BOOKレビュー

書評『マオイズム(毛沢東主義)革命』

書名:マオイズム(毛沢東主義)革命
副題:二〇世紀の中国と世界
著者:程 映虹
翻訳:劉 燕子
発行:集広舎(2021年09月01日)
判型:A5判/上製/519ページ
価格:4,500円+税
ISBN:978-4-86735-018-8 C1022
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評論家 三浦小太郎

これは考えさせられる本でした。ペルーの過激な毛沢東主義組織「センデル・ルミノソ」が、1980年代、資本主義への道を選んだ裏切り者として、鄧小平と書いた紙を張り付けた犬を殺して街路樹に吊り下げ、さらにはペルーの中国大使館に爆弾が投げ込まれたというエピソード(326頁)は衝撃的。でも、この「センデル・ルミノソ」の性格は、ある意味毛沢東主義の最も典型的な姿を現している。

センデル・ルミノソのリーダーで哲学者(と書かれているが、私には本書に紹介されている彼の思想を読む限りカルト宗教としか思えない)のグスマンは、要するに、社会の正義や公正の実現、そして精神を資本主義の物欲から解放する、という建前の下に、抽象的な宇宙論やら何やらを説き、メンバーをいかにも自分たちが世界の本質を理解し全人類の解放を目指しているかのように洗脳していきました。

一方で、この汚れた世界を破壊するものとして暴力を礼賛、革命運動に参加しないものはすべて敵だという無差別テロをすすめ、メンバーにはグスマンへの絶対服従を強き、民衆を解放すると言って実際には暴力的に彼等から物資を奪い取る「革命政党であるというだけではなく、テロ組織であり、やくざ組織」(352頁)だったのです。しかし、センデル・ルミノソは極端な例ですが、これって毛沢東主義の本質がすべ現れているように思えます。

しかし、なんでこんな暴力的な思想に人々が熱狂したのか、ということを私たちは考えないといけません。その意味で、本書で最も興味深いのは第4章「『新人』を製造する」だと思いますが、そこでは、マルクス以後の共産主義運動が、「新しい社会を建設するだけではなく、新たな人類という意味の出『新人』を造り上げる」(226頁)であったことが、ロシア革命の歴史からわかりやすく説かれています。革命闘争と共産主義建設の中で、人間は生まれ変わる、私的欲望から解放され、個人と社会全体が高い地点で調和した社会が生まれる、という、ある種のユートピア幻想ですね。

60年代、ある意味このイメージの象徴となった一人がチェ・ゲバラで、本書は今なお続くゲバラの美化、聖化に対し、ゲバラの人間性は評価しつつも、その根本的な誤りについて指摘しています。ゲバラは確かに自己犠牲の精神を持ち、抑圧された人々を救おうという情熱と行動を貫いたかもしれない。しかし同時に彼は、物質的欲望を悪しきものとみなし、犠牲的行動だけが人間にとって素晴らしいものだと信じ、しかも、すべての人間をそのように「改造」することができると考えていました。

「資本主義的で利己的な我欲を克服、或いは根絶するためには、社会全体が巨大な学校に転嫁しなければなら」ない、このゲバラの考えを推し進めれば、社会全体が学校ではなく、毛沢東主義に全国民を染め上げるための収容所国家になるか、或いは、その思想を受け入れない人間を暴力的に攻撃し排除する文化大革命国家になるしかりません。

現実の毛沢東主義は、毛沢東本人がそうであったように、権力欲の塊のような独裁者とその取り巻きが、自分たちを神の様に崇拝させるシステムを生み出します。しかし、それを造り上げるために活動する人々は、実はある種の歪んだ理想主義者で、自分の理想とする者のために自己犠牲もいとわないけれど、同時に、他者を攻撃し時には殺害することもいとわない人々なのです。

理想を持つことは私はむしろ大切なことだと思います。理想や信仰などいらない、この世は力関係とお金で、後は各自の利害を調整すればいいんだ、などという考えは人間を果てしなく堕落させるでしょう。しかし、理想を持ち自らを律することと、理想の名の下に他者を否定すること、自分の主観的な理想を他者に押し付けることは全く違います。いろんなことを考えさせられる本で、集広舎さんはいつも(失礼ながら)あまり売れそうにないけど大切な本を出してくれてほんと感謝しております

週刊エコノミスト

「毛沢東主義」の混乱と惨劇を今、知るべき理由=加藤徹

Twitter:福島香織氏(ジャーナリスト。元産経新聞記者)のツイートより

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