Facebookを始めたのは2008年だった。当時、シンガポールに住んでいた。子供の学校の親仲間に言われて登録すると、すでに友達申請が来ていた。だからわたしのFacebook上の名前はローマ字で、友だち第一号はインドネシア人のママ友だ。
彼女のタイムラインの雑多な投稿に混じり、一葉のグループ写真にわたしの名前がタグ付けされていた。自分のタイムラインに移ると同じ写真が載っていた。
そのときはFacebookは新種の内輪のコミュニティ掲示板のようなものかと思っていた。
だが、それは大きな間違いだった。それは内輪どころか、異質な集団間のさまざまな垣根を取り払い、雑多な個人の複層的な「いま」をごった煮にしてタイムライン上に映し出す壮大な装置だった。
アカウント開設からまもなく、「知り合いではありませんか?」のメールがたて続けに届いた。そこには懐かしい高校や大学の知人の名前がたくさん並んでいた。
わたしは注意深くリストをチェックし、「友だちになってください」と申請したり、そうした申請を受けたりした。それはタイムマシンだった。数十年ぶりに旧友や知人とめぐりあい、その投稿から彼らの「いま」がわかるようになった。そのおかげで実生活でもいくつかの交流が復活した。
その後、緩急をつけつつ新しい「友だち」は増えていった。趣味やボランティアを通じて知った人、セミナーや仕事で知り合った人など。
あっちに転がり、こっちに転がりしてきた人生の軌跡を反映し、わたしのFacebookのタイムラインは絶えず複雑性と混乱を増しながらさまざまな投稿が刹那的に消長するようになった。
気がつけば、「友だち」の投稿言語は、日本語、英語から、フランス語、インドネシア語、タガログ語、中国語、チベット語、ウイグル語、モンゴル語、ベトナム語にまで広がっている。自動翻訳の力を借りる機会も増えた。
パーティー嫌いはSNSも嫌い?
つながりを楽しむ一方、いわゆる「SNS疲れ」も知った。いつまでも切れずにつながり続けるうっとうしさ。他人の多幸感や自己顕示に当てられる疲労。脈絡なく「いいね!」を押し続けた後の虚無感。深く考えずにアップしまった自分の投稿への淡い後悔や自己嫌悪。
だが、それはどれも未知の感情ではない。よく考えてみれば、実生活の人付き合いと同じなのだ。Facebookは本質的にリアルの社交やパーティーの祝祭の規模を拡げ、年中無休にしたようなものといえる。
社交やパーティーでうまく立ち回るコツは、誰とも距離感を保ち、あまり深く考え過ぎず、陽気に歩き回ることだ。淡々として、しかしタフであること。それができないときにはパーティーには行かない方がいい。
社会的動物である人と人の「社交」が何百年、何千年前からそういうものだったとすれば、SNSのプラットフォームは単にそれを補助し、拡張する道具に過ぎない。
Facebook上の友だちが死んだらどうなるか
とはいえ、新しいプラットフォームはそれ以前の時代とはまったくちがう人間関係、コミュニケーションや表現の方法、認知や思考の様式を作り出すのも事実だ。そして新しいスタイルと古いスタイルが交錯する過渡期にはしばしば摩擦が不快な軋みの音を上げる。
私事だが昨年末、Facebook上のある「友だち」が死んだ。
リアルでのつながりは薄い知人だった。その突然の死をわたしは共通の友だちのシェア投稿で知った。
Facebookは個人の死という厳粛な事実を伝えるにはいかにも不釣り合いな場所だ。
かといって、リアルの職縁、地縁、血縁を超えてグローバルに人間関係が広がった時代の告知用掲示板として、今日、Facebookほどふさわしいプラットフォームはないのもまた現実だ。
投稿者もよほど悩んだにちがいない。
その画像なしのシェア投稿には、「●●さんがお亡くなりになられました。お葬式は近親者で済まされたそうです。ご冥福をお祈りします」と簡潔に英語と日本語で記されていた。コメント欄は「お知らせいただき、ありがとうございます」、「えー!信じられません。お元気なお姿に4ヶ月前、お会いしたばかりです」、「ご冥福をお祈りします」、「まだお若いのに残念です」などのコメントが溢れかえった。
そのなかには「死因は何でしょう?」というぶっきらぼうな好奇心のコメントもあった。
案の定というか、そのコメントに答えはつかなかった。あるいはFacebookの友だちで死因を知る人は誰もいなかったのかもしれない。あるいは知っていても、コメント欄で軽々とそれを語るのは不謹慎だと思ったかもしれない。
ほどなく「Remembering ●●(●●さんを悼む)」の非公開グループが作られ、参加者による●●にまつわるテキストと往年の写真のアップが始まった。
当然というべきか、故人の死をめぐる事情とその人生の意味を誰よりも知る遺族はそこに何かを書き込んだりはしなかった。遺族でなくとも、故人と深い関係があった友人はFacebookへの書き込みを控えたかもしれない。結果、グループアカウントには、故人の人生との関わりがやや薄い人ばかりが「いい人でした、残念です…」「天国で安らかに…」などの紋切り型を連ねていた。
シュールなSNS上の実存
不気味なのは、そうした「SNS上のお葬式」の横で、故人の生前のFacebookアカウントは未だ閉鎖されず、今もその人格がネット上で生き続けていることだ。200近くの「いいね!」が付いた家族旅行の写真。プーケットの豪華リゾートの夕日、故人がプールにふざけて飛び込む写真。投稿はもう更新されないが、さりとて昔の投稿が清算されることもない。
それは、まるで閉鎖手続きをするひとがいない死者の銀行の幽霊口座のようだ。
かりに死が告知されず、故人のリア充投稿傾向を知悉したAIが故人に代わりダミーの投稿を続けたとしよう。その死を知らないわたしは陽気な●●さんの楽しい体験──異国のカラフルな料理やゴージャスな絶景──に0.1秒の反射神経で「いいね!」を押し続けているにちがいない。
あるいは、わたしたちはすでに今日も無数の死人のAIダミー投稿に心を乱されたり共感したりしながら、人とつながり、人生を生きたつもりになっているのかもしれない。
パーティーが終わらない世界
リアルとバーチャルが絡み合う世界はまだ始まったばかりだ。Facebookアカウント保持者の死が一般的になれば、より定型化された「SNS上の倫理:『友だち』の正しい悼み方、正しいアカウントのたたみ方」が定着するのかもしれない。
それは一体どんなものになるだろうか?
「今は亡き●●さんの人生を振り返ってみましょう」的なおまとめストーリーの自動作成アルゴリズムはどうだろうか。試作版はすでに開発中の可能性がある。そうしたストーリーでは、死んだアカウント保持者のプロフィール写真は黒枠と白菊のデコレーションで飾られるのだろう。
そんな風に自分の人生がFacebookのアルゴリズムでまとめられるなんて考えるだけでゾッとする。少なくとも、自らの死が近いと予見した段階で、「友だち」に最期の挨拶をしてSNSアカウントの始末をしておきたいものだ。
でも、もし明日死んでしまうとしたら?
ふつう、人はパーティーで踊っている最中に自分が死ぬことなど考えない。それは今も昔も同じだ。
だが、昔のパーティーと今のパーティーには明らかなちがいがある。昔のパーティーには終わりがあった。だが今のパーティーには終わりがない。人が常時つながり、互いを承認し合い、終わりのない情報の洪水の中で踊り続ける2019年の世界では、意識的に「自分の終わり」を見据え、「人生で一番大切なこと」「意味があること」に集中する必要がある。さもなくば、あっという間に人生は尽きてしまうだろう。
スティーブ・ジョブズの「もし今日が人生最期の日だとしたら何をするだろうか?」をわたしの今年の銘とします。
みなさまにとって今年が良い年となりますようお祈りします。