処刑未遂状態での臓器収奪
デービッド・マタス氏は「地球上で見たこともない邪悪の形態」と語っています。
私たちが敬うものすべてを侵害する殺害です。──スティーヴン・グレゴリ(ドキュメンタリー映画『知られざる事実』内のコメント)
先回(第12回)のコラムで、李会革教授による「生存中の身体からの強制臓器収奪の4つの方法」について紹介した。この分類に沿って、中国における強制臓器収奪を以下の4つの側面から今後4回に分けて追っていく。
(1)意図された処刑未遂
(2)薬物注射による処刑
(3)死刑囚以外の臓器収奪
(4)”脳死”とする臓器摘出
先回の第12回コラムの冒頭にも引用したように、この問題では犠牲者の証言を得ることはできない。中国の監獄を出ることができ、現在、国外に居住する中国人・事実証言者による供述は、民衆法廷では間接証拠として扱われている。今回取り上げる処刑未遂下での臓器収奪も、すべて加害者による証言である。
医師の証言
実際に手を下した医師の証言は「臓器狩り」と呼ぶより「臓器刈り」という漢字をあてはめたくなってしまう。中国共産党政権下でのおぞましい事実を直視する上で、特に医師の証言はきちんと日本語化する意義があると思い邦訳を作成した。しかし、実際の証言を読み進まれる必要は全くない。ご自身の責任でクリックしていただけるようにあらかじめ警告したい。
いずれも、1997年に薬物注射が死刑に導入される以前の、銃殺処刑の事例である。
1)1990年〜1995年:中華人民共和国の王国斎(Wang Guoqi)医師が人民解放軍附属病院の医師として囚人から臓器と皮膚を摘出した(2001年の米国下院の「国際事業と人権に関する小委員会」での証言)。(英語原文:『中国・民衆法廷 裁定』Appendix 3, item44 p.13-15)邦訳(閲覧注意)
この供述は連載コラム第6回で言及したように、ラヴィー医師[ 証言者番号31]が参考資料としたものだ。英語の「Wang Guoqi」で検索すると英語圏では当時この証言に関しての報道があったことが分かる。
2)1995年:ウイグル人の元外科医エンヴァー・トフティ氏[証言者番号13]は、上司の命令で処刑場に行かされ、その場で右胸を撃たれ、まだ生きている囚人から、腎臓二つと肝臓を摘出させられた。(陳述書の邦訳)(口頭供述のまとめの邦訳)
トフティ氏は実名で自分の体験を語るために世界を回る貴重な証言者である。冒頭で引用したドキュメンタリー『知られざる事実』に詳しいインタビューが収録されている。日本にも数多く来日しており、インタビュー記事も多い。清水ともみさんの漫画「その國の名を誰も言わない」(全9分)でも取り上げられている(4分20秒あたり)。全22分のBGM付きはこちらへ。漫画だとトフティ氏の証言と汪志遠医師が受けた電話の証言が一つに思えてしまうが、この後者の証言は別のコラムで取り上げたい。
またトフティ氏は、自らの臓器摘出の体験のみでなくウイグル人の現在の迫害についても発言しているので、別のコラムでも再び証言を取り上げる。
3)1994年〜1995年:元軍医学校の研修生(非公開証言者1[証言者番号26])が、生存中の兵士から臓器と眼球を摘出した。(陳述書の邦訳(閲覧注意))(口頭供述のまとめの邦訳)
2015年に中国語版大紀元で告白しており、日本語版も同年3月9日に出ている。日本語版の冒頭にも「閲覧注意:ショッキングな内容が含まれています」と記載されている。
民衆法廷の陳述書ではこの証言者は、記事での告白をさらに一歩進めて、自分が採血していた時に上司から聞いた話を基に、犠牲者のバックグラウンドにも言及している。上司に反抗したために処罰か軍法会議を待っていた若い軍人が、上級幹部と血液型と組織型が適合したために選ばれて殺害されたという内容だ。
この証言者は、血液検査、臓器狩り、レシピエントへの腎臓移植の全工程を目撃している。現在カナダ在住。2019年4月6日の公聴会では、身の安全をかなり考慮した証言だったと思われる。
以上、いずれも1990年代半ばまでの期間、処刑未遂の状況下での臓器摘出を個人的に体験した医師の証言である。
軍医高官の証言
先回の第12回コラムの「直接証拠の年代リスト」の最初に挙げた、江西省の学校の教師、鐘海源(Zhong Haiyuan)さんの1978年の処刑未遂が、恐らく公表されている臓器摘出証言の中で最も早期の事例だろう。背中の右側に銃を突きつける形で行われたこの処刑について、死刑執行人の1人がその数年後に、調査中の胡平氏に、腎臓を摘出するために即死させないよう命令があったことを打ち明けた。李会革教授[証言者番号37]の共著論文『中国での臓器摘出における人権侵害』英語原文(2017年2月8日、BMC Medical Ethics発表)の脚注25に胡平氏の著書の詳細がある。
上記3人の医師の証言、そしてこの死刑執行人の証言からだけでは、意図的な処刑未遂は単発的に時々行われていたとも考えられる。しかし、新鮮な臓器の摘出のために処刑未遂が常態化していたことを示す貴重な証言がある。
北京の退役軍医である蒋彦永(Jian Yanyong)氏が、軍病院では汚職・違法移植・臓器売買が常態化していることを、香港のジャーナリストに語り、2015 年3月6日に有線新聞台(i-Cable News) で報道された(22分/実際の完全インタビューは16分)。翌日には苹果日报 (アップルデイリー) が記事にまとめている。
蒋彦永氏は、北京の301解放軍総合病院の主任医師を務め、1989年の天安門事件でトラウマに陥った学生たちを診ている。2003年には中国政府によるSARS(重症急性呼吸器症候群)の隠蔽を発表した。これらの点から彼の発言は信頼できるものとして、李会革教授の共著論文では参照(Additional File1)として、蒋彦永氏のメディア発言が引用されている。以下、この引用に基づき内容を示す。(論文の参照ファイルでハイライトされている部分を下記でもブルーの文字にした。)
2015年3月7日 アップルデイリー
本土の肝臓移植はすべて死刑囚からのもので、301病院や北京軍区総合病院などには「臓器移植センター」があり、臓器移植や売買などの違法行為を主に行っている。利潤が高く病院や医療スタッフのグレーの収入源になっている。 臓器入手のために検察や裁判所と結託し、処刑場に車を送り、死刑囚の遺体をもらい受ける。
囚人の中には、射撃されても死んでいない者がいる。彼らは臓器摘出のための手術台に運び込まれ、臓器は患者に移植される。非人道的でおぞましい行為だ。
2015年3月6日 有線新聞台
彼(北京軍区総合病院普通外科部長の李世拥医師)は肝臓移植の経験が全くないのに、肝臓移植センターの所長になった。肝臓移植待ちの患者は多いが、肝臓を得ることが問題だ。 彼にはドナーの肝臓を手に入れる術があった。
中国での肝臓移植は、ほとんどが射殺された囚人のものだった。 当時は法律がなく、 囚人が処刑される場合、家族に知らせる必要はなく、家族の同意も得ずに、処刑の直後に肝臓が摘出された。
肝臓移植で欠かせないことは、温阻血時間を出来る限り短くすることだ。 処刑後、血流が止まる。この血流停止時間が長くなると、移植された肝臓の生存率が低くなる。その後、囚人を射撃しても、完全に死なせることはなくなった。一撃で死んだようになると、すぐに運び込まれ、[医師たちが]肝臓を摘出し始める。
3人の医師・研修生が置かれていた状況を管理者の立場から包括的に説明している証言である。
死刑囚からの臓器摘出は合法
「臓器の強制摘出に反対する医師会」(DAFOH)創設者のトルステン・トレイ医学博士[証言者番号47]は、論説『中国政府、臓器移植産業を進めるジェノサイドを隠蔽』(2018年11月13日付Bitter Winter日本語版で、興味深い指摘をしている。
1984年、中国は死刑に処された囚人から臓器の摘出行為を認可する規定を設けており、2015年に中国は死刑囚からの臓器摘出を終了すると誓ったにもかかわらず、この規定は今も法律として残っている。さらに、中国には死刑執行後の囚人、そして生きている囚人から臓器を摘出する行為を禁じる法律が存在しない。つまり、中国の法的枠組みでは、死刑執行後、および生きている囚人から臓器を摘出する行為は合法である。
たとえ死刑囚からの臓器摘出が完全にストップされたとしても、中国政府は「良心の(無実の)囚人」の存在を認めていない。自分が属するグループが中国政府に「国家の敵」と見なされれば、法的手続きなく拘束され、市民ドナーにさせられる可能性がある。射殺から薬殺へ。処刑場から手術室へ。環境は洗練されていっても、無実の人間を「部品」として殺害し、レシピエントのための新鮮な臓器の入手方法を追求し、利潤を得る中国臓器産業の本質は変わっていない。
◎王国斎 2001年の証言(邦訳)(閲覧注意)
◎エンヴァー・トフティ [証言者番号13] 提出文書(邦訳)
◎エンヴァー・トフティ [証言者番号13] 口頭証言のまとめ(邦訳)
◎非公開証言者1[証言者番号26] 提出文書(邦訳)(閲覧注意)
◎非公開証言者1[証言者番号26] 口頭証言のまとめ(邦訳)
◎李会革教授[証言者番号37] 提出文書(邦訳)
◎李会革教授[証言者番号37] 口頭証言のまとめ(邦訳)
◎李会革教授の共著論文『中国での臓器摘出における人権侵害』英語原文
◎『中国・民衆法廷 裁定』(英語原文)
◎公式英文サイト ChinaTribunal