狼の見たチベット

第26回

追跡者ジグメ・ノルブ

 吾輩は狼である。
 吾輩たちの狩りは忍耐強い追跡によってなされる。以前も話したように吾輩たち狼は時速70kmの速度で20km以上走り続けることができる。時速30kmまで速度を落とせば一晩中でも走り続けることができる。獲物が疲れるまで忍耐強く追い続けることができるのだ。それでも獲物を捕まえれずに徒労に終わることもあるが、だが吾輩たちは諦めずに追跡を続ける。追跡をやめる時は吾輩たちが死ぬ時だからだ。

 インディアナ州でレストランを経営しているジグメ・ノルブというチベット人がいた。彼は吾輩たち狼でも真っ青になるほどの追跡者だ。彼は19回、延べ12500kmにも及ぶ長い距離を徒歩あるいは自転車で追跡している。ジグメ・ノルブが追い求めたのは柔らかい鹿肉でもなければ、猛々しい雄牛でもない。ジグメ・ノルブが12500kmの追跡で追い求めていたのはチベットの独立、自由と平和だった。

 ジグメ・ノルブは1965年7月1日、ダライラマ14世の一番年長の兄であるタクツェル・リンポチェの三男としてアメリカで生まれた。リンポチェという尊称が表す通り、タクツェル・リンポチェも高僧の生まれ変わりとされ、ダライラマ14世が生まれる前からチベット仏教界でも高い地位を得ていた。まだダライラマがチベット本土に留まっていたころ、中国政府はタクツェル・リンポチェに対して、ダライラマを失脚させるか暗殺すれば、タクツェル・リンポチェに中国政府の下でチベットを支配させてやると提案した。タクツェル・リンポチェはダライラマにそのことを告げた後に、チベットを後にした。

 タクツェル・リンポチェは最初にアメリカに定住したチベット人だった。彼は1950年代にチベットを離れ、2008年9月5日に86歳でなくなるまで、一貫してチベットの独立を回復するために生きてきた。生涯を閉じた2008年、その年でさえチベットの窮状を人々に訴えるための行進に参加していた。
 その息子であるジグメ・ノルブが父親と同じようにチベットの独立に対する支持を人々に訴えるために行動したことは自然なことかもしれない。

 2011年2月14日、ジグメ・ノルブはチベットの独立に対する支持を人々に訴えるための20回目の行進に出発した。計画はフロリダ州北東部にあるアメリカ合衆国最古の都市セントオーガスチンから南東部のパームビーチまで500km程の距離を13日かけて2人の同行者とともに一日40kmほど歩くものだった。最初の宿泊地であるレストランまで3分ほどの距離まで彼は歩いていた。同行者2人は、すでにレストランに入り、彼を待っていた。

 一台の車が、彼を跳ねて、彼は45年の生涯を閉じた。
 彼は、生涯チベットの独立を追い続けた。

 プーギャロー(チベットに勝利を)
 プーランゼン(チベットに独立を)

コラムニスト
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太田 秀雄
1971年福岡に生まれる。地元筑紫丘高校を卒業後、九州大学で生物学を専攻する。コンピュータプログラマを生業とする傍ら、いまだに学究心が捨てきれず大学に戻ろうと画策している。2008年3月のチベット騒乱を機にチベット支援に積極的に関わるようになり、国内外のチベット支援者や亡命チベット人達と広く交友関係を持つ。チベット支援をしているものの、別段中国の全てに否定的というわけではなく、とくに『三国志』や中華料理は大好きである。尊敬する人物は、白洲次郎、ホーキング博士、コルベ神父。