廣田裕之の社会的連帯経済ウォッチ

第27回

社会的連帯経済のマーケティング(その1)

 さて、今回からは趣をガラリと変えて、社会的連帯経済のマーケティングについてちょっと考えてみたいと思います。
 マーケティングというと、資本主義企業が営利目的で行っている宣伝活動というイメージを持たれている方が多いと思います。実際マーケティング(marketing)という単語自体が「市場」(market)という単語から派生していることからもお判りの通り、当初はマーケティングは市場開拓、換言すれば企業が生産した商品やサービスを購入する市場を積極的に創造・開拓するためのさまざまな販促活動を指していました。

 しかし、1970年代以降になるとこのようなマーケティングの手法が、営利企業の販促活動以外の分野でも応用されるようになりました。たとえば、発展途上国の開発支援を行うNGOが自分たちの活動資金を獲得すべく一般の人から寄付を募ったり、ソーシャルワーカーが何らかの行動(特にHIV感染を予防するためのコンドーム使用)を推奨したりする際に、販促活動で培われたノウハウが用いられるようになったのです。とりわけ、特定の行動を推奨するマーケティングについては、ソーシャル・マーケティングという新しい分野が確立し、営利企業向けのマーケティングと深い関係を保ちつつも、独自の発展を遂げてゆくことになったのです。

コンドームを使ったセーフセックスを呼びかけるドイツの広告

▲コンドームを使ったセーフセックスを呼びかけるドイツの広告。

 このため、マーケティングが取り扱う内容も時代によって大きく変わってゆきました。マーケティングの分野では米国マーケティング協会(AMA)による定義が主流とされていますが、この定義も「生産者から消費者又は利用者への商品及びサービスの流れを指揮する企業活動の遂行」(1960年)から「個人や組織の目的を満足させる交換を創造するためのアイデア、財(製品)、サービスの概念形成、価格設定、プロモーション、流通を計画し、実行する過程」(1985年)を経て、最新版(2007年)では「顧客、依頼人、パートナー、社会全体にとって価値のある提供物を創造・伝達・配達・交換するための活動であり、一連の制度、そしてプロセス」と、大きく変化しています。

 定義の移り変わりについて、もうちょっと詳しく見てみることにしましょう。1960年の定義ではとにかく商品やサービスをどうやって消費者まで届けるかという一点に対して関心が寄せられていますが、1985年の定義では流通ではなく「交換」という概念が登場しており、営利企業の販促活動の場合でも営利企業と消費者との間での交換が主軸に据えられています。言い換えると、単に営利企業から消費者への商品の販売ではなく、消費者から営利企業に向けた別のモノやサービス(たとえば新規顧客の紹介や同社製品の定期的購入)の提供もマーケティングの一部とみなされるようになりました。そして最新版の定義では「価値」という概念が強調され、取引を行う両者がそれぞれ必要としているものをどのように生産・流通させてゆくかという点がマーケティングの主要課題として提示されるようになったのです。

 このように定義が変わっていった背景には、マーケティングの手法がさまざまな分野に応用されてゆき、既存の定義ではカバーしきれなくなったことが挙げられます。営利企業においては、単に消費者だけではなく、株主や銀行、環境団体、あるいは工場のある地元の行政や住民一般など、さまざまなステイクホルダー(利害関係者)との関係を大切にしてゆく経営が求められるようになりました。また、企業の社会的責任(CSR)という考え方も広まり、企業は単に株主に配当を出せばよいのではなく、法律を守ったり持続可能な発展に貢献したりする必要があるという認識が広く持たれるようになり、このようなステイクホルダーとのマーケティングも重要視されるようになりました。さらに、営利企業の販促活動という従来の定義の枠組みの中でもリレーションシップ・マーケティングという概念が生まれ、新規顧客の開拓よりも固定客の維持に重点を置いたマーケティングが実施されるようになりました(関連研究によると、固定客として定着した客は、新規顧客よりも高い利益を企業にもたらすようになる)。

 また、CSRと関連したマーケティング手法として、コーズマーケティングが挙げられます。これは、1983年にアメリカン・エクスプレスが、ニューヨーク市内の自由の女神像の修復キャンペーンとして、同社のクレジットカードの利用1回ごとに1セント(約1円)を同プロジェクトに寄付するというもので、3カ月で170万ドルものお金を集めたのが始まりです。社会貢献をしつつ、それによって自社の商品やサービスの利用を促すということで、企業と消費者の両方にメリットのある手法だと言えます。日本の小中学校などで幅広く集められているベルマーク運動も、このコーズマーケティングの一種だと言えるでしょう。

コーズマーケティングにより修復基金が得られた米国・ニューヨークの自由の女神像

◀コーズマーケティングにより修復基金が得られた米国・ニューヨークの自由の女神像

 しかし、マーケティングという概念が飛躍的な発展を見せるのは、ソーシャル・マーケティングの分野です。「石鹸を売るようにして連帯を売ることができないのか?」(ゲアハルト・ヴィーベ、1952年)ということばが端的に示しているように、ソーシャル・マーケティングとは、もともとは商品やサービスを消費者に売りつけるマーケティングの手法を社会運動に応用したもので、キャンペーンを張る側から一般市民への一方的なメッセージ送信だったのですが、1990年代以降からはメッセージを受信する側との間での対話が重要視されるようになりました。すなわち、単にこちら側がよいと思ったこと(例: 禁煙、「飲んだら乗るな 乗るなら飲むな」、HIV感染防止のためのコンドーム使用)をそのまま押し付けるのではなく、相手側の立場に立ち、彼らの状況をきちんと理解した上で、それに対応した対策を取ることが大切となるのです(例:居酒屋への交通手段が自家用車しかない地域に代行運転サービスを定着させて、飲んだあとも問題なく帰宅できるようにする、コンドームを買う金銭的余裕がない人が多い地域にはコンドームを無償配布する、コンドームの使用を蔑視する文化がある地域では、地域の有力者などに頼んでコンドームの大切さを地域住民に教えてもらう、など)。

 このようにソーシャル・マーケティングは、対象相手との対話を強調するようになりましたが、このような対話重視型の実践例としては、この連載でもご紹介したパウロ・フレイレの対話型教育が重要となります(パウロ・フレイレについての詳細は第6回の記事を参照)。当初のソーシャル・マーケティングと、パウロ・フレイレが批判した「銀行型教育」の共通点としては、対象相手の社会的・経済的状況や興味関心を無視して、推奨者が正しいと考えている社会的行動などを対象相手に強いるというものですが、完全に上意下達型の組織でもない限り、そのような命令調のマーケティングはうまく行きませんし、押し付けがましい手法を使うとむしろ反感を買うことになります。そうではなく、あくまでも対象相手の状況や意見などを理解した上で、彼らと対話することによって効果的なマーケティング方法を見つけてゆくことが、ソーシャル・マーケティングにおいてはカギとなります。

 また、ソーシャル・マーケティングを行う際には、自分たちが推奨する価値観をどのような形で定着させるかというのも大きな課題になりますが、個人が新しい価値観を採択する場合には、「規範遵守」(法律などで決められているから禁煙する)、「同一化」(憧れのアイドルが禁煙しているから、あるいは流行っているから禁煙する)、「内部化」(喫煙は体に悪いから禁煙する)の三つの段階について考える必要があります。規範化は一番強制力のある手法ですが、そのような規則を作る権限のある人のみが実行可能ですし(ある市内で禁煙条例を作れるのはその市議会のみ)、また違反者を罰する仕組みが必要です(たとえば禁煙の場所で喫煙した場合には罰金5万円)が、規則や違反者への懲罰の及ばない場所では効力がありません(ある市内で禁煙条例を作っても別の市では喫煙が可能だし、違反者を取り締まる人がいない場所では実質上この条例は効果がない)。これに比べると同一化は多少個人レベルで積極的にその価値観を受け入れる意思が見られますが、これもそのアイドルが喫煙し始めたり、喫煙が流行し始めたりしたら、禁煙のための動機が失われてしまいます。これに対し、「内部化」では個人がその価値観について完全に納得しているため、法律や流行などに左右されず自己意思として禁煙が続くことになるのです。

 次回は、今回紹介しきれなかった部分も紹介しながら、このようなマーケティングの手法を社会的連帯経済の推進に応用する方法について考えてゆきたいと思います。

コラムニスト
廣田 裕之
1976年福岡県生まれ。1999年より地域通貨(補完通貨)に関する研究や推進活動に携わっており、その関連から社会的連帯経済についても2003年以降関わり続ける。スペイン・バレンシア大学の社会的経済修士課程および博士課程修了。著書「地域通貨入門-持続可能な社会を目指して」(アルテ、2011(改訂版))、「シルビオ・ゲゼル入門──減価する貨幣とは何か」(アルテ、2009)、「社会的連帯経済入門──みんなが幸せに生活できる経済システムとは」(集広舎、2016)など。
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