BOOKレビュー

楊海英評『私の西域、君の東トルキスタン』

静岡大学文化人類学教授の楊海英氏が、集広舍刊『私の西域、君の東トルキスタン』の書評を『図書新聞』2011年6月11日号に寄稿されました。楊海英氏は、一昨年『墓標なき草原──内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録(上・下)』(岩波書店刊)を上梓され、「作品の主題である反エスノセントリズムを、迫害された人間の叫びと歴史の周到な取材に基づいて再現した日本語表現の迫真力を高く評価した」との贈賞理由で第14回・司馬遼太郎賞を受賞されています。
氏の許諾を得て本サイトに全文掲載いたします。ご高覧頂ければ幸いです。

パレスチナ化する新疆ウイグルの現実を描く

中国の反体制作家は投獄やウイグル人との交友で何をつかんだのか

私の西域、君の東トルキスタン 西域といえば、中国人も日本人も大いにロマンを抱くところだ。喜多郎の哀愁に満ちた音楽とNHKの『シルクロード』の映像は幾多の日本人をかの地に駆り立ててきた。「腰の下の剣を将って、願わくは直ちに楼蘭を切らん」。「黄砂 百戦すれば、金甲 あなをうがつも、楼蘭をやぶらずんば、ついに かえらじ」。このような漢詩をまた「辺塞詩」とも呼ばれ、古来、中国人による西域征伐の軍功をうたった作品である。中国人は辺塞詩を美しいと見るが、西域の人々はむしろ植民地暴力の具現として理解している。

 東トルキスタンとは、中国人が西域と称する地の、原住民たちが擁する固有名詞である。しかし、この固有名詞の使用は、今や征服者の中国人たちによって堅く禁止されている。自らの故郷において昔から用いてきた地名を、後からの侵略者によって禁じられるほどの悲哀はなかろう。その悲しみこそが、現在の新疆ウイグル自治区が置かれている深刻な状況を現わしている。東トルキスタンという表現を使えば、「民族分裂活動をおこなう反革命分子」として容赦なく逮捕され、処刑されているのが、事実である。

 本書は、中国人の反体制派作家王力雄の作品である。王力雄は最初、中華を愛する民族主義者だった。1980年代には外国の探検隊が黄河を漂流しようとした時、王力雄らは「中国の大河を中国人が先に探検すべきだ」として、経験も資金もない状態で犠牲を払いながら探検を決行した。黄河源流で活動していた時期にチベット人と出会った。チベットは「古くから中国の固有の領土でも何でもなく、独立国家だった歴史的事実」にぶつかる。そして、中国に占領されたチベットが如何なる方向へ進むべきかを綴った名作が『天葬─チベットの運命』である。全身全霊でチベットに身を投じた王力雄の夫人は、チベット人反体制作家のツェリン・オーセルである。オーセル女史の『殺劫シャーチェ』(集広舍、2009年)はチベットにおける文化大革命時期の暴力を映像と証言で伝えている。

 王力雄は、その後少数民族への関心を更に広げ、まず新疆ウイグル自治区の実態を把握しようとして東トルキスタンに乗り込んだ。植民地新疆に駐屯する生産建設兵団という屯田兵関連の「秘密資料」を窃取した容疑で秘密警察に逮捕連行される。連日昼夜にわたる過酷な尋問を受ける。その詳しい経緯はまさに驚天動地の大事件の連続である。中国の少数民族地域で調査ないしは取材した経験を持つものなら、一度や二度は同じような境遇に置かれたことがあろう。評者の友人で、現在アメリカの大学で研究生活を送る文化人類学者が内モンゴル自治区で体験した逮捕監禁生活とまったく同じである。尾行と逮捕、そして取り調べ。恐らく、中国にはシステマティックな秘密制度があるのだろう。昨年、尖閣列島(中国名は釣魚台諸島)で日本側が進入した中国人船長を逮捕すると、中国も日本人駐在員も捕らえた事実は記憶に新しい。中国との接触が以前よりも特段に増えてきた今日、いざという時の対策としても本書の第一部「1999年新疆での遭難」を読んでおくべきであろう。

 本書の重点は後半にある。西域で捕まった王力雄は、獄中で東トルキスタン出身の一人のウイグル人に出会う。ウイグル人差別に抗議しようとしたことが罪となり、同じ牢屋に繋がれていた。ここから、中国人とウイグル人の対話が始まる。出獄してからもウイグル人の「牢友」との交流は続き、文通したり、再訪して話し合ったりした。その記録が本書の後半に収められている。

 ウイグル人は王力雄にいう。「ウイグル人にとっての民族問題は、三つの視点からみることができる」。一つ目は民族主義の視点で国家の独立を求める。二つ目は宗教者の視点で、無宗教者ないしは異教徒の中国人の統治を受け容られない。そして、三つ目は社会的地位の低いウイグル人たちの不満である。この三つの動きに対して、中国共産党は、漢族の民族主義を煽ることで策を講じた。大部分の漢族は無原則に独裁政権に追随し、自分たちが占領した地域の少数民族を抑え込もうと政府に協力している、と王力雄は事実を述べる。イスラームの指導者たちは中央アジアや中東に救いの星の出現を祈念するし、底辺の民衆はテロの手法に訴えでる。著者が危惧する「新疆のパレスチナ化」は現実化しつつある。テロリストは決して道徳意識の欠如した「ならず者」ではなく、その献身行為はむしろ強烈な道徳観に支えられている。その道徳観の圧殺に躍起になっている中国に、民族問題を解決する糸口はまだ見いだせていない。

 ウイグル人は新疆にだけ住んでいる民族ではない。鑑訳者の劉燕子氏の故郷、南国湖南省には、唐の時代に西域から移住したウイグル人の後裔がイスラームの信仰を守りながら細々と暮らしている。湖南省ウイグル人の故郷を中国人は「桃源郷」と美称する。東トルキスタンが平和な桃源郷に戻る日はあるのだろうか。

2011年6月11日(土曜日)『図書新聞』より
◎楊海英氏/略歴
1964(昭和39)年、内モンゴル自治区オルドス生まれ。モンゴル名オーノス・チョクト。静岡大学人文学部教授。北京第二外国語学院大学日本語学科卒業。89年3月来日。国立民族学博物館総合研究大学院大学博士課程修了。文学博士。関西外国語大学講師、中京女子大学人文学部助教授、静岡大学人文学部助教授を経て現職。
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