バウルの便り

第05回

賢い白鳥は水で薄められた乳からでも、純粋な乳だけを飲む

 ベンガルが一番寒くなるベンガル暦のポーシュ月(今年は12月17日から1月14日)とマーグ月(2月15日から2月12日)。ビルブム県とバルドマン県を南北に分けて流れるガンジス川支流のオジョイ川に沿ったジョイデブ村は深夜から明け方過ぎまで深い霧に覆われます。どこまでも続く河の両岸を埋める砂は日 中は白く眩しく太陽の光を照り返し、日が沈むとたちまち熱を放ち村中を冷やしながら闇の中に姿を消していきます。そしてこのポーシュ月の最後の日から3日間、毎年バウルたちの最大のお祭りが催されます。

 今から800年程前、この村にジョイデブという名の詩人が住んでいました。妻の名をポッダボティといいます。そしてこのジョイデブ・ポッダボティにこんな伝説があります。
 ある日のこと、家で抒情詩を書いていたジョイデブは、どうしても表現できない一節にぶつかり頭を悩ませます。それは、神であるクリシュナが 女性であるラダの足に礼拝するという、正統派ヒンドゥー教徒にはとても容認出来るものではなく考えもつかないであろう所為を描写しようとしていたからです。筆を進めることの出来ないジョイデブは、沐浴に行って来るとポッダボティに伝え出かけます。沐浴が終われば食事をしてもらおうと支度をしているポッダボティのとこ ろにジョイデブが戻って来ます。「あら、こんなに早くお帰りになったのですか?」「ああ、詩の一節を思いついたものでね。」
 ポッダボティは夫に昼食をとってもらい午睡の床に就かせ、夫の食べ残しを自分の皿に取り食事をとろうとしていました。そこに又ジョイデブが外から帰ってきます。「どうしたというのだい?僕が食 べる前に君が食事をしているなんて見たことがないよ。」驚いたポッダボティは言います。「あなたはたった今食事をされたじゃありませんか。」はっとしたジョイデブはあわてて中まで書かれてある詩稿を見に行きますが、そこには予期したとおり赤いインクでジョイデブが書けなかった一節が記してありました。それは、『愛 するラダよ!君の両の御足をどうか僕の頭の上にのせておくれ』というクリシュナの言葉でした。「おお、私がどうしても書けなかったことを、クリシュナ神自らが私の姿をとり書いてくださった。ポッダボティよ、君はなんて幸運な人なのだ。献身的に夫に尽くした徳によってクリシュナと出会えたのだ。」そしてジョイデブはポ ッダボティにプラシャード(クリシュナが取った食事の御下がり)をくれるように頼んだということです。

 この説話に、2つの点でバウルの求める在り方を見出すことが出来ます。ひとつはバウルが、あらゆる教義、儀式に囚われることなく、規制の一切の法規典例を重視せず、何の経典も持たないということ。そしてもうひとつは霊妙な力や解脱を得ようとする修行の態度はまだまだ欲望の残ったものであるとし、ポッダボティ に象徴される無欲で無私の心から生まれる素直な献身は愛の態度であり、クリシュナにすべてを捧げたゴピ(牛飼いの女たち)たちの愛と同様にバウルたちが体現しようとするものであることです。
 かくしてバウルたちの祭りは、このジョイデブが生まれポッダボティと共に過ごした村で、このふたりの名を讃え行われるようになったと言うわけです。

 ジョイデブ村は聖地らしく古いバニヤンの木があちこちに茂り、四方の枝から地面に向かう赤茶けた若く細い蔓と、すでに地に降り根を張り数十本が絡んで灰色の太い幹となった気根が神秘的な威光さえ感じさせる美しさを誇らしげにしています。そしてその深い緑が差し出すやさしく肌触りのよい日陰は、自然が大きな手 を広げて差し伸べてくれているような思いやりを感じさせるものです。
 このお祭りの3日間、詩人ジョイデブが供養をしたといわれるラダ・マドブを祀る寺院を中心にして村全体が祭りの場となり、西ベンガル中のほとんどのバウルが集まりますが、私の師の幼少時代では修行者や参拝者は徒歩で何日もかけてこの地に集まったそうです。そんな時代のことを想像すると、苦労して目的地にたど り着いた時の人々の心の平安に加えて、想いをひとつにする者たちが集まった当時の熱気は今と比べようもないだろうと思います。交通の便がよくなった今、バウルやボイシュノブ派の修行者、参拝者というより「バウルの唄」を歌う歌手やピクニックに行くような気分で集まる人々が目立つようになったのも無理はありません。

 ともあれ、このお祭りの間、村には観覧車やサーカスといった遊覧施設も作られ、礼拝に使う小物や数珠を売る店をはじめ生活用品から大工道具、食べ物屋と様々な出店がぎっしりと立ち並びます。そして会場(唄のステージ)の総数は小さいものも含めると200箇所以上にもなると言われ、帆布やビニールシートで天幕 を張り、マリーゴールドやジャスミンの花で飾られたそれぞれの会場には押し合い圧し合いで入り込まなければなりません。あまりの人の多さに周りを見渡せない細い道はまるで迷路のようです。隣の会場へ行くほんの数メートルの距離を歩くのに30分以上もかかってしまうほどの人の波にあっぷあっぷしてやっとたどり着いた会 場入り口から中をのぞくと、そこに広がるのは別世界。私がはじめてジョイデブメーラに連れて行ってもらった時、どこか異次元の世界に連れ込まれたような気持ちになったものです。薄暗い会場には地べたにびっしりと各々の「何か」を求めてやって来た観衆が座っており、歓喜の熱気の真っ只中を踊り唄うバウルのオレンジの衣 装は、闇の中に燃え煩悩を焼き尽くすホーマ(護摩)の炎のように見えました。三日三晩にわたって200箇所以上の会場で唄い続けられるバウルの唄。「世俗」と「聖」とが混沌とした祭りの中で本物の宝を製出する錬金術師のように、バウルたちは、この祭りに集まる10万人とも50万人とも言われる人々の求める「何か」を 抽出しているかのようでした。

「この身体に宇宙全体がある」と唄うバウル。この肉体を持っている限り、私たちは「世俗」としての肉体次元を無視するわけにはいきません。この身体の奥深く、心の奥深く、苦行や無理な抑制をせず自然体でその「全体」を直覚するのです。「世俗」にもなく「聖」にもなく、また「世俗」にもあり「聖」にもあるもの。 美しい蓮の花はどろどろしたぬかるみに育ちます。既存の宗教は「聖」をつくり出しましたが「聖」のあるところには「賤」が生まれます。この区別は人々に分断を持ち込み、宗派をつくり、個人をばらばらにしていきます。対立は競争を生み、暴力を容認します。ですからバウルは「愛」を求めるのです。そして、すべての宗派を 認めながら、どの宗派にも属さないのです。本当の意味の「聖」とは「プレム(愛)」であるのです。

バウルの唄

 愛を知らぬ者がどんなふうかと言うと、
 朝市に行っても新鮮な野菜が目に入らず、
 なぜか虫食いや傷んだものばかりを買ってくる人のよう。
 蛙が、蓮の花に甘い蜜があることを知っているかい?
 水に浮いて浮き草を吸うだけさ。

 食いしん坊の鴨は、もみ殻を食いあさる。
 賢い白鳥はどんなふうかと言うと
 水で薄められた乳からでも
 純粋な乳だけを飲むのさ。

 そして「プレム」(純粋で無欲の愛)は、ただ単に禁欲することや、女性(異性)との交わりを避けることで生まれるものではありません。それは、すべての想い、時間、空間を超えるものです。また「プレム」と相対するものとしての「カーム(性愛)」は性質として食欲やその他の欲求と同様に人間に備わるものですが 、それは抑圧し、拒絶されるものではなく、むしろ創造、生成の起源となる力、エネルギーであると考え純粋な愛を抽出する土台となるとバウルは唄います。とは言っても心がいつも「カーム(性愛)」の思うがままに動かされていてはお話になりません。それを純粋愛に変容するなど実現するはずもないでしょう。汚れたぬかるみ に咲くはずの美しい蓮の花は萎れ枯れてしまいます。そして、「水で薄められた乳から、純粋な乳だけを飲む」方法をバウルたちは師から弟子へと伝えてきたのです。一般の人々に知られることのないように、隠語や暗喩を駆使した唄によって・・・・。

ジョイデブ
約800年前に活躍した詩人。ジョイデブの著わした叙情詩「ギータ・ゴビンダ」は不朽の名作として、インド全土にわたり宗教、芸術、音楽、舞踊、文学とあらゆる方面に多大な影響を与えました。

コラムニスト
かずみ まき
1959年大阪に生まれる。1991年、日本でバウルの公演を見て衝撃を受け3ヵ月後に渡印。その後、師のもとで西ベンガルで生活を送り現在に至る。1992年、タゴール大学の祭りで外国人であることを理由に開催者側の委員長から唄をうたう事を拒否されるが、それを契機として新聞紙上で賛否両論が巻き起こる。しかし、もともとカーストや宗教宗派による人間の差別、対立を認めないバウルに外国人だからなれないというのは開催者側の誤りであるという意見が圧倒的大多数を占め、以後多くの人々に支援されベンガルの村々を巡り唄をうたう。現在は演奏活動を控えひっそりとアシュラム暮らしをしている。