バウルの便り

第02回

夜というのが「闇」であること

牛車でいく道

 私がはじめてベンガルの師のもとを訪れたのは、稲刈りも終わり、そのあとに栽培されたマスタードの花が咲きそろう12月の終わりでした。
 バスに揺られて窓から眺めるマスタード畑はとても美しいものです。ジャガイモ畑の緑のところどころにあざやかな黄色のカーペットを敷いたかのように見える花たちは慎ましやかでもあります。でこぼこの道、土埃、床が板張りのバスはあまりにも大雑把な造りで足下の隙間から道が見えたものです。

 この頃、村にはまだ電気がありませんでした。夜が夜としてあるということは、そこに月の光のあたたかみや星の息づかいを感じとれるものです。
 満月近くになるとランプがなくても外に出て用を済ませることが出来るように、月の明かりのわずかな変化も生活に影響します。そして月の満ち欠けの周期に見られるような自然の理法は、小宇宙としての私たち人間の身体に存在するということが直覚によって知られるものです。

アシュラムのお祭りで修行者の人たちに食事をふるまう

 夜というのが「闇」であることをともすれば私たちは忘れているのではないでしょうか。闇が闇として美しいということも私たちは感じることが出来ないでいます。夜という言葉から連想されるのが、ライトアップされた建造物やいわゆる「夜景」だったりするとすれば大変な感覚的貧困に陥っていると言わなければならないのではないでしょうか?

 夜の闇の中、小さなランプの明かりに揺らぐ人なつっこい村人たちの笑顔。ひとつの明かりを囲んで食事をし、ひとつの明かりの周りでおしゃべりをする時、かすかな明かりのもとでは人々の距離は自ずと近くなります。
 けれどもそんな村にも電気が引かれ、テレビが普及し、この2年間であっという間に携帯電話が広まり、気長であった人々の生活もあくせくしてきました。

 このあまりの変化の速さには目が回る程です。大宇宙の自然から遠ざかって行く人々の「心」は“大いなる源”との繋がりを忘れ、緊張のなかで日々を過ごすようになってしまいます。
 なぜなら、この“源”こそ全ての存在をつなぐ数珠の糸のようなものでありその本質は「プレム」(ベンガル語で愛の意味)であるからです。
 それ故、それを感じなくなればなるほど人と人は分断され、分断は妬みや不安をつくり出します。

 近代化、技術革新の波は押しとどめることは出来ません。そうだとすれば、私たちはどのようにして全ての存在がひとつであるという思いを心に宿し豊かな気持ちで生きて行けるのでしょうか?

 ──バウルは言います。「宇宙に存在する全てが、この人間の身体にある。自分自身が何であるかを知ることが出来ればすべてを知ることが出来る。」と。そしてバウルは唄います。

 ──今に在り、自分を見つめるがいい。
  おお、私の心よ、
  おまえの真の姿を探すのだ。
  自分自身がわかった時、
  心の迷いはおさまる。
  その日に真我の扉の鍵は手に入り、
  神秘知は開かれる。

コラムニスト
かずみ まき
1959年大阪に生まれる。1991年、日本でバウルの公演を見て衝撃を受け3ヵ月後に渡印。その後、師のもとで西ベンガルで生活を送り現在に至る。1992年、タゴール大学の祭りで外国人であることを理由に開催者側の委員長から唄をうたう事を拒否されるが、それを契機として新聞紙上で賛否両論が巻き起こる。しかし、もともとカーストや宗教宗派による人間の差別、対立を認めないバウルに外国人だからなれないというのは開催者側の誤りであるという意見が圧倒的大多数を占め、以後多くの人々に支援されベンガルの村々を巡り唄をうたう。現在は演奏活動を控えひっそりとアシュラム暮らしをしている。
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