人組の一人、張春橋の遺族による「パパたちの計画は、共同で豊かになる道だった」という文革を肯定する発言を紹介し、厳しく指弾する。
 文革の被害を受けた当事者として、その事実が明らかにされないまま忘却されることの悔しさは、想像に難くない。著者は声を出したくとも出せない幾多の被害者の代弁者なのであり、本書はそうした声を後世に残さんとする執念の書なのである。
 著者は文革の問題を解決するために歴史の叙述を通して罪悪に対して分析し審判を下すことの重要性を提起する。文革は、現代中国の一事件としてではなく、人類の遺産として理解していくべき課題であろう。
 「人の生命と生活を犠牲にしてもたらされる社会変革はマイナスなのだ」という著者の言葉を噛みしめたい。

王友琴(おう・ゆうきん)シカゴ大学教授・文革研究。自身もまた文革による下放を経験している。邦訳された共編著に『文革受難者850人の記録』など。1952年生。

週刊読書人 2023年(令和5年)5月12日
関 智英(せき・ともひで)津田塾大学准教授・中国近現代史

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