バウルの便り

第07回

サイクロンが立て続けにベンガルを襲う

 6月も末になるというのに本格的な雨がありません。ぐったり長くなって寝ているのは犬や猫だけにとどまらず、人間までもがごろりと横になってしまいそうです。風があれば鳥のさえずりも軽やかに響き、木々は風の呼吸に合わせて踊ります。けれども、一枚の葉っぱも動かない無風状態の高湿度の重苦しい暑さの中では動物や人間までも動きが止まってしまうかのようです。地球温暖化、異常気象。只でも暑いインドのような国で更に暑くなるというのは生活の限界を感じるものです。実際、「こんな暑さは今まで経験したことがない」とか「こんな寒さは初めてだ」とかいうようなことを70歳を過ぎたお年を召した方々が喋っておられるのを最近よく聞きます。新聞もテレビもない生活をしている私にとって、その人たちの「人生初」宣言は、ほとんど「史上初」の、少なくともここ7,80年の新記録であることを証明しているのと同じです。

 この5月には3回ものサイクロンが立て続けにベンガルを襲いました。私もその時、暴風が向かってくる音というのを生まれて初めて聞きましたが、私の周囲の人も全員が初めてだと驚いていました。頭の上は青空でした。そして無風……。北側の地平線に黒く下がって見える雲は遠くに雨を降らせており、その辺りが墨絵の暈しのように灰色に染まっています。ここまではいつもと同じです。もし南に向かって風が吹き始めると雨雲はこちらに向かって来ます。雨雲が頭の上まで来た辺りで風が止むと雨が降り、風が吹き続ければ雨雲も吹き飛ばされ雨も降らないというのがこの時期の雨の典型です。風が吹き出すと砂嵐の中を子供たちは木から落ちるマンゴを拾うのに奇声を上げ走り回り、大人たちは窓を閉め切って部屋の中に非難します。この日も、近くに来るにはまだまだ余裕のありそうな雲を見ながら嵐に備えて庭に出ている物を取り入れたりしていましたが、突然、地鳴りのような音が、微かに、でも確かにこちらに向かいつつあるのが聞こえてきました。「ん?」それと同時に人間の聴覚では聞き取り不可能な振動数の不可聴音波に近い何かが頭の中を突き抜けたような気がしました。「もしかするとこれは風の・・・・」と考えた次の瞬間には凄まじい速さの突風に襲われ、竹と土とわらぶき屋根で造られた私の家はその後1時間近く暴風の煽りを受け続けました。屋根は一部が吹き飛ばされ、泥水が吹き込み、庭の木々も力を使い果たしたようにぐったりしていましたが、この後1週間もしない間に又もや大型のサイクロンがやって来たのです。

 私たちのアシュラムでも大きな木が何本も倒れたり、土の家の壁が崩れたりしましたが、このサイクロンで被害を受けた家屋は相当の数に登ると思われます。サイクロンで吹き飛んだり倒れたりした物の後片付けやアシュラムの家屋の修理のため、手伝いに来てくれていた人以外に職人の人も雇っていましたが、その雇われていた人の家も実は屋根が吹き飛ばされ、ビニールシートを張って生活を続けていたそうです。そしてそんな窮状の中、3回目のサイクロンが襲ったというのにまるで何事もなかったかのように仕事に出て来ていました。彼の場合、最後にはいくつかの政党が競って援助を申し出て来るという事態となり、お金もかけずに屋根の修理が出来ることになったそうです。皆が「やっぱり師が普段から“我慢強くありなさい”と言っておられるのは正しいね」と冗談交じりに笑っていました。

 インドでは「忍耐」というのは修行する人の基本となるものです。でも今の日本では「忍耐」という言葉は古めかしく、保守的なにおいのするものになっているように思います。苦難を強いるもの、自由を縛るもの、自発性を阻害するネガティブなもの、という印象が強いのではないでしょうか。けれどもこの言葉を「待つ」という言葉に置き換えてみればどうでしょう。今度はそれが光り輝く愛の表現になっているのに気付きます。行為は同じですが「心」が違います。「忍耐」にはまだ行為の成果、結果に対する執着がありますが、「待つ」ことは心に結果に対するこだわりがあれば出来ないでしょう。現代テクノロジーは、人々から「待つ」余裕を奪っていきます。携帯電話は相手が自宅に居ようが、職場に居ようが、トイレの中でも呼び出し可能だし、インターネットは手紙を出し返事を待つという、心が空間を飛ぶような美しい時間を面倒なものにしてしまいました。

「便利さ」「快適さ」の追求は自然のサイクルを乱し生態系を破壊し続けます。酷熱のベンガルであっても、大樹の落とす陰や、厚みが1メートル近くもある土壁とわらぶき屋根の家はひんやりして天然のエアーコンディションルームのようです。これは愛から生まれ人間に与えられた知恵と自然の慈しみでありましょう。けれども、もし一般家庭にクーラーが普及するようなことがあれば、それは自然に対する暴力のように思えます。暑さを凌ぐことは終局の無い鼬ごっこのようになるでしょう。どんなに暑くても必ずそれは過ぎ去ります。自然の暑さであれば身体はそれに対応する力を十分に持っています。けれども、それが人工的なものとなるとそうは行かないでしょう。自然にもそれは地震や津波、サイクロンという形で現れます。心に現れる苦しみ、悲しみもまたそうです。原因が自分の中にあることを忘れ、他人を恨んだり、責めたりする愛のない行為はますます悩みと迷いの中に心を縛りつけるでしょう。ベンガルの聖人シュリ・チャイタニヤが「コリの時代* は、禁欲的な出家僧などいない。座って瞑想する我慢強さもない。だから踊りながら大声で神の名を唱え唄うのです。」と言ったのは今から500年以上も以前のことです。「待つ」ことを忘れた今の人間は、愛を失い、神の名も忘れてしまうのでしょうか?

 ヒンドゥー教の偉大な聖典である「バガヴァッド・ギータ」の中でクリシュナ神は言います。「行為の結果を私に捧げなさい」と……。行為の結果を捧げると言う事は、「見返り」を求めないということです。「見返り」を求めないのは愛に基づいた態度です。すなわち行為にそれをする「私」が居ないのです。ですからそこには不安や心配はありません。「私」というエゴがなくなる時「待つ」ことが出来るのです。

 そして、バウルは、自分の心に純粋さを求めて唄います。

 おお、心よ、いかれた牛飼いよ
 1日に2回、牛乳を調達しておくれ
 このことは絶対約束して欲しいんだ
 混じりけのない牛乳を僕にくれることを

 サイクロンのため傾き、枝は折れ、ちぎれてぼろぼろになった僅かな葉を残すだけの木々たちは、一ヶ月近く経った今もう既に、新たな芽を吹き軟らかく瑞瑞しい葉っぱを付け出しています。天の恵みの雨が降れば何もなかったかのようにまた青々と茂ることでしょう。

*コリ期
ヒンドゥー教聖典で世界の歴史は大きく4期に分けられコリ期はその最後の時代。 人々は堕落し、あらゆる犯罪が蔓延る。この時代が終わればまた第1期の真実の時に戻るといわれる。

コラムニスト
かずみ まき
1959年大阪に生まれる。1991年、日本でバウルの公演を見て衝撃を受け3ヵ月後に渡印。その後、師のもとで西ベンガルで生活を送り現在に至る。1992年、タゴール大学の祭りで外国人であることを理由に開催者側の委員長から唄をうたう事を拒否されるが、それを契機として新聞紙上で賛否両論が巻き起こる。しかし、もともとカーストや宗教宗派による人間の差別、対立を認めないバウルに外国人だからなれないというのは開催者側の誤りであるという意見が圧倒的大多数を占め、以後多くの人々に支援されベンガルの村々を巡り唄をうたう。現在は演奏活動を控えひっそりとアシュラム暮らしをしている。
関連記事