世の中にはすごい人がいる。

たとえば、桐島かれんさん。圧倒的な美貌、センスの良い服、旅行、インテリア、食事。円満で幸福な家庭と優雅な日常。それらを商品化し、40代後半で本格的に社会での活動を再開。「ハウスオブロータス」というライフスタイル・ブランドを育てた。今、ハウスオブロータスは青山の洋館風の路面店をはじめ、全国で6店舗を展開している。最初、海外で買い付けた安価な雑貨中心だった品揃えの中心は、徐々にブランド仕様のデザイン品や高単価の服飾品に移っている。宣伝はかれんさん自らを被写体としたSNSとオールドメディアの写真中心だ。

ハウスオブロータスは「異国情緒」「ノスタルジー」「リゾート」をコンセプトとしたハイセンスな中高年女性向けブランド

ハウスオブロータスは「異国情緒」「ノスタルジー」「リゾート」をコンセプトとしたハイセンスな中高年女性向けブランド

成熟した美しいライフスタイルの提唱者である桐島かれんさんからは、作家桐島洋子の娘の七光りタレント、玄人好みのハーフモデルといったかつてのイメージはすっかり払拭されている。

結婚、出産、子育て、キャリア——女性は人生のさまざまなステージでチャレンジに直面する。ここ数十年で社会の中の女性の役割は大きく変化したから、チャレンジの質は世代によってさまざまだ。

そんななか、時代の変化という波にしなやかに乗り、人生のさまざまな点(ドット)を結びつけ、ビジネスに結実させているかれんさんは、私のような同世代女性にとってお手本、女神のような存在だ。

かれんさんご本人に聞いたら、「そんなことないわよ。それはイメージよ。実際、いろんな悩みもあるのよ」ときっと優しくおっしゃるのだろうが……。

活躍する個人

一億総活躍社会の時代。「すごい人」はかれんさんだけではない。同性のよしみか、最近は30代や40代の日本人女性の活躍が目に付く。

「片付け」のコンセプトをアメリカに輸出し、高い評価を受けている近藤麻理恵さん。世界を相手に英語ウェブメディアで絵画手法を教え、インスタグラムに自作の絵を公開して世界からファンを集める女性アーチスト。東大卒、マッキンゼー出身の清楚な女性社会起業家。TEDスピーチでアメリカでの体験に熱弁を振るうIT会社の女社長。

男の子は高学歴を身につけて良い企業に入社し、組織のヒエラルキーをゆっくりと昇っていく。女は勉強はほどほどで良い相手と結婚し、子育てし、家庭を管理する役割。そんな昭和的な人生観はとうに死滅していると誰もが知っているが、それに代わる価値観が確立しているわけでもない。生き方は多様化し、なんでもありと思いきや、意外に若者は保守化しているとも言われる。

そうした反面、ビジョン、個性、勇気を体現し、仕事で世の中にインパクトを与える「すごい人」も確実に増えている。

何もマスコミに取り上げられる著名人だけではない。さまざまな分野で表現方法を工夫し、地道なアウトプット活動で小さな共感の渦を広げて、価値ある物語を提供する市井の「すごい人」はいたるところに生息している。

そうした人の存在を知ることができるツールが twitter, facebook, instagram, youtube だ。個人が情報発信し、個性を売りものにする市場の参入障壁と限界費用は限りなく下がっている。ツールは無料だから、学習や発信の自由は国籍、年齢、性別問わず、ほぼ万人に開かれている。

ゲームのルールは、いかに「役立つ」「楽しい」「気持ちいい」がある情報を発信できるかだ。

「役立つ」「楽しい」「気持ちいい」は国境を超え、言語を超え広がっていく。評価はどこかの時点でカネに結びつき、資本主義を動かす新しいエンジンになりつつある。感情がドライバーだとしたら、その躯体装置はコンピューターアルゴリズムとデータ処理能力のインフラだ。

テクノロジーと共感力。その二つのどちらか、もしくは両方を制御する力を身につけた個人にとって、これほど面白い時代はないだろう。

この12年の変化

考えてみれば、スマホがこの世に出現したのは2007年。わずか12年で世の中は激変した。

12年前、スマホはなく、GAFA もプラットフォーム経済も AI もフィンテックも仮想通貨も誰も知らなかった。子育て中の桐島かれんさんは CM に出たり婦人雑誌のモデルをしながら麻布の自宅で慎ましく不定期に雑貨を販売していた。かれんさんのことが知りたい人は本屋で雑誌を買っていた。

さらに平成が始まった30年前に遡れば、PCもインターネットもなかった。邦銀やゼネコンが世界中の不動産を買い占め、世界の半導体産業の盟主は日本企業だった。雇用均等法世代の私もなんだかギラギラしていて、タイトスカートにトサカのソバージュ髪、赤い口紅でタバコを吸っていた。

変化は予測がつかず、そのスピードはどんどん加速している。

30年前、50代は晩年の入り口だった。一方、55歳で令和の時代を迎えようとしている桐島かれんさんは信じられないほど若々しく美しい。いつのまにか人生100年時代となり、50代はまだ真昼間、折り返し地点に過ぎなくなっている。

気がつけば、電車ではもう誰も70代の「老人」に席を譲らない。70代は労わるには若すぎる。なにせ日本人の5人に1人が70歳以上なのだから。

20代の生き方が30代に、30代の生き方が40代がつながったように、これからの時代、50代の生き方が60代、そして70代、80代につながっていくのだろうか?

果たして「すごい人」以外の凡人も、激変する環境下でなお人類の進化に貢献するような生き方ができるのだろうか? 

わからない。でも少なくとも「昔は良かった」と振り返っている場合ではないのは確かだ。「もう歳だから」もいいわけにならない。「子供が…」「会社が…」「お金が…」。どれもいいわけにならない。

「さてさて」
平成最期の桜を愛でながら、私はそうつぶやく。