チベットの精神的指導者ダライ・ラマは、2018年秋に25回目の来日を果たした。横浜、東京、千葉、福岡で法話や講演を行ったほか、NHKなどのマスコミインタビューにも応じ、10日間の来日日程を精力的にこなした。
今回の来日の最大のイベントである横浜パシフィコの3日間の法話、灌頂は、平日午前中の開催だったこともあり、会場の多くを台湾、モンゴル人、韓国人などの外国人が占めた。
80代となった今も元気に世界を飛び回るダライ・ラマだが、その動きに神経を尖らせる中国への配慮から訪問できない国が多い(ダライ・ラマ訪問という外交リスク)。中国の影響力が増すアジアでは、亡命先のインドを除き、ダライ・ラマにビザを発給できる国は日本くらいである。アジア各国から多くの人がダライ・ラマに一目会うために来日するのはこうした事情がある。
なやましいダライ・ラマの後継者問題
チベットの国家元首だったダライ・ラマは、中国によるチベット侵攻後、1959年にインドに逃れて亡命政権を樹立。以来、チベット問題の解決に取り組んできた。2011年に政治引退したが、今も中国とチベットの関係の鍵となる人物である。
彼が83歳になったいま、最大の焦点がその後継者問題である。
チベット人は人の生まれ変わりを信じている。この信念に基づき伝統的なダライ・ラマ制度は、ダライ・ラマの遷化後は、生まれ変わりの子供を探し、認定し、後継者とするプロセスを踏襲してきた。当代ダライ・ラマもこのようなプロセスによってダライ・ラマとなっている。(参考記事)
世界的にユニークな転生認定による後継者選びだが、そこには欠点もあり、今の時代に馴染まない面がある。 具体的には、(1) 認定プロセスが政治的陰謀に巻き込まれやすい、(2) 転生者が成人して実権を得るまで約20年の空白期間が生じ、その間、体制が脆弱になる、という点だ。
実際、ダライ・ラマに次ぐチベットの精神的指導者のパンチェン・ラマの転生認定時(1995年)には、中国が介入して二人のパンチェン・ラマが擁立されるという混乱が生じた。
現行のダライ・ラマ制度が踏襲されれば、パンチェン・ラマの後継者選びのときと同様に、当代ダライ・ラマの遷化後、中国政府が選んだ親中派のダライ・ラマと、亡命政権側が擁立する「本当」のダライ・ラマの二人が並立するおそれがある。そうすれば、日本の南北朝時代のような正統性をめぐる「異常事態」に突入しかねないのだ。
こうした混乱によりチベット亡命政権の求心力や情報発信力を削ぎ、チベット問題を分断して風化させるのが中国側の真の狙いといわれている。そんな中国の動きを警戒し、チベット亡命政権側は転生認定制度の運用方法の見直しを図っている。
具体的には、90歳くらいになったら(2025年)現行制度を見直し、その今後を決めたいとダライ・ラマは公式に言明している。また、「(自身は)チベット本土に生まれ変わることはない」と発言して中国側を牽制しているほか、「生まれ変わらない(=ダライ・ラマ制度の廃止)」という選択肢もありえると示唆している。また、2018年11月のNHKインタビューでは、「すでに成人した僧侶に転生する可能性もある」と述べている。
だが、後継者問題がどうクリアされようと、現ダライ・ラマが亡くなれば、チベットの自由に向けた運動が大打撃を受けることは必至だろう。
民族運動は本質的にきな臭い
なぜか。これまで当代ダライ・ラマのカリスマと立ち位置が、民族問題を強く意識せず世界の人々がチベットに関心を持つことを許してきたからだ。
当代ダライ・ラマの個性が失われれば、チベット問題は他の多くの民族の運動同様、むき出しの民族主義になってしまう可能性がある。
世界には多くの民族運動がある。
北アイルランド、ツェツェン、パレスチナ、クルド、バスク、そしてIS。これらの民族運動に対し、わたしたちの多くは共感や同情を感じるより前に、「怖い」「不穏できな臭い」と感じてしまう。
それらの民族運動が市民を巻き込むテロを引き起こしてきたことを連想するからだ。また、歴史的経緯や利害関係が複雑で理解に時間がかかると、(かわいそうな子供の写真でも見せられない限り)直感的に共感するのがむずかしくなる。
外部の同情が得られようが得られまいが、どんな民族運動もその本質は不穏できな臭い。どこかの国で少数派が多数派に意義を申し立て、分離を要求し、それが国際問題化すれば、必然的に既存の秩序やバランスが不安定になるからだ。
また、民族運動は時勢により外部の特定の勢力やイデオロギーと磁石のように結びつきやすい。さまざまな政治的な「色」がつきやすいのだ。
たとえば1970年代、新左翼系の武装組織である日本赤軍とパレスチナのむすびつきは、パレスチナ問題に関心を持ちたい日本人にとって大きな心理的踏み絵となった。
また、遠く不幸な人々には義憤と共感を感じる人も、実際に火の粉が自分の生活領域に飛び火する事態となれば、「かわいそう」とばかりは言っていられなくなる。
「シリアの人たちには同情する。でも実際に近所がシリア難民だらけになるのは困ります」というヨーロッパで蔓延するNIMBY(=うちの裏庭だけはやめて)心理や移民忌避感情はその格好の例といえる。
ダライ・ラマは「いじめられっ子」であることを止めた
そんな民族運動特有のきな臭さ、国際世論の頼りなさをダライ・ラマはユニークなやり方で「止揚」してきた。そのおかげで世界中の多くの「善良な市民」が素直に自分の感情にしたがってチベットに共感できるようになった。
具体的にはどんなやり方だろうか。
教室にいじめられっ子がいたとする。賢明で合理的な子供なら、その子はいじめっ子AのライバルBにすり寄り、Bと共同戦線を張ることでAからの解放を目指すだろう。
教室内のパワーバランスを利用して敵の敵にすり寄る弱者の戦略だ。
だが、その戦略には欠点とリスクもある。
B陣営と一体すると、その陣営に属さない人には自分特有の問題をアピールしにくくなる、というのが一つ。そしてもう一つは、どこかの時点でAとBが和解してしまうと、ハシゴを外されたいじめられっ子は支援者を失ってしまう、というものだ。
初期の苦い体験を経てダライ・ラマはこうした戦略の限界を知り、「いじめられっ子」の常套手段をあえて放棄した。そして、「そもそも敵と味方に分ける考え方が間違い」、「人類は一つ」、「大切なのは思いやり」というような、仏教哲学理想主義に軸足を置き、超然とした立ち位置を作り出し、あらゆる場所で味方を増やしていった。
世界のチベットの支援運動があまり敵を作らずやってきたのは、こうしたダライ・ラマの高い立ち位置が功を奏したからにほかならない。
それはある意味、究極のリスクヘッジといえるだろう。
穏健リベラルなダライ・ラマの真意
ダライ・ラマの言葉は良識的で穏健な中道リベラルの金太郎飴だ。
穏健さと良識という点でダライ・ラマの著述や発言は驚くほど一貫している。そこから逸脱する冒険的発言、過激で挑発的言説、オフレコの失言の類は見たことがない。
「どんな人もしあわせを求めて生きています」という誰も反論できない枕詞のあとに、物質至上主義の空虚さ、思いやりや正直さなど「世俗的」倫理の重要性を強調する。寛容、エコロジー、軍縮、フェミニズム、民主主義などの価値の前進を訴え、人類の一体性を説く。世界の貧富の格差の増大を懸念し、贅沢を諌める。
かといって消費文化やグローバル資本主義を真っ向から否定も糾弾もしない。中絶、同性婚や安楽死、移民問題など「尖った問題」には直接答えて立場を明らかにしようとしない。「どんな宗教も本質は同じ」として、いかなる神学論争にも立ち入らない。
リベラルでオープンなポップアイコンとしてのダライ・ラマのイメージは、1997年のアップルの広告キャンペーン、“Think Different”に依るところが大きいかもしれない。ラリー・キング・ライブなどの欧米の大衆向けテレビにもたびたび登場し、オープンで気さくな人柄を晒した。今も昔も国際社会でそんなポジションを獲得できたアジアの政治家は、マハトマ・ガンジーとダライ・ラマくらいだろう。
世界のどこでも天変地異があれば祈りを捧げ、弱者を思いやり、社会の安寧を祈る。非暴力による中道アプローチを掲げ、「チベットは(アメリカの支援によるチベット人反中ゲリラ運動が打ち切られた)1974年以降、独立を求めていない」と明言する。
こうした柔和なあり方は、どこか日本の皇室とも共通している。
僧衣を着ていない人が同じことを言ったら…
だが、ダライ・ラマのこうした離れ業は一代限りの至芸で終わる可能性が高い。
逆説的ではあるが、ダライ・ラマの中道リベラル路線が世界の支持を得るのは、彼が近代の伝統から最も遠い神秘の国からやってきた、オルタナティブな文明を体現する人物だからといえる。緋色の僧衣を纏った人物がブロークンな英語で、グローバルスタンダードの道徳を説く。そのギャップがダライ・ラマの強みなのだ。
仮にアメリカの大学を卒業し、背広を着て、投資会社で勤務体験のあるエリート臭をまとったアジアの指導者がダライ・ラマと全く同じ内容を語ったとしよう。国際社会がそれに耳を傾ける度合いははるかに低くなるだろう。
また、そういう人物は自陣営をまとめるのも難しいかもしれない。民族の団結を図りつつ、その声を一つにして世界に届かせようと思えば、「邪悪な支配者の不当な支配、覇権的脅威」という論点に絞り、ひたすらラウドスピーカーで恐怖と不安を煽るしか方法がなくなるかもしれない。
そうすればダライ・ラマが作ってきた多様な支援者の基盤は失われてしまう。
チベットに共感し関心を持つ人は実に多様だ。
弱者に寄り添う人道主義者。革命に胸躍らせる民族主義者や社会主義者。左派リベラルのエコロジスト。歴史学者、仏教学者、言語学者、文化人類学者、そして東洋哲学に傾倒する科学者。
現代文明にオルタナティブな生き方をしたいバックパッカー、冒険野郎、アーティスト、ミュージシャン、ヨーギ、詩人。
管理社会に息苦しさを感じるフリーター、引きこもりの息子を持つ父親、介護に疲れた主婦。行き詰ったポストモダンの思想家、贖罪を望む金持ち。
古来の道徳復興を願う宗教右派、中国の独裁体制の打倒を望む人、あるいは単に中国がきらいな人。
それら全ての人がダライ・ラマを敬い、チベットの現状に胸を痛める。
ほとんど共通点のない人々がさまざまな「思い」をチベットに投影することを許し、それを緩やかに自らの民族運動と連携させる。そうすることで、ダライ・ラマは結果的にチベットを本来の身の丈をはるかに超えたソフトパワーとしてきた。
象徴が失われた世界
世界情勢にはきな臭さが漂い始めている。人々はグローバル化に疲れ、社会は分極化が進み、ナショナリズムが先鋭化している。
ダライ・ラマ亡き後のチベットの運動は、魅力的な物語が剥落した「ただの民族運動」になってしまうおそれがある。
すべてを包み込む穏健で良識的なダライ・ラマがいなくなれば、同床異夢の人々は夢から覚める。目前にはむき出しの民族主義という「踏み絵」が置かれていることに気づくだろう。
チベットはより激しく現状打破を訴える人々との共闘態勢を強めていくかもしれない。それは、「本当のしあわせ」「思いやりある社会」「絶対平和」「非暴力」など聖者の言葉に酔いしれていた善良でピュアな人々に激しい認知的不協和を引き起こすだろう。
それはチベットのソフトパワーの弱体化を望む中国にとって願ってもないシナリオだ。
ダライ・ラマという偉大な指導者が失われたとき、チベットの道はあまりに険しい。それを一番、よくわかっているのがダライ・ラマ自身だろう。
ダライ・ラマ英語スピーチ集
Be Optimistic! 楽観主義でいこう!(CD付き)
下山明子・編
集広舎 ISBN 978-4-904213-52-0 C0082
価格:1,300(本体1,204円+税)円
判型:A5判並製/96頁
ダライ・ラマ 声明 1961-2011
著者:ダライ・ラマ十四世 テンジン・ギャツォ
訳者:小池美和
判型:四六判/並製/350頁
定価:本体1,852円+税
ISBN978-4-904213-53-7 C0031