パラダイムシフト──社会や経済を考え直す

第18回

現代通貨理論と主権通貨(ポジティブ・マネー)との違い

 さて今回は、最近話題になっている現代通貨理論(Modern Monetary Theory)と、私がこの連載または以前の連載「廣田裕之の社会的連帯経済ウォッチ」で取り上げてきたポジティブ・マネーの通貨改革(以下「主権通貨」)の間の違いについて、「主権通貨」という本を刊行しているドイツの研究者ヨーゼフ・フーバー氏のサイトの記事を参照しながら、紹介したいと思います。

ヨーゼフ・フーバー氏(スペイン・マドリード市内にて)

 MMTについては、米国民主党の若手のアレクサンドリア・オカシオ・コルテス下院議員が話題にしたことから、世界中で議論が沸騰するようになりました。1930年代に全世界が大恐慌に陥った際に、米国がニューディール政策を行って景気のテコ入れを行ったことは有名な話ですが、環境保全関連の事業に対して現代版のニューディール政策を行うことで、景気のテコ入れと地球環境の保護を同時に実現しようというわけです。

 MMTは、20世紀初めに起きたチャータリストの流れを受け継いでいます。このチャータリストは、政府や中央銀行が発行した紙幣のみをお金とみなし、この紙幣をもとにして民間銀行が融資という形で発行したお金(実際には銀行預金という形で、数字としてのみ存在するお金: 詳細はこちらの記事を参照)をお金とみなさない傾向がありますが、ここに最初の矛盾があります。

 確かに、見方によっては一定期間で銀行に返済しないといけない銀行預金は、永続的なお金とは言えないように思えます。しかしその一方で、この銀行預金は現金と同じく購買力として使うことができます。手許に現金として5000円札1枚を持っている人も、銀行に5000円預けていてデビットカードという形を持っている人も、5000円のディナーを食べることができるという点では同じ立場にあります。特に、通貨流通量の90%以上が銀行預金という形で存在している現在、現金だけをお金として考える見方は、時代遅れの不適切なものであると言えるでしょう。
また、フーバー氏は、MMTの主張を以下の4点にまとめたうえで、批判を展開しています。

  1. ソブリン債として通貨を創造するのは政府である: MMTの主張では、政府自身が国債を売ることで通貨を発行するということになっていますが、当然ながらこれは正しいものではありません。個人や企業などに国債を売った場合、すでに存在している通貨を手にするだけですし、銀行に売った場合、銀行からの融資という形でお金を手に入れることになり、いずれにしろ政府がお金を発行しているわけではありません。この理論で言えば、たとえば住宅ローンを銀行に申し込んで2000万円の融資を得た人は、この融資により2000万円通貨を発行したと言えることになってしまいます。
  2. 政府の支出は通貨創造であり、これにより税収源が得られる。税収が政府の資金源であるのではない: 因果関係が逆になっています。確かに納税の手段として使える政府発行通貨は歴史的に存在しましたが(2001年の経済危機時にアルゼンチンの各州が発行したものが最近では有名)、現在はそのような事例はなく(米国憲法の第1条第8節で定められている連邦議会の権限の第5項に「貨幣を鋳造し、その価値及び外国貨幣の価値を定め、また度量衡の標準を定めること」がありますが)、政府は所得税や法人税、消費税などの税収を得たのちに、道路建設や教育の充実、公務員への給料の支払いなどを行うことができるわけです。
  3. 政府債務は実際のところ政府債務ではない: 政府債務は実際のところ国民の借金だから大丈夫という楽観論がよく飛び出しますが、個人的にはこれには賛同できません。実際には銀行などが国債を持っており、仮に政府が債務不履行(デフォルト)に陥った場合、この国債を持つ銀行が経営危機に陥り、最終的に政府が救済しなければならなくなります。私が思うに、この点ではむしろ政府と銀行の関係は逆で、以前の連載で紹介した「通貨と持続可能性」という本の中で、「皮肉なことに、金融システムそのものを破綻から救済するために金融システムから政府が多額を借り入れるとすぐに、政府は過剰債務状態であり『規律をもたらす』必要があると金融システムから結論付けられてしまう」と書かれています。銀行が破綻するとそれにより財産を失う人が続出し、これにより支払いが滞って連鎖倒産しその国の経済が深刻な打撃を受けるため、政府としては何としてでも銀行を救済しなければならないのです。
  4. 政府の赤字も債務も、問題ではなく資金調達源である: 最大の問題はここにあります。MMTによると政府が債務超過に陥ることはなく、いくらでも通貨を発行可能ということですが、多少近現代の世界経済を知っている人であれば、そのような政策を採用すると1920年代のドイツや第2次大戦終了直後のハンガリー、近年では2007年から2009年にかけてのジンバブエのように、際限なきハイパーインフレで国の経済が崩壊してしまいます。これに対し、ポジティブ・マネーや主権通貨は、あくまでも各国(ユーロのように複数の国で使われている通貨の場合は、通貨圏全体)の物価動向を見極めたうえで、インフレにもデフレにもならないように通貨流通量を調節するというもので、際限なき通貨発行を行うものではありません。


動画: ポジティブ・マネーの提唱内容

 フーバー氏は結論においてMMTを、「首尾一貫した理論というよりも…基本的に米国中心で、部分的に自己矛盾的で都合のよい教えをまとめたもの」と批判しています。2002年にユーロが登場したり、最近は中国の人民元が国際貿易の決済に使われ始めるようになったりして状況が多少変わってはきましたが、それでも世界で最も頻繁に使われる基軸通貨が米ドルである点は変わりがありません。このため、日本を含む世界の全ての国は、米国以外の国と貿易をする場合、特に石油などの資源を持たない国が天然資源を輸入するために必死になって米ドルを稼ぐ必要があるのに対し(ユーロ圏内ではその必要はなくなりましたが)、米国は自国で発行した米ドルで天然資源や世界の安い商品を買い漁ることができるという特権的な立場を享受できるという違いがあります。米国だけがこの制度を適切に行った場合、米ドルによる同国の覇権は今後も続くことでしょう。

 その一方で、MMTを採用した国が通貨を発行しすぎてインフレに見舞われるようになった場合、当然ながら国際通貨としての価値はなくなり基軸通貨の地位から陥落することになります。このあたりに特に敏感なのは、1920年代の経験により今でもインフレに対して非常に神経質なドイツが牛耳る欧州中銀であり、その定款を見ると目標には物価の安定しか書かれていません。確かにEU憲法であるリスボン条約の第3条に書かれた目標(「均衡の取れた経済成長と物価の安定に基づいた欧州の持続可能な発展、完全雇用と社会的進展を目指した非常に競争力のある社会的市場経済、そして高水準の環境保護と質の改善」)についても、「その達成への貢献を鑑み、欧州連合の一般的な経済政策を支援する」とうたわれてはいますが、物価の安定ほど積極的なものではなく、往々にして物価の安定の下で、ギリシャなどの経済が犠牲になっています。とはいえ、EU圏外の国が一時的な財政収支の改善を狙ってMMTを採用した場合、物価変動というたがが機能しないまま通貨発行が過剰になり、結果的に途方もないインフレに見舞われかねません。

 MMTは、その成否によって導入国の経済が大きく影響を受けるだけではなく、その国の通貨が基軸通貨入りできるかどうかにも関わりますが、その割に物価の統制についてあまりにも無頓着なので、上記の重責を担う通貨政策担当者がおいそれと採用できるものではないと私は思いますが、皆さんはいかがお考えでしょうか。

コラムニスト
廣田 裕之
1976年福岡県生まれ。1999年より地域通貨(補完通貨)に関する研究や推進活動に携わっており、その関連から社会的連帯経済についても2003年以降関わり続ける。スペイン・バレンシア大学の社会的経済修士課程および博士課程修了。著書「地域通貨入門-持続可能な社会を目指して」(アルテ、2011(改訂版))、「シルビオ・ゲゼル入門──減価する貨幣とは何か」(アルテ、2009)、「社会的連帯経済入門──みんなが幸せに生活できる経済システムとは」(集広舎、2016)など。
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