特設記事

増補改訂『我的西域、你的東土』増補部分の翻訳

集広舎編集室より

 王力雄氏の著書『我的西域、你的東土』(日本語版『私の西域、君の東トルキスタン』集広舎、2011年)が、初版から16年を経て、本年(2023年)台湾にて重版(増補版)されました。
 新たに追加された「十六年後続篇」の日本語訳を、原著者・王力雄氏の許諾を得てここに公開いたします。翻訳者は日本語版の監修と解説を担当された劉燕子さんです。
 訳文の前に、劉燕子さんの小論を掲載いたします。

王力雄『私の西域、君の東トルキスタン』表紙

書名/私の西域、君の東トルキスタン
原書名/我的西域、你的東土
日本語版発行日/2011年01月24日
著者/王力雄
訳者/馬場裕之
監修+解説/劉燕子
発行/集広舎/A5判/並製/472頁
定価/3,320円+税
ISBN 978-4-904213-11-7

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「絶望が虚妄であるのは希望と同じである」──出版「十六年後の思索」の勧め

劉燕子

 王力雄は『私の西域、君の東トルキスタン』を出版してから「十六年後の思索」を増補版に寄せました。そこには新鮮なソースによる情報も、統計的な数字も、耳目を集めるセンセーションもありません。それでは、ウクライナ戦争、緊迫する台湾海峡、内閣改造など数多くのニュースが目まぐるしく飛び交う昨今の大衆消費社会の読み手にとって、一体どのような意味があるのでしょうか?
 とは言え、たとえ内外のメディアや研究者が特権を得て新疆に入ることができても、そこの真相や真実が見えるのでしょうか?

 これまで中国民主・民族問題研究者・作家の王力雄の邦訳は既に数冊も出されてきました。その一冊に『私の西域、君の東トルキスタン』があり、筆者は監修と解説を担当しました。
 王力雄は,中国民主化の「アキレス腱」は少数民族問題であると先駆的に認識し、まずチベットに注目して、一九九八年に『天葬:西蔵的命運』を明鏡出版社から上梓しました。
 翌一九九九年、彼は新疆ウイグル自治区に赴き独自に調査しました。そして新疆建設兵団の所謂「内部文書」を借りて帰途についたとき、背後に迫る「罠」に全く気づかずに「国家機密窃取」容疑で拘束されました。
 訊問の時、王力雄は二重の恐れを痛切に感じました。一つは協力・支援した友人を裏切ることで、もう一つは自由を失うことでした。
 彼は恐怖のために“裏切り者”になるのを恐れつつ、その恐怖の結果から逃れられないことも確信して怯えていました。もし、そうなるならば、たとえ自由を得られたとしても、友人が自分の巻き添えになった結果を目にし、人々から後ろ指をさされる屈辱を受けるようになってしまう。そのような自由や人生に何の価値があるだろうか? そう生きるくらいなら死んだ方がましだ。
 このように考え、近視メガネからレンズをはずし、割り、鋭く尖ったガラスで頸動脈を切り、失血死をはかろうとしましたが、一命を取りとめました。
 二〇一一年三月、筆者は王力雄を招聘しました。来日し、拙宅で語り合ったとき、筆者の問いかけに、彼は少し首を傾けながら物静かで穏やかに「イヌのクソのように生きたくなかっただけだ」とほほえみました。

 新疆での入獄は、王力雄の転換点でした。
 監獄の扉が彼の背後で音を立てて閉まった時、新疆に入るもう一つの扉が音もなく開きました。その扉の中の新疆は文書、書籍、情報における記号ではなく、本当の血肉、情感、そして体温がありました。その時から、王力雄は新疆の土地と、その土地で生活する人々と血脈が通じ、ともに呼吸しているようになりました。彼にとって新疆は「観念」ではなくなり、地元の民族は観察の「対象」ではなくなりました。生命の中で分別できない一部となり、身体に痛みを感じさせ、また情愛も呼び起こす存在になりました。
 その監獄は政治犯を収容しており、そこで王力雄はウイグル青年のムフタルと出逢い、「兄弟のような友人」となり、心を開いて話し合いました。牢獄に閉じ込められた漢人とウイグル人の二人は、それぞれの民族の代表者のような立場で新疆問題の解決をめぐり議論しました。

 それ以来、二〇〇八年にチベット自治区の区都ラサでの「三・一四事件」、二〇〇九年にウルムチでの「七・五事件」、ウイグル人「再教育」収容所、少数民族への文化的ジェノサイドのさらなる深刻化、盟友の劉暁波の逮捕と獄死、国際公約であった香港「一国二制度」の形骸化、異論を取り締まる「香港国家安全法」の執行、公立図書館での王力雄や妻オ―セルの書籍の閲読停止、中国本土への持ち込み厳禁などなど。
 ついに二〇一五年末、王力雄は出国さえ阻止されました。搭乗の前、空港で「少数民族の独立を支持し、中国政府の顔に泥をぬった」などの罪状を詠み上げられましたが、証拠隠滅のため手渡されませんでした。オ―セルとともに表現者として闇に葬られ、事実上の国内亡命に追い込まれています。

 ご夫妻は手で触れられるような危険にさらされながら、私たちと同時代に生きています。か細い声を出そうとしています。
 押しつぶされた沈黙に閉じ込められたイリハム・トフティ、テンジン・デレク、ムフタルたちの存在を提起し、声なき声から、中国では民族の怨恨は解消されなければ、民間では敵対関係が続き、和平の実現は遠く、内戦・流血の危険性は存在すると警鐘を鳴らしているのです。
 海を隔てる日本で、手をこまねいて対岸の火事のように座視できるでしょうか。
 魯迅の「絶望が虚妄であるのは希望と同じである」が想わされています(『野草』所収「希望」より)。

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