狼の見たチベット

第01回

撃ち殺されたチベットの巡礼者

 吾輩は狼である。昔「吾輩は猫である、名前はまだない」などと書いた文豪がいたが、野生動物である吾輩には当然のことながら名前などというわずらわしいものはない。
 人間たちは吾輩たち狼を凶暴で残忍な動物だと言っているようだが、吾輩の目から見れば人間たちのほうがよっぽど凶暴で残忍な動物にしか思えない。今回はいつもお前さんたち人間に観察やら解説やらされている吾輩が、逆にお前さんたち人間について語ることにする。

 まずは吾輩の出自を話しておこう。
 吾輩はお前さんたち人間の分類ではハイイロオオカミもしくはタイリクオオカミと呼ばれる。学者とかいう眼鏡をかけた連中は 吾輩たちのことを Canis lupus などと気取った名前でも呼ぶ。
 人間という連中は分類とかいう面倒な作業が好きで吾輩たちハイイロオオカミについても、さらに十数種類の細かな亜種とやらに分類している。北極に住むホッキョクオオカミや、メキシコ北西部やアメリカ南部に住むメキシコオオカミ等々。どうでも良いことだがシートンとかいう学者が書いた「オオカミ王ロボ」はこのメキシコオオカミになる。
 お前さんたちの住む日本にも、昔は北海道にはエゾオオカミ、それ以外の地域にはニホンオオカミという吾輩の親戚が住んでいたわけだが、お前さんたち凶暴な人間にみんな殺されてしまって残念ながら今ではもう一頭も生きてはいない。

 ところで肝心の吾輩のことだがヨーロッパオオカミやシベリアオオカミとお前さんたちの仲間は呼んでいる。学者どもは Canis lupus lupus とか言う名前で分類しているそうだが、ラテン語とかいう昔の言葉でオオカミを意味する「lupus」が二つも入っていて「男の中の男」ならぬ「狼の中の狼」という感じで実は吾輩も少し気に入っている。
 だが学者どもには絶対に教えるなよ、吾輩が気に入ってるなどと知ったら奴らはつけあがるからな。
 ところで吾輩たちはヨーロッパオオカミやシベリアオオカミと呼ばれてはいるが、ヨーロッパとシベリアにだけ住んでいるわけではない。東ヨーロッパからロシア、中央アジア、シベリア南部、モンゴル、中国、朝鮮半島、そして雪深きヒマラヤまで広大な地域に住んでいる。残念なことに、お前さんたち人間による環境破壊というやつのおかげで近年仲間の数は激減しているが、その話は日を改めてゆっくりとすることにしよう。

 吾輩はこの広大な地域の中でも、お前さんたちがヒマラヤと呼ぶ地域に住んでいた。ヒマラヤというのは大昔のインドの言葉で「雪の住みか」という意味だそうだ。その名の通り雪で覆われた神秘的な土地で、できればお前さんたち人間には近寄って欲しくないと常々思っている。何年か前に、特にその思いが強まる事件があった。今日はその話をすることにしよう。

 それは2006年の9月、吾輩がネパールとチベットの国境付近ナンパラ峠の近くで、うとうとしていた時のことだった。
 ネパールというのはインドの北東、ヒマラヤ山脈沿いにある人口三千万人ほどの細長い国で面積は北海道と九州、四国を合わせたぐらい、今は共和国だが当時はまだ王国だった。
 もう片方のチベットというのは昔は広大な領土を持った強国だったが今は中国に占領されていて国際的には中国の一地方として扱われているそうだ。その国境に位置するナンパラ峠は標高5710m、お前さんたちの国で一番高い富士山の1.5倍もの高さもあり、夏でも一面氷と雪で覆われた場所だ。

 さて話を戻すと寝ていた吾輩は鉄の匂いを嗅ぎ付け眠りから覚めた。この匂いは銃を持った奴らが近くにいる匂いだ。どうやら人間どもが朝っぱらから吾輩を狩りにきたなと吾輩は周りを見回した。
 遠くに一列に並んだ長い人の列が見えた。チベット人だ。チベット人の中には何故だか知らないが自分達の土地を離れネパール、あるいはネパールを経由してインドへと渡って行くものたちが毎年多数いるということを以前仲間から聞いたことがあったのを思い出した。
 こんな寒い場所を吾輩たちのような体毛も持たない人間が歩いて超えていくなどとその時は馬鹿馬鹿しい話と聞き流したものだった。

 それにしても長い隊列だ何十人いるのだろうか、あれだけ獲物がいれば一年分ぐらいの食料になるなと思い眺めていた。体の大きさからして子供や女も混ざっている、どうやらかなり大きな群れが群れ全体で移動しているのだなと吾輩は思った。
 その時、銃声が鳴り響いた。なんたる怠慢。吾輩はそもそも銃を持って吾輩を狙う敵を探していたのだったのに何を油断していたのだ。あんな遠くの群れは関係なかったのだ。
 吾輩は素早くその場に伏せた。吾輩の体に痛みは走らなかった。近くの雪も飛び散らなかった。吾輩を狙ったわけではないのか? 吾輩は今度は十分に警戒しながら再び周りを見回した。先ほどの群れに目を向けると、群れの後尾で人間が倒れているではないか。またもや銃声が鳴り響く、群れの中の別な人間が膝を落とした。銃声の鳴り響く方向に目を向けると銃を構えた中国兵たちがいた。
 なんということだろう人間が人間を狩っているのだ。吾輩たち野生の生き物を狩るのと同じように人間が人間を狩っているのだ。
 吾輩たちは食べるために獲物を襲う。また時には縄張りを守るために同族同士で争うこともある。だが目の前の人間達は縄張りを明け渡して逃げていく弱い者たちを狩っているのだ。次々に銃声が鳴り響き、チベット人たちが狩られていく。しかしチベット人たちは何事もなかったかのように歩み続けている。長年ヤク(水牛に似たチベットの動物)が踏み固めた道から逸れてしまえば雪に埋もれて動くことができなくなる。そしてこの薄い空気の中では一度立ち止まってしまえば疲労しきった肉体は容易には歩き出せない。あのチベット人たちは逃げ惑うことも立ち止まることもできず進み続けるしかないのだ。

 結局、この襲撃で25歳の尼僧と15歳の少年僧が命を落とした。また30人ほどのチベット人たちが中国兵たちに捕まってしまった。中には10歳に満たない子供たちもいたようだ。それでも途中ヨーロッパ人の登山家達に匿われたりしながら、40人ほどのチベット人がネパールにたどり着いたという。

 中国側は、この事件を国境を越えようとしたチベット人に平和的に注意を行ったにも関わらず、チベット人たちが中国兵たちを襲撃し、中国兵たちは身を守るためにやむを得ず発砲し二人のチベット人を「負傷」させたと発表した。しかしながらヨーロッパ人の登山家達が一部始終を撮影していた。狩猟のように中国兵がチベット人を撃ち殺す姿を写した映像がインターネットやメディアを通じて流されたため真実が世界に知られることとなった。

 何故中国兵たちは、あんな抵抗もできないチベット人たちを無慈悲に狩れるのか。何故チベット人たちは寒さだけでも手足や命を失うような過酷な環境のうえに、銃を持った追っ手までやってくるのに故郷を離れてネパールやインドに向かうのか。真実を知りたいと思った吾輩はヒマラヤの山中を離れチベット中心部に向かうことにした。次回はその話を語ることにしよう。

撃ち殺されるチベットの巡礼者たち

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コラムニスト
太田 秀雄
1971年福岡に生まれる。地元筑紫丘高校を卒業後、九州大学で生物学を専攻する。コンピュータプログラマを生業とする傍ら、いまだに学究心が捨てきれず大学に戻ろうと画策している。2008年3月のチベット騒乱を機にチベット支援に積極的に関わるようになり、国内外のチベット支援者や亡命チベット人達と広く交友関係を持つ。チベット支援をしているものの、別段中国の全てに否定的というわけではなく、とくに『三国志』や中華料理は大好きである。尊敬する人物は、白洲次郎、ホーキング博士、コルベ神父。