歴史──「音のない世界」に至る
拙著の初版から十六年後の再版において、新疆ウイグル、及び中国における民族問題に関して増補すべきであるが、私は新疆に入ることができず、またSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の情報や紙媒体の報道を繰り返す必要もない。
本文において私自身と関わる部分に着目するならば、その部分から中国民族問題の全体をうかがい知ることができるだろう。全般にわたり悲観に囚われていると受けとるだろうが、これが現実なのである。
現在、私は民族問題の研究にも、呼びかけ、建白、署名活動などの社会的活動にも取り組んでいない。文書の発表も、インタビューも拒んでいる。但し、それは意志が衰えたからではない。
かつて私は問題の解決や変化の促進に希望を抱いていた。たとえ権力の側に変化が望めなくとも、民間社会に影響を及ぼせると期待していた。しかし、今は八方ふさがりになってしまい、一個人の力による変化は不可能であるという事実を確認せざるを得なくなった。もう無駄な努力はせず、自分ができることに専念しようと決心した。
『私の西域,君の東トルキスタン』のムフタルへの手紙「新疆問題の検討」の中の三通目では「逓進民主主主義」を論じた。これは何十年も思索し、今も研究し、執筆しつつある課題である。これに関しては専門書として『逓進民主』(大塊文化出版、二〇〇六年)と『権民一体論:逓進自組織社会』(大塊文化出版、二〇一六年)を刊行した。二冊とも販売部数はそれほどではなく、むしろ「逓進民主制」の課題の一部として著述した『天葬:西蔵的命運』や『我的西域,你的東土』の方が読者に歓迎された。但し、前者では中国の民族問題の構造的な認識を深めたが、解決のための方法までは示せなかった。だが、後者の執筆において「逓進民主制」こそ問題の解決を可能にすると明確に理解できた。鍵を探し回っていたが、自分の手のひらにあると気がついた。もしも「逓進民主制」で中国の政治改革ができれば、厄介な民族問題も解決できるだろう。
言うまでもなく、これは全ての領域にわたる私の信念である。二〇一〇年、私はインド北部のダラムサラ(チベット亡命政府の所在地)を訪問し、亡命チベット人コミュニティで「逓進民主制」の実験を行おうとした。新たな民主主義への路を探索することは、チベット、中国、さらに他の社会の転換に有意義であろうと考えた。だが、チベット青年に激しく反対された。確かに若者たちがけんもほろろに断ったことには理にかなう側面がある。チベット人が亡命したのは正に漢人の制度を脱ぎ捨てるためであり、漢人の私がデザインした制度など受け入れるはずがない。しかも、ダライ・ラマ法王のご意向のもとで民主的な選挙を完璧に実現しており、新たな民主制のモデルなど必要ない。
しかし、今日までの亡命チベット人が歩んできた民主主義の軌跡を振り返ると、私は嘆息せざるを得ない。二〇〇六年五月二十六日、ダライ・ラマ法王と対話したとき、私は代議制の間接民主主義を取り入れないように建白した(王力雄はダライ・ラマ法王と何度も会っており、これは二度目)。何故なら、代議制民主主義は亡命チベット人コミュニティを「現地化」へと方向づけてしまうからである。亡命チベット人コミュニティからの投票は代議制の選挙プロセスと当選者の視野を亡命先の小さなコミュニティへと縮小させ、世界の亡命者コミュニティのモデルである亡命チベット人コミュニティを凡庸な民主主義の枠組に限定させてしまう。
確かに民主主義は通常の社会においては凡庸であるべきだが、しかし、亡命チベット人という存在そのものが通常ではない。今や「フリー・チベット」運動が「フリー・ウイグル」運動より全く目立たなくなっているが、それは何故か? だが、これは別の研究課題であり、本稿ではこれ以上展開しない。
中国の民族問題に関して、私がやるべきことは、もうやり尽くしたようである。文章の他には何も役に立たず、成し遂げたことは一つもないにも拘わらず、八方ふさがりになってしまった。パウロのいう「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです」(聖書「テモテへの第一の手紙」四章七節)、また諺の「人事を尽くして天命を待つ」を思わされている。評価は歴史に委ねるが、私は一定の変化は必ず起きると確信している。
歴史において不敗の帝国は存在していない。ソビエト連邦の崩壊は、想定外の数々の激動が凝縮されたような一夜から始まった。卑小な個人の生命は一瞬だが、歴史の大河は激しい勢いで逆巻きながら流れていく。その到来は、遅かれ早かれ、必ずやって来る。微力な個人は推し進められないが、阻止もできない。
私はかつて『私の西域、君の東トルキスタン』で次のように書いた(日本語版、六八~六九頁)。
しかし、人々が請願したり、抗議したり、さらには暴動を起こすとき、彼らは問題解決にまだ希望を持っているのだ。彼らが何もしなくなったとき、それは安定ではなく、絶望である。鄧小平は「一番怖いのは人民大衆が静まり返ったときだ」と言ったが、明言というべきだ。遺憾なことに彼の後継者はそれが分かっていない。(略)人を死地に追い込むようなやり方は一時期人を震え上がらせることはできても、長い目で見たらより大きな爆発を醸成することになる。すべての矛盾を「芽のうちに摘み取る」ことは、本当の矛盾の消滅ではなく、矛盾を抑圧し、深め、積み重ねるものであり、音のない世界に突然雷が鳴り響くように早晩予測もつかない事件を引き起こすだろう。
今日、私が民族問題について憂慮することは、もはや国家の領土の保全、民族文化の存続という関心は萎えており、ただ一点のみである――その危機(とき)が到来する際、さらなる激烈な爆発になるか、或いは和平が訪れるかということしか考えなくなっている。漢人=私の属する民族はイリハムやアーナク・タシの民族と怨恨による殺し合い,戦争に陥らないようにと、ただ祈るばかりである。
『我的西域,你的東土』二〇二三年第二版より
「権力に尻尾を振り媚びへつらうのは恥辱」だと官製の中国作家協会から独立。一九九九年、新疆で調査研究を進めるが「国家機密窃取」容疑で拘束され、獄中で出会ったウイグル青年と本音で語りあえるようになり、『私の西域、君の東トルキスタン』でいち早く新疆の「パレスチナ化」に警鐘を鳴らした。また中国の未来の不透明性と世界への悪影響を警告した『黄禍』(集広舎)、オーウェルの『一九八四』に優るとも劣らぬデジタル全体主義を活写した『セレモニー』(藤原書店)、『「ハイテク専制」国家・中国』(藤原書店)など著した。独立中文筆会自由創作賞など受賞。