BOOKレビュー

書評『香港・絶望のパサージュから語りの回廊へ』

書評氏・阿古智子さんのご許可を得て、週刊「読書人」第3498号より転載いたします。【編集室】

書影

書名:香港 絶望のパサージュから語りの回廊へ
副題:2019レジスタンスダイアリー
編者:日本語版「消えたレノンウォール」翻訳委員会
発行:集広舎/2023年4月26日
発売:2023年5月10日
判型:変形判 170 × 210mm/並製/420頁/オールカラー
価格:本体3,636円+税
ISBN:978-4-86735-036-2 C0036

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胸中の思いは決して棄てることなく
空や海のように無限の広がりと可能性をもつ空間の記録

 レノンウォールはチェコのプラハで始まったと言われる。1968年の「プラハの春」の鎮圧以降も抵抗を続けていたチェコの人たちは、1980年にジョン・レノンの死をきっかけに、より創造的な方法によって政治的民主を要求し始めた。色とりどりの紙に書かれたメッセージが無機質な灰色のコンクリートをアーティスティックな壁に変えていった。

 それから35年以上が経ち、中国の圧力に抗い続ける香港の人たちは2014年の雨傘運動で、2019年の逃亡犯条例改正案に反対するデモにおいて、心の声を紙に書いて街中に貼った。雨が降ってはがれてしまっても補強し、反丹派や政府に撤去されてもまた作り直し、香港の人々は表現することをあきらめなかった。

 そして、街頭で抗議活動に参加した市民たちは次々に文章を寄稿し、主に協会の関係者が寄付を募って出版したのが本書である。2019年に香港で出版された初版は瞬く間に売り切れ、2020年11月には第6版が出版されている。日本語版は当初、翻訳者や監修者の名前を掲載する予定だったが、国家安全維持法の影響を考慮し、すべて匿名で行うことにしたという。

 ここに掲載されているのは、香港の人たちが未来に希望を抱いて活動していた時の厚い思いが詰まった文章だ。だから正直なところ、時を経て、変わり果ててしまった香港を思い浮かべると、読んでいてつらくなる。

 あの時の人々の憤怒、失望、興奮はどこに向けられればよかったのか。香港中に渦巻いていた膨大なエネルギーは消費されず、香港社会の奥底にどんよりと鬱積しているというのだろうか。

 ある日、夢の中で若者とともに進もうと思い立った50を過ぎた男性は、デモに参加し、最前線に立つことになったという。若者は社会や国を敵対視しているのではないのだと憤慨する人、中国政府と香港政府の醜さをあぶりだした運動の特質を分析する人、デモへの支持を公言したことでキャセイ航空から解雇されても、沈黙して生きるぐらいなら声を出して死ぬことを選ぶと主張する人。

 国家安全維持法違反の容疑で裁判を待つ身の元香港大学副教授の戴耀廷(ペニー・タイ)は、若者たちが「心無い人に自分たちの愛する香港を破壊させないために、必死で守ろうとしている」として、「軟弱だった私たち上の世代を許してください」と書いている。いつ塀の外に出てこられるかわからないタイは、今、同じ思いでいられるのだろうか。

 多くの人が林鄭月娥(キャリー・ラム)という為政者への厳しい批判を記している。彼女は徳がなく無能な統治者であり、逃亡犯条例改正案に反対する市民の声を聞かず、抗議活動を封じ込めようとしたのは、官が民を圧迫する典型的な事例であったとして。

 国家安全維持法(国安法)の問題点を論じる市民もいる。この法律は、公共の安全を脅かすと理由があれば、行政長官の権限によって任意に香港市民の人権と自由を奪うことができるという悪法だとして。香港の議会である立法例を通過することなく成立した国安法は、「人智が法治を凌駕する典型であり、最高で終身刑に処される可能性もある恐ろしい法律だ。

 母親は、自分のこどもが愛と公平に満ちた職場で成長して欲しいと願いつつ、彼らは十分な考えを持たずにやっているのではない。彼らの安全に注意しながらも、制度、社会、政府への不満を大声で叫ぶ彼らをありのままで見守ろう、それでこそ、命を育む教育ができると訴える。

 補助警察隊として父をもつことを仲間たちに明かすことができずに悩んでいた抗争参加者は、家では孤独でも、助け合える友達がいると前を向いた。

 抗争に一切関わっていないのに暴動罪で逮捕されたソーシャルワーカーは、適切な監督を受けていない警察、仁を貫かない政府には期待を抱かず、自らが義を貫くのだと強調する。

 政府寄りの立場をとる美心食品の系列であるため、攻撃の対象となっていた吉野家だが、同社主催のコンクールでは、高圧的な政権の弾圧に恐れず、抵抗運動で危険な中にいる人を救わなければならない、「一人も欠けてはならない」のだと、子どもがイラストを描いた。子どもたちを指導した美術教師が感動したと文章を寄せている。

 目の前で警官が暴力を行使しているのを見て、恐怖を抱きながらの、「香港は私の家です。だから守らなくてはならない」と、心を震わせる人。英国の植民地として「借り物」でしかなかった「香港」は、中国大陸からの買い物客に乗っ取られる爆買いの街ではない。香港人自らが、香港を「自らの家」として捉え直そうと、街角や地下鉄、商店にくまなくメッセージを張り出し、また日々の行動を通して、町全体を劇場の舞台へと変容させたのである。香港のレノンウォールは「絶望のパサージュ」から「語りの回廊」になった。

 しかし、本書が掲載するカラフルな写真やイラストが鮮やかに浮かびあがらせる当時の街角の様子は、今はもう決して香港では見ることができない。「神様……香港はこのようで在り続けることはできません。どうか手を差し伸べ、香港に光をもたらしてください」そう祈り続けても、香港のあの時のレノンウォールは蘇らないのか。

 元立法会議員で、天安門事件の記念集会を組織してきた支連会の主席でもあった李卓人は、「共産党の圧力のもと、政府の洗脳のもと、また生きるため生活のための「身売り」や妥協も考えねばならない中で、絶えず抗争のための新しい力を生み出した香港人は、「闘いつづける精神と核心的価値を持ち続けてこそ、専制に対抗し、それによって、日々意味のある人生を送ることができる」。だから、闘いは「いつ終わるのか」などと訊く必要はない」と書いた。しかし、彼は今、許可を経ず集会を組織した罪で懲役14カ月の実刑判決を受け、服役中だ。さらに、国安法の国家政権転覆扇動罪でも起訴されている身で、この「終わらない闘い」をどのように見ているのだろうか。

 確かに香港に存在した壮大で無限の可能性をもつ空間を、そこで行われた表現を私たちは決して忘れてはならない。本書はそれを伝える貴重な記録である。

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