論文の倫理的な見直し
BMJ Openに発表された研究論文には、中国での推定85,477件の臓器移植に対する倫理問題が提起されています。445本の研究論文の99%でドナーが臓器提供に合意したことが報告されていません。
──英国貴族院議員リビエロ卿(イングランド王立外科医師会元会長)
2020年9月2日 貴族院での『医薬品と医療機器に関する法』修正案の討議で
上記の引用は、第17回の連載コラムで取り上げた小さな修正案の討議過程での発言だ。この研究論文に関しては、10月28日の委員会の審議でも、シェイク卿(保守党)、コリンズ卿(労働党)が同じ論文に言及し、コリンズ卿は英国ガーディアン紙(2019年2月5日付原文)でも報道されたことを指摘している。
2019年の研究論文
この研究論文は、『中国での臓器移植に関する(査読された)専門誌に見られるドナー情報源の報告と倫理審査における倫理基準の遵守:スコーピングレヴュー(予備的評価)』(“Compliance with ethical standards in the reporting of donor sources and ethics review in peer-reviewed publications involving organ transplantation in China: a scoping review” 英語原文)と題するもので、2019年2月5日に医学雑誌『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル オープン』で発表された。平たく言うと「中国での臓器狩りに基づく論文が、なぜ英語の専門雑誌に掲載されるのか?」「査読者(論文の内容をチェックする同じ分野の学者)や編集者は何をやっているのか?」を指摘する調査だ。
7名の執筆者のうち3名は「中国・民衆法廷」の証言者であり、その中のウェンディー・ロジャーズ教授(第3回「国際移植学会と中国」参照)とマリア・フィアトローネ=シン教授(第5回「名誉教授の肩書更新を停止ーシドニー大学」参照)がこの論文について証言している。
12カ月にわたりボランティアの調査チームと共に調査し、肝臓、肺、心臓の移植臓器が関わる研究報告の論文445本が抽出され(腎臓に関しては、死体ドナーか生体ドナーかの明示がないので除去されている)、臓器源の記載が「倫理基準」に見合っているか評価された。「倫理基準」とは、国際移植学会・WHO・世界医師会の掲げる倫理基準に準拠するもので、査読者および学術誌の編集者は、下記の事項を常にチェックすることが求められている。
- 研究に処刑された囚人からの生体臓器が使われているか?
- 研究は IRB(Institutional Review Board:研究倫理委員会)の承認を得ているか?
- ドナーの合意を得たか?
その結果、445本の研究論文で用いられている2000~2017年に行われた85,477件の臓器移植の86%が、臓器が倫理的に入手されたという証拠もしくは言及に欠けていることが判明した。処刑された囚人からの臓器は用いなかったと明示する論文は33のみだったが、2010年以前の移植手術の臓器源はすべて「処刑された囚人」であると中国が認めているので、33のうち19の論文は虚偽とされた。
「中国・民衆法廷」の要請で、ロジャーズ教授は対象となった論文の内訳を下記の表にまとめている(英語原文)。
論文数(全体に対する割合) | 移植件数* | |
---|---|---|
臓器源に関する情報が全くない論文(つまり、ドナーが囚人であるかないか、自主的提供者か明示されていない) | 382 (86%) | 75,502 |
囚人からの臓器は用いていない**と明示する論文 | 33 (7.4%) | 5,456 |
臓器提供者の合意に関しての記録がない論文 | 439 (99%) | 84,040 |
倫理委員会の承認を受けたという記載のない論文 | 121 (27%) | 18,354 |
合計 | 445 (100%) | 85,477 |
*移植件数は、ほぼ間違いなく重複している。研究が1回以上報告されているか、データセットが重複している場合があり、その両方の場合もある。
**囚人以外の臓器源がない時期に該当する移植手術が行われているため、この内の19の論文は偽の記載をしている。
結論として「査読者、編集者、出版社などの監視が不十分で、受け入れられている倫理基準を順守できておらず」「この一連の研究を参照する研究者や臨床医は、中国の臓器調達方法を暗黙のうちに受け入れる共犯のリスクを冒している」ことが指摘され、「囚人の臓器使用に基づく研究を報告しているすべての論文の即時撤回」と「中国の移植研究に対応するための今後の方針を策定するための国際サミットの開催」を求めている。
移植専門誌の対応
2019年8月、国際移植学会のチャップマン元会長(参照:第3回「国際移植学会と中国」)を含む3人の執筆者が、「処刑者からの臓器を科学的発見の基盤にしてはならない」(Organs From Executed People Are Not a Source of Scientific Discovery)という見解を、国際移植学会発行の移植専門誌『Transplantation』に発表している(英語原文)。
上記のロジャーズ教授の研究論文が2020年2月に公式発表される前の査読期間での発表と思われる。『Transplantation』誌では中国の医師が執筆し同誌で発表された13の研究論文を取り上げ、最終的に、臓器源に関する返答のない7つの論文を撤回した経緯が記述されている。
中国の臓器移植については、国際移植学会では、2006年から2010年にかけてのほとんどの臓器源は処刑者で、2010年から2015年にかけての多くの臓器源は11箇所のICUで亡くなった者であるとし、良心の囚人の存在は認めていない。「処刑者からの臓器利用は、国際移植学会のガイドラインに沿わない」としての撤回だった。
2016年の論文を撤回
ロジャーズ教授は上記の論文分析に取り組む前に、個々の論文撤回に取り組んでいた。
2017年2月、専門誌 『Liver International』に掲載された肝移植医の鄭樹森 医師(浙江大学付属第一医院)の論文が撤回されたのだ(関連英語記事)。鄭医師は、浙江省の法輪功迫害機関の責任者でもあった(参照:連載コラム第15回「手術室での殺害」──医師の回想)。この撤回により、肝移植の権威、鄭医師は、『Liver International』誌での発表を禁じられることとなる。撤回の事実は、ジェームズ・シャピロ医師が中国の大学との研修協力を拒否するきっかけともなっている(参照:連載コラム第2回「中国への研修協力を拒否した医師(カナダ)」内の「浙江大学の研究論文が撤回」)。
2016年10月に発表されたこの論文では、2010−2014年の研究対象となった563件の肝移植のすべてが心停止後の自主的臓器提供によるものと記述されていた。これに対して2016年12月19日にロジャーズ教授、フィアトローネ=シン教授、ジェイコブ・ラヴィー医師(参照:連載コラム第6回「日本への呼びかけ」)が連名で「処刑された囚人からの臓器を用いたデータに基づく論文は発表されるべきではない」という公開書簡を編集者に送った。浙江大学付属第一医院では、臓器提供制度は2011年まで導入されず、導入後も心臓のみだった。2011-2014年の臓器提供者数は中国全土で2,326人。4分の1が研究に使用されたということか?などを指摘している。中国側から編集者に対して返答はあったが証拠を求めたところ応答がなく、『Liver International』誌は論文撤回を決定した。
ロジャーズ教授の口頭の証言では、著者に連絡をとろうとしたところ、 予期せずに『Liver International』誌から押し戻されたことにも言及している。専門誌も中国から収入を得ている場合、国際的な利益を考慮することがあると指摘する。しかし、編集者側の巧みな交渉技術のおかげで、論文撤回の経緯公表にまで至ったという。ロジャーズ教授は、ドナーに対する治療停止からドナーの心停止までの時間や、移植臓器の虚血時間(臓器摘出から血流再開までの時間)などの記載を研究論文の標準とすれば、「すべてのドナーは20歳から40歳の健康な男性である」と中国人学者が論文に書き込むことは難しくなるだろうと提案している。(日本語字幕付き供述映像関連証言は29分5秒から32分50秒まで)。
◎BMJ Open発表の研究論文
◎ロジャーズ教授(証言者番号39)陳述書
◎ロジャーズ教授(証言者番号39)口頭供述のまとめ
◎ロジャーズ教授(証言者番号39)日本語字幕付き供述映像
◎マリア・フィアトローネ=シン教授(証言者番号45)陳述書(臓器収奪に関する11の学術論文を記載)
◎マリア・フィアトローネ=シン教授(証言者番号45)口頭供述のまとめ
公式サイト
◎『中国・民衆法廷』邦訳サイトマップ
◎公式英文サイト ChinaTribunal
◎『中国・民衆法廷 裁定』(英語原文)