シンガポールは欧米文化の成分が濃い。19世紀に作られた植民地建築は今もシンガポールのランドマークだし、島内にはエクスパットといわれる富裕な欧米人が今も多く住んでいる。港町らしいレトロでハイカラな空気感は横浜や神戸に通じるものがある。

 とはいえ、シンガポールの欧米コネクションは横浜や神戸より、さらに古く、深く、太い。

リトルインディアより中心部を臨む。オレンジ色の瓦屋根と高層建築の景色

リトルインディアより中心部を臨む。オレンジ色の瓦屋根と高層建築の景色

「欧米列強からの解放」という微妙な過去

 シンガポールやマレーシアでは昔から白人は「アンモー(Ang Mo、紅い毛の人)」と呼ばれてきた。

 日本語の「ガイジン」、「青目」のニュアンスだろうか。

自国が「昭南島」と呼ばれていた時代を解説するシンガポールの歴史教科書。日本軍による華僑大虐殺など凄惨な史実の記述は抑えめだ

自国が「昭南島」と呼ばれていた時代を解説するシンガポールの歴史教科書。日本軍による華僑大虐殺など凄惨な史実の記述は抑えめだ

 その昔、ユーラシア大陸の西端に住んでいた肌の白い人たちは、故郷を離れ、遠くアメリカ大陸やオーストラリア大陸、ニュージーランド、ハワイ、アフリカ南端などに移住し、多くの人が二度と故郷に戻らなかった。だが、東南アジア、中東、アフリカでは大半の場所から引き揚げてしまった。

 エアコンがない時代、それらの場所は「アンモー」に暑すぎたのだろう。

 強い日差しの下をショートパンツに赤ら顔で歩き回る太り気味の白人。強い酒を好み、動物性食品を大量摂取し、辛い味が苦手な人々。そんな北方民族をシンガポール人は今も親しみを込めて「アンモー」と呼ぶ。

 「西側世界」とのつながりが失われたらシンガポールはどうなるか。それを住民は第二次世界大戦中に思い知った。

 1942年2月から1945年9月までの3年半にわたり、シンガポールと宗主国の紐帯は日本の占領によって断ち切られた。「欧米列強からのアジアの解放」を日本は謳ったが、一貫して厳しい戦況下に日本が置かれるなか、軍政下の生活は厳しく多くの住民が飢えた。少数派のインド系やマレー系は相対的に優遇され、多数派の中華系住民(抗日華僑)は弾圧されるなど、民族ごとに異なる状況に置かれ、小さい島の複雑な民族事情にナショナリズムが暗い影を落とした。

 それでも建国後、シンガポールは反日教育をしなかった。それどころか、「敗戦から立ち上がった日本に倣え!日本企業を歓迎せよ!」とリークアンユー前首相は国民に檄を飛ばし、排外主義を抑えた。

ハイブリッドなビジネスと文化

 今日のシンガポールは欧米とアジアを自由に往来するハイブリッドな人々の起業の中心地でもある。

 たとえば、世界中の旅行者のあいだに「アマン・ジャンキー」を生む洗練されたブランドで、シンガポールに本拠を置くアマンリゾーツ(Aman Resorts)。

洗練されたアマンリゾーツのホテルを作ったのはプラナカン的美意識

洗練されたアマンリゾーツのホテルを作ったのはプラナカン的美意識

 創始者のエイドリアン・ゼッカはプラナカン華人、インド人、チェコ人の血が混ざるインドネシアの旧家に生まれた。ゼッカの父は1923年に「インドネシア人」として初めてアメリカの大学を卒業したという。ゼッカ自身も米国で教育を受け、ニューヨークでキャリアをスタートさせた。一族が数世代かけて身につけた欧米的な素養にもとづいてアジアの魅力を切り取り、世界の富裕層を魅了するビッグビジネスに育てた。

 あるいは、シンガポールに本拠を置く東南アジア最大の自動車配車アプリ、グラブ(Grab)。

アジアにひろがる配車サービス

アジアにひろがる配車サービス

 創業者のアンソニー・タンは若干37歳、福建系華人のマレーシア人だ。タンはクアラルンプールで日産自動車の販売店を営む裕福な家庭に生まれた。高校を卒業して渡米、ハーバード大のMBAコースに在学しているときに配車アプリのアイディアを思いついたという。2011年、同大学の「新規事業コンペティション」で優勝してグラブを創業。グラブの初めてのエンジェル投資家はタン自身の母親だった。その後、同社はソフトバンクグループからの投資を受け入れ、ソフトバンクの「ライドシェア連合」の一角として決済や配送の分野でも事業拡大中である。

老舗ブランドのような外観からTWGが新興ブランドと知らない人も多い

老舗ブランドのような外観からTWGが新興ブランドと知らない人も多い

 最後に、最近シンガポール土産として知られるようになった紅茶ブランドのTWG。

 モロッコ系フランス人タハ・ブーディブがシンガポールで創業したTWGは、2008年にラッフルズプレイスのショッピングモールに一号店を出した後、急成長した。ブーディブは創業前はパリの老舗紅茶会社「マリアージュフレール」で働いていたという。そのノウハウを生かしつつ、「いにしえの大英帝国の紅茶貿易」を彷彿とさせるシンガポールのイメージを生かして創業した。

水が高いところから低いところに流れるように…

 欧米諸国とシンガポールの蜜月は今も続く。独立し、奇跡の変貌を遂げ、世界有数の先進国となった今もシンガポールには西洋租界の空気が残っている。

 広い家に住み、メイドを雇い、パーティーを楽しみ、地の利を生かして休暇は家族でアジア各地を旅行する。そんな19世紀の大英帝国時代の白人エクスパットの生活スタイルは、本質的には21世紀のいまもそんなに変わっていない。

 違いは、そんな生活を楽しめる人々とそうでない人の境界線が徐々に肌の色や国籍でなくなっていることだ。

 欧米発のグローバルスタンダードとイノベーションが新興国に広がり、膨大な量の石油や物資を乗せた船が、マラッカ海峡を航行し、マネーは瞬時に世界を動き回る。そして、富を求める企業と進取の精神に満ちた人々は税金が安く、自由で、政治が安定した場所に集まる。世界がそのようなあり方を続ける限り、シンガポールの繁栄が陰ることはないだろう。