パラダイムシフト──社会や経済を考え直す

第40回

現在に生きる過去の精神──カタルーニャの連帯経済史を振り返る

 連帯経済というと、現在進行中の事例だけに目が向けられる傾向がありますが、特にカタルーニャの連帯経済について考える場合、過去(特に19世紀後半~1930年代)栄えた事例について振り返ることは、単に歴史学的な価値があるだけではなく、21世紀の現在を生きる私たちにとっての指針ともなる大切なことです。このようなカタルーニャの連帯経済の歴史について詳しく紹介した本「連帯経済への招待」(ジョルディ・アスティビィ著。原書(カタルーニャ語)の入手はこちらで)の和訳文を公開していますが、今回はここからカタルーニャの連帯経済の歴史を紹介したいと思います。なお、今回の内容については、私のドキュメンタリー「バルセロナの連帯経済」(特に、アスティビィ氏へのインタビュー(3分10秒~6分13秒)と、マルク・ダルマウ氏へのインタビュー(36分16秒~41分16秒)の部分)もぜひご参考にしていただければと思います。

「連帯経済への招待」著者のジョルディ・アスティビィ氏
(廣田制作のドキュメンタリーより)「連帯経済への招待」著者のジョルディ・アスティビィ氏
(廣田制作のドキュメンタリーより)

 前回の記事ではバスクとカタルーニャの違いを紹介しましたが、気候面や地理面でもともと存在した違いに加え、特に中世においてカタルーニャがたどった歴史を振り返りたいと思います。スペイン史における最大の出来事のひとつは711年に始まったイスラム勢力の征服であり、一時期はイベリア半島のほぼ全て(現在のアストゥリアス州やカンタブリア州の一部地域以外)がイスラム勢力の支配下に置かれましたが、この時期に発足したアストゥリアス王国やカスティーリャ王国などがスペインの中西部を再征服(レコンキスタ)することになります。その一方、現在のカタルーニャ州の北部(バルセロナを含む以北)には、カール大帝により複数の伯爵領から構成されるスペイン辺境領が創設され、その後バルセロナ伯領として独自の道を歩み始めますが、これが現在のカタルーニャの直接的な起源となります。

1030年頃のイベリア半島。緑はイスラム系諸国(出典:ウィキペディア)1030年頃のイベリア半島。緑はイスラム系諸国(出典:ウィキペディア)

 カタルーニャ君主国はその後、西隣に設立されたアラゴン王国と連合してアラゴン連合王国の一部になりますが、13世紀時点ですでに立法議会が設置されており、またバルセロナ市では市民代表による百人評議会(クンセイ・ダ・セン:なお、バルセロナ中心部の通りの一つの名前にもなっている)という、一種の市議会が設置されていました。封建君主による専制的な統治が一般的だった当時の状況を考えれば、貴族以外の市民も政治に参加できた当時の制度は画期的だったといえます。このような民主主義が定着したカタルーニャ社会において、経済における民主主義を実現する協同組合運動がより深く受け入れられたのは、偶然ではないでしょう。

中世後期におけるバルセロナ市議会といえる
百人評議会が開催された議場内部の様子中世後期におけるバルセロナ市議会といえる
百人評議会が開催された議場内部の様子

 連帯経済という単語自体が登場するのは1980年代まで待つ必要がありますが、当然ながらそれ以前にも、現在の規準を当てはめるなら連帯経済といえる、または連帯経済に近い経済活動は数多く見出すことができます。農作業や冠婚葬祭での協力、地域社会による共有地や水資源の運営管理に加え共有施設の建設や運営管理という事例は、カタルーニャのみならず世界各地にみられますが、これも連帯経済の先駆けということができるでしょう(最近の事例で最も成功を収めているのは、一般市民によりコンテンツの共同管理が行われているウィキペディアでしょう)。さらに、地中海貿易が盛んだったカタルーニャやバレンシア、そしてバレアレス諸島では欧州諸国の影響を受けて同業者組合(ギルド)が発展し、互助組織として現在の共済組合のような役割も果たしていたことは忘れてはならないでしょう。

 しかし、連帯経済につながる協同組合やNPOなど各種運動がカタルーニャで本格的に始まるのは、19世紀後半になってからです。英仏などと比べるとスペインでは産業革命が遅れましたが、それでも1850年頃にはそれなりに工業化が進み、他のヨーロッパ諸国同様に資本家と労働者の間での階級格差が生まれていましたが、このような状況の中で労働者階級が自分たちの生活を守るためにさまざまな活動に取り組み、それらが有機的に連携していました。この時期には労働組合、労働者協同組合、消費者協同組合、共済組合、各種文化団体、労働者学校、ハイキングクラブ、図書館、スポーツクラブや合唱団、そして劇団などさまざまな団体が生まれ、場合によっては時の政権と対立しながら発展を遂げてきたのです。

内戦期まで存在したバルセロナ最大の消費者組合ラ・フロー・ダ・マッチの
建物を使って
地域住民が運営している文化センターの紹介動画

 なお、NPOと政府の間で過去存在した対立関係については、ちょっと詳述する必要があると思います。この当時のスペインは、社会制度などの面において特にフランスに範を求める傾向がありましたが、19世紀のフランスでは国家と個人との間に結社が存在してはならず、社会的な案件は全て国家や地方自治体が対処するという考え方から、あらゆるNPOが禁止されていました。フランスでは1901年に結社法(1901年法としてフランス関係者の間では有名)が設立され、これにより各種NPO(フランスやスペインではアソシアシオンと呼ばれます)の活動が認められるようになったのですが、それ以前はそのような権利が認められておらず、弾圧の対象となっていました。スペインではフランスよりも少し前の1887年にアソシアシオン法が制定されましたがそれ以前は、特に時の政権と対立する人たちは、政府による弾圧を恐れて秘密結社としてNPOを運営したりしていたのです。

「連帯経済への招待」原書の表紙「連帯経済への招待」原書の表紙

 各種団体のうち労働組合は基本的に労働者が、その経営主との間で賃上げや労働時間の短縮など労働条件の交渉を行うものですが、現在のように社会保障や行政サービスが手厚くなかった時代、労働者自身が結束して自主運営を行う必要がありました。たとえば社会保障がなかった時代に共済組合を結成して病気になった時の医療費を賄ったり、自分たちで障害年金や老齢年金を運営して、年齢や障害のために働けなくなった人たちに少しでも年金を出したり、労働者学校を自分たちで運営して自己研鑽に励んだり、といった形です。さらに、合唱団や劇団、スポーツチームやハイキングなども自主運営で行うことにより、労働者なりの形で余暇も充実させていったのです。

 しかし、ヨーロッパでも他国では協同組合や非営利セクターなどがそれぞれ独立した形で社会的経済が運営される傾向にあった一方で、カタルーニャではこれらさまざまな事例の間の協力関係が持続したことを、アスティビィ氏は強調しています。協同組合だけで、または非営利セクターだけで独自の道を行くのではなく、それぞれの団体としての自主性を維持しつつ、必要に応じて協力や提携の関係を維持したのが、カタルーニャにおける特徴だったのです。

 この当時に協同組合関係でさまざまな人たちが活躍しましたが、その中でも個人的に注目しているのは、スペイン第1共和政(1873~1874)時代に短期間ながらもスペイン共和国の大統領を務めたフランセスク・ピー・イ・マルガイ(Francesc Pi i Margall、1824~1901)です。彼はプルードンの思想をスペインに持ち込み、協同組合運動の推進において重要な役割を果たしました。彼は、当時スペインの植民地だったフィリピンの独立の父であるホセ・リサール(José Rizal、1861~1896)とも親しく、リサールの処刑を中止するよう、当時の首相アントニオ・カノバスに嘆願していますが、偶然にもこのホセ・リサールはフィリピン初の協同組合を創設した人としてもフィリピンでは知られています。ピー・イ・マルガイがホセ・リサールに協同組合についていろいろ教えたのかどうかは今のところ不明ですが、アジアの協同組合運動に関心がある人であれば、そのような観点からピー・イ・マルガイやカタルーニャの協同組合をとらえるのも面白いかもしれません。

ピー・イ・マルガイの肖像画(出典:ウィキペディア)ピー・イ・マルガイの肖像画(出典:ウィキペディア)

 しかし、カタルーニャの連帯経済が最盛期を迎えたのは、1930年代の第2共和政から内戦の時期です。1931年4月14日に国王アルフォンソ13世が退位してスペインは再度共和国になりますが、この年の9月にスペイン初の協同組合法が制定されます。第2共和政は全体的に左派的な傾向が強く、女性の参政権をはじめとする各種制度が整えられた時期ですが、1934年にスペイン法とは別に、アソシアシオン法や商法と完全に独立した協同組合のカタルーニャ州法が制定されました。また、この当時のカタルーニャの特徴として、直接行動により労働者が事業を自主運営することを目指すアナルコサンディカリズム(無政府組合主義)が挙げられますが、この運動がその頂点に達したのは内戦期(1936年7月18日~1939年4月1日)だと言えるでしょう。

 スペイン内戦は、20世紀スペイン史において間違いなく最重要のできごとであり、左派の急進的な政策の発展を嫌った右派のフランコ将軍が蜂起した反乱軍が、当時の正統な政府であったスペイン共和国を追い詰めて最終的に滅亡させることになった内戦です。日本でもゲルニカの絵をご存じの方は多いと思われますが、カタルーニャはこの内戦において最終盤まで共和国側の牙城であり、反乱軍に対抗すべく共和国側ではありとあらゆる資源を投入していました。左右の対立が最高潮に達した当時、企業家や農場経営主の中には労働者からの攻撃を恐れて逃亡した人が少なくありませんでしたが、そのような形で経営者がいなくなった農場や工場などを労働者が自主運営したことで、前述したアナルコサンディカリズムが期せずして各地で実現するようになったのです。このような現象は集産化と呼ばれ、スペイン内戦期の集産化についてはさまざまな学術研究があるのでここでは詳述を控えますが、一夜にして労働者自主運営が、労働者による要求から社会全体にとっての必須事項へと変わってしまったことで、準備期間もないまま労働者や共和国政府、そしてカタルーニャ州政府などが内戦期間中試行錯誤を続けていった事例だとまとめることができるでしょう。しかし内戦でフランコ率いる反乱軍が勝利してスペイン全土を制圧すると、協同組合などの多くが解散させられたり、その幹部の多くが逮捕されたりし、残った協同組合もスペイン政府の管轄下に置かれるようになるなど、協同組合は冬の時代を迎えることになります。

集産化されて労働者自身の手によって運営されたバルセロナ市電の写真
(CNTサイトより)集産化されて労働者自身の手によって運営されたバルセロナ市電の写真
(CNTサイトより)

 カタルーニャにおいては、同地域の協同組合運動関係の雑誌を発行するロカ・ガレス財団がこのような歴史の研究に熱心で、資料室には貴重な資料が数多く保管されています。また、バルセロナ市内でも協同組合運動が最も盛んなサンツ地区にある協同組合ラ・シウタート・インビジブラはこのような歴史の研究に熱心で、バルセロナ各地の協同組合史を紹介した本を刊行しています。もちろん過去と現在では社会状況が大きく異なりますが、先人たちの経験を学び今日の文脈に活かすというカタルーニャの精神から、何か学ぶことができるかもしれません。

コラムニスト
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廣田 裕之
1976年福岡県生まれ。1999年より地域通貨(補完通貨)に関する研究や推進活動に携わっており、その関連から社会的連帯経済についても2003年以降関わり続ける。スペイン・バレンシア大学の社会的経済修士課程および博士課程修了。著書「地域通貨入門-持続可能な社会を目指して」(アルテ、2011(改訂版))、「シルビオ・ゲゼル入門──減価する貨幣とは何か」(アルテ、2009)、「社会的連帯経済入門──みんなが幸せに生活できる経済システムとは」(集広舎、2016)など。
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