北京の胡同から

第53回

北京における外国映画 戦争と革命の描かれ方

イメージ写真・ある映画館の入り口に並ぶ各種のポスター

▲イメージ写真・ある映画館の入り口に並ぶ各種のポスター

 北京などという街に住んでいたら、ろくに海外の映画など観られないのではないか、見られたとしても偏りが多いのでは? と思っている日本の方は少なくないかもしれない。確かにある程度はそうだ。海外の映画祭で受賞した話題作でも、北京では劇場公開されず、悔し涙をのむことはよくある。特に最近は、インディペンデント系の映画祭が当局の介入により中止に追い込まれたり、妨害を受けたりしている。中央電視台の映画チャンネルは戦争映画ばかり。この傾向は、海外の団体が映画祭を行う際にも、その上映作品の許可の厳しさから、顕著であったりする。
 だが、かといって、決して完成度の低い映画ばかりが流されているわけではない。しかも、その公開作品のセレクトの角度が日本などとはまるで違うので、ある意味、新鮮味を覚えることも多い。日本ではなかなか観られなかったり、ひいては未公開の優秀作品さえ観られたりすることも珍しくないので、映画ファンの私はいつも掘り出し物を探すのに忙しい。

映画チャンネルの意外な健闘

 今でこそ、市場がかなりリードしているので、他のエンターテイメント業界と同じで映画界も「売れるのならば何でもあり」になってきてはいるが、2000年代初頭くらいまで、CCTVの映画チャンネルなどでは党に都合のよい映画ばかりが次々と流されていた。だがもちろん、それらがプロパガンダに終始するものばかりだったわけでは決してなく、私などは深夜に流れる旧東欧諸国や旧ソ連、インドなどの映画を、日本とはだいぶ異なるセレクトゆえに、かなり興味深く観ていたものだ。
 その後、そういう枠は減ったものの、国内の大手メーカーが冠スポンサーとなった「佳片有約」などの番組が、海外でも高く評価され、娯楽性も兼ねているような名作映画を流すようになった。映画のCMタイムが長く、有力な国際企業ばかりであることが、今もその視聴率の高さを物語っている。もっとも、政治性がまったく排除されたわけではなく、時にドキリとするタイミングで社会情勢とリンクした作品を流すのも興味深い。政治利用された名作映画に同情するとともに、お上の意向を受け入れながらも、きちんと作品として優れた映画をセレクトしている関係者のしたたかさに舌を巻く。
 例えば現在は、時勢を反映するように、ゴールデンタイムの国産映画はもちろん、外国映画が多くなる夜10時台以降の時間帯でさえ戦争映画が多くなってきているのだが、そこで選ばれているのは最近の例を挙げれば、フランス映画「いのちの戦場 ─アルジェリア1959─」(2006年、フランス)やオーストリア映画「ミケランジェロの暗号」(2010年、オーストリア)など。長くなるので、ここでは詳しい感想は避けるが、「いのちの戦場場 ─アルジェリア1959─」は、歴史的汚点として1990年代に至るまでフランス政府が正式に認めようとしなかったアルジェリア独立戦争についての映画。当時のフランス軍の残虐行為を取り上げた初めてのフランス映画だとされている。中国語タイトルは原語タイトルに忠実な「親密な敵」で、戦争における捕虜の扱いや民間人を兵士と区別することの難しさ、そして、独立のために戦うアルジェリア軍の中に、実は第二次世界大戦を同じフランス軍の兵士として共に闘ったアルジェリア人がいることに気づいた時の、フランス軍兵士たちの当惑などが描かれている。それらに込められた深い意味に気づけば、戦争の残酷さがよく分かる映画だ。「正義の戦争は善」とする中国の原則は貫かれているが、見方を変えればイスラム系民族のゲリラによる独立戦争を同情的に扱った映画でもある。
 一方、「ミケランジェロの暗号」は、ナチスが登場する映画でありながら、ミケランジェロの宗教画のありかをめぐってストーリーが展開する。ナチスを装って同じユダヤ人をかばった将校が、戦後ユダヤ人を虐待した写真をつき出されるシーンなどもあって、話は錯綜。勧善懲悪より文化的背景や人間関係が面白く、サスペンスと推理の混じったスリリングなストーリー展開が興味をそそる作品だった。

個人と国の歴史への回顧

 次に映画館に目を向けると、セレクトの個性と検閲のせめぎ合いをやはり強く感じるのが、各国の映画祭だ。今年足を運んだセルビア映画祭とトルコ映画祭でも、比率はテレビほどではなかったが、戦争映画は欠かせなかった。
 中でも印象的だったのは、セルビア映画祭で観た「Kad svane dan」(中国語名「黎明之時」)。ある古典音楽の教授が、すでに隠退生活に入った後になって、ふとしたきっかけから自分はユダヤ人で、両親がホロコーストで亡くなる直前に、自分はその友人に預けられて育ったのだと知る。これまで肉親と信じていた者たちがそうでなかったこと、自分がユダヤ教徒の血を引いていたこと、そしてセルビアでも実はホロコーストが行われていたこと。思いがけぬ真実がもたらすショックの連続を乗り越えつつ、主人公は育ててくれた家族やユダヤ教会、ホロコーストの跡地などを訪ね、事実を確認し、受け入れていく。
 そもそも、世の中は見えないこと、隠されたことに満ちているものだが、主人公は育ての家族の「思いやり」ゆえの完璧な嘘によって、自分のルーツを100%隠されたまま終わるところだった。そのヴェールを剥がす動きは、もちろん一つの国が歴史のヴェールをめくる過程とも重なっていく。
 ゲットーの悲惨さも印象的だが、今もその建物がアパートとして使われ、貧民窟化しているという事実、ホロコーストの歴史がその住民によって受け継がれているという事実も衝撃的だ。セルビアから追い出されつつある存在で、そのため懸命に合法的に国外に出る手立てを探しているロマたちが、最終的にセルビアにとってとても重要な歴史のメモリアルを担うことになるのだが、ここにも何とも言えぬ皮肉がある。
 本作で印象的なのは、老人の娘や息子が、父親の言うことをまるで信じず、ただ父親がたわごとを言っているのだと感じること。だから、「慰霊」をしようとの父親の提案にもまったく応じない。戦争、または強制収容所での虐殺の直接の被害者と、そうでない者のギャップ、そして世代の差による戦争からの距離感のギャップが鮮やかだ。家族関係が疎遠になっている今日では、ときに家族であっても、もっとも根源的で痛みを伴う体験、ましてや歴史の記憶を共有できる存在とはなり得ない、という残酷な現実をつきつけてくる。
 もちろん、セルビアの戦争は第二次世界大戦では終わらなかった。作中には内戦の最中に一人息子が突然徴兵され、前線で死んだ歌手が登場する。ショックでどうしても歌えなくなった歌手は、どんな友情や期待を注がれても、歌声を取り戻そうとしない。同地の紛争では悪者にされがちなセルビア人だが、彼らの間にも当然ながら、圧倒的な弱者、被害者は無数に存在している。
 一方主人公は、音楽を通じ、戦争の悲惨さと芸術の価値を伝えて行く。そして強制収容所の中で父親が作曲し、世に残した楽譜を再現すべく奮闘を続ける。ここで観る者は、音楽が担う大切な役割に思いを馳せざるを得ない。音楽が人類の記憶と体験を継承しつつ、人の営みを証明していくことのすばらしさ。本当に人の魂を癒すことのできる音楽とは何なのか? そんな普遍的なテーマが、暗いだけで終わりがちな内容を見事に昇華し、多くの人が鑑賞に堪える類まれな芸術作品にしていた。

革命を目指した息子との断絶と和解

 もう一つ、やはり北京で行われたトルコ映画祭で観た「MY FATHER AND MY SON」も忘れ難い印象を残した。こちらは「農業を勉強しろ」との親の要求に背き、ジャーナリズムを学んだ上、社会運動に身を投じたために完全に親と縁を切っていた息子サデクが、逮捕され、監獄での虐待を経た後、両親や兄弟姉妹の待つ田舎に戻る物語。とにかく作中に出てくる田舎のおばちゃんたちが元気この上なく、賑やかな華やぎの中に悲劇と哀感が内包されているという意味ではクストリッツァや一部のロシア映画を思わせる。もっとも、サデクが連れてきた、自分の孫に当たる子どものかわいさから、それまで頑なにサデクを拒んでいた父親フセインが心を開いていく過程はとても感動的で、寅さん映画も顔負けなほど人情味に溢れたものだ。母親をクーデター中の出産によって失っている息子が、妄想をフル回転させ、現実と空想をごっちゃにしながら生きている様子もファンタジックで共感を誘う。(以下の一段落には、映画の結末が含まれているので、直接映画で観たい方は飛ばして下さい)。
 息子に「家」を残すという念願を果たし、この上なく美しく描かれたトルコの田舎の牧歌的な風景の中、最終的にサデクは獄中のリンチで受けた傷がもとで世を去る。自分があの時、息子が都会に出るのを阻止していれば、と後悔し、狂いそうになるフセインを、家族がサデクに扮した兄弟の文字通り「体当たり」の演技で救い、目を覚まさせるシーンは圧巻だ。一人残された孫に、フセインはかつて自分がこっそり撮った録画機を渡す。そこには、ジャーナリストを目指したサデクとそもそも表現や記録が好きだったフセインの絶ちがたい親子のつながりが示されているとともに、家族を、社会を、歴史を、そして未来を記録しなさい、という作者のメッセージが込められている。フセインが録画機や映写機を隠していた倉庫を、孫が悪の巣窟と妄想するいきさつには、とても強烈な皮肉がある。それは自由な表現を憎む側からすれば真実でさえあるからだ。だが実はそこは、いわば「希望が死蔵された」場所だった。この時脳裏に蘇るのは、フセインと病床のサデクが和解した際、「お前は俺のすべてだ」とフセインがサデクに言ったことの意味だ。フセインはやはり、自分の映画趣味がサデクに影響したことを意識しており、そのことに強い罪悪感を覚えつつも、心のどこかで自分や社会の希望をサデクに託していたのだ。
 この作品は、主人公が傾倒するのがアナーキズムであり、そのために獄中でリンチを受けること、そしてその後の信念の変化について何も表明していないことから検閲を通ったものと思われるが、見方によっては、中国の現代的問題とも十分リンクするものであり、情況はむしろ中国の方が厳しいとさえいえる。映画では、字幕の翻訳が略されたセリフが幾つもあり、映画の最後の方は、不自然なほどサイレントだった。盛り上がる部分はやり過ぎなほど音楽を入れる映画だった分、明らかにアンバランスだった。そもそも撮影技術、演出、字幕の入れ方などの面については、未熟さも目立つ映画だったため、効果を狙ってなのか事故なのか、はたまた検閲や妨害なのかはわからなかったが、少なくとも北京で上映されるにあたってはそれらしい皮肉に満ちたエンディングだと感じられた。 

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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