日欧米などにおける富の分配について数多くの図表で詳述したベストセラー「21世紀の資本」で有名なフランスの経済学者トマ・ピケティが、2016年以降の新聞への寄稿をまとめた新著「活発に社会主義」(Vivement le Socialisme)を刊行しました。今回はこの著書で書かれているピケティの提案を紹介しつつも、そこで欠けている通貨制度の改革について取り上げたいと思います。
この著書においてピケティは、不平等や環境破壊により「資本主義には未来がない」ことが共通認識になっていることを指摘する一方で、20世紀を通じて各種税制や社会保障により、新自由主義が一般的になる1990年代まではフランスの貧富の格差が一貫して低下してきたことを説明し、ドイツや北欧で行われてきた、株式総会に労働者も参加する「共同経営」モデルを評価し、特に労働者が株も持っている場合、同一人物が労働者兼株主として参加することで、労働者協同組合に近い形での運営が可能だと論じています。また、固定資産税や相続税、そして所得税を増税したり、資産税を創設したりすることで所得の移転を促し、これにより貧富の格差を是正すべきだと論じています。所得税については最高税率90%を提唱していますが、これは1980年代まで日本を含む先進国ではごく普通の税率でした(日本で最高税率が一番高かった1974年は、所得税と住民税を合わせると93%もの税率。ちなみに日本は国税と地方税が分離しているが、国によっては国税しか存在せず、税務署が一旦国税として徴収したのちに地方自治体に分配する場合もある)ので、決して無謀な提案ではないというのがピケティの主張です。彼はこの本で、「参加型で地方分権型、連邦型で民主的で、環境を守りミックス型でフェミニストである新たな形態の社会主義」を提唱しています。
富裕層の税負担を軽減し、富裕層が資産形成をしやすい税制を作った場合、確かにその国では富裕層による経済活動が盛んになったり、富裕層がその国に移住したりしてその国のGDP(国内総生産)が増えたりしますが、課税という形での富の再分配があまり行われないため、貧富の格差が拡大することになります。庶民もそれなりの収入が得られる社会の場合、それら庶民を対象とした市場が成立することで経済がさらに成長しますが、それら庶民や中間層の生活に余裕がない場合、そのような経済が成立しなくなり、経済全体は停滞します。たとえば、中間層の生活に余裕がある場合、週末にファミレスに行ったり、テーマパークに遊びに行ったりすることができますし、ちょっと高くても健康を重視する人なら有機野菜などを積極的に買うでしょうが、中間層や庶民の生活が苦しくなるとそういう需要が減り、そのような業種の中では商売が成り立たなくなるケースも生まれます。もちろんそのような需要を狙った商売が成り立つ余地もありますが、中間層の財布の紐が堅くなるため、市場規模が小さくなります。その一方で、富裕層が増えた収入をそのまま惜しみなく消費するトリクルダウンは起きないため、最終的には各国経済全体の成長する余地が小さくなるのです。かつてフォードの社長は、社員がフォードの乗用車を買えるようにあえて社員に高給を支払うことで、社会全体のパイを拡大していましたが、現在の新自由主義はまさにこの逆を行っているのです。
貧富の格差の拡大に歯止めをかけ、富の再分配を進めたいという点では、私もピケティに異論はありませんが、その一方で現在の通貨や金融の制度そのものにより貧富の格差が拡大している、より具体的にいうなら金持ちに有利な形で富の再分配が行われている点についての指摘が弱いような気がします。各種統計から議論を組み立てるピケティの手法では、通貨制度にまで手が回らないのは確かですが、そのため敢えて今回は、富の再分配における通貨制度や金融制度の役割について考えたいと思います。
現在の通貨制度において最大の問題は、通貨の発行や融資の場合、金利の支払いが前提となっていることです。確かにここ数年は、未曽有の経済危機のために公定歩合はほぼゼロになっていますが、それでも私たちが銀行からお金を借りる場合には、一定額の金利を支払わなければなりません。特にその返済が中長期におよぶ住宅ローンでは金利がかなりの額となり、元金以上の額を金利として支払わなければならないケースさえあります。富裕層は十分な額のお金を持っているためにこの住宅ローンを支払わなくてよい一方、一般庶民はそこまでのお金がないために高い住宅ローンを支払わないといけなくなり、これにより貧富の格差が拡大しているという問題を見逃すことはできません。
また、自分が直接借金をしなくても、私たちはさまざまな商品やサービスを購入するたびに金利を間接的に負担しています。たとえば最近開業した地下鉄の路線に乗った場合、建設費に加えてこの建設費の融資にかかる金利を負担する必要が生じ、運賃の一部として利用者がこの金利を間接的に支払っているわけです。地下鉄に限らず基本的に債務を抱えている企業の場合、多かれ少なかれこの債務にかかる金利を負担することになり、これにより消費者として私たちが支払う最終価格が値上がりしたり、消費者としての私たちから債権者への富の移転が起きたりするのです。このような通貨制度に批判的だったマルグリット・ケネディはその著書「インフレとも金利とも無縁な貨幣」で、1982年に当時の西ドイツで所得階層別に支払う金利と受け取る金利の額を計算し、金利制度により西ドイツ人の大半が損する一方、わずかな富裕層だけが得をする不公平さを指摘しています(下図参照)。
このような状況で注目されるのが、シルビオ・ゲゼル(1862~1930)が提唱した、減価する貨幣の導入です。減価する貨幣についてはこちらなどで詳述しているのでここでは繰り返しませんが、減価する貨幣の場合、手許に持っていても価値が少しずつ目減りするだけなので、当面必要な額以上を手にした人は、住宅など中長期的に価値を維持できる資産を購入しますが、これにより退蔵が防止され通貨の流動性が確保されます。誰もがこの減価する貨幣を効果的に使おうとし、余ったお金についてはNPOに寄付したり(地域通貨として減価する貨幣を1930年代に採用したオーストリア・ヴェルグルでは住民が地方税を前払いするようになったが、数多くのNPOがある現在の日本ではNPOへの寄付が優先されることでしょう)、企業であれば従業員へのボーナスとして支給したりすることになるので、効率的にトリクルダウンが行われます。重税という形で政府が富裕層を搾り取らなくても、富裕層のほうから積極的にお金を手放すようになるため、ゆくゆくは社会全体にお金が循環するようになるというわけです。
またゲゼルは、土地の国有化も提案しています。土地の国有化というと、いかにも共産主義的に思えるかもしれませんが、実は資本主義の砦ともいえる香港がこの制度を採用しています。香港は1997年まで英領植民地でしたが、この時期は香港の土地は全て英国王室のものであり、香港で住宅や工場、オフィスなどを建築する場合、植民地政府である香港政庁から土地を借りて地代を支払う必要がありました。現在の香港は英領でこそないものの基本的な構図は変わらず、現地政府が土地を全て保有したままであり、実に香港政府の歳入の5分の1が地代収入になっています(2020~21年度予算付録BセクションVIを参照)。ゲゼルはこの地代収入を子育て年金として母親に支給することを提案していましたが、仮にこれが可能であれば、少子高齢化に悩む日本など先進国の状況が一変するかもしれません。
貧富の格差が拡大すると治安が悪化し、それを嫌って最終的には富裕層自体が国を出てゆくようになりかねないため、これを防ぐべきだという点ではピケティに同意しますが、その一方で重税だけでは富裕層が納得せず、税金の安い国への富裕層の流出を招くだけのような気もします。ピケティのような時代の最先端をゆく知性を持つ方には、このような可能性も検討してもらいたいと思う次第です。