廣田裕之の社会的連帯経済ウォッチ

第19回

減価する貨幣の理論

 前回は現在の通貨制度が抱えているさまざまな問題についてご紹介しましたが、今回はそんな現在の通貨制度を根本から変える「減価する貨幣」という理論を編み出したシルビオ・ゲゼル(1862~1930)についてご紹介したいと思います

シルビオ・ゲゼル(1862~1930)

◀シルビオ・ゲゼル(1862~1930)

 シルビオ・ゲゼルは、現在ではベルギー領になっているものの当時はドイツ領だったザンクト・フィット(Sankt Vith)という街で、ドイツの徴税官だった父親とワロン人(ベルギー南部のフランス語圏出身者)の母親の間に生まれました。24歳のときに当時経済的に潤っていた南米アルゼンチンはブエノスアイレスに移住して事業を興し成功しますが、当時のアルゼンチン政府の通貨政策の失敗によってデフレ(物価下落)やインフレ(物価上昇)が起き、そのたびに同国経済が大混乱に陥りました。シルビオ・ゲゼル自身は経済の知識があったのでこの危機を切り抜けることができましたが、倒産企業や失業者が大量に出た現状を見て通貨問題に対する関心を高め、1900年には弟に事業を任せてスイスに移住しました。そこで晴耕雨読の生活を送りながら経済の研究を行い、1916年に代表作「自然的経済秩序」を刊行します(詳細については後述)。

 この本が発行されてから、特にドイツ語圏各地でゲゼルは人気を博すようになります。そして、第1次世界大戦の終了後にバイエルンでアナーキストらによるバイエルン・ソビエト共和国が樹立されますが、そこでゲゼルは金融担当相に任命されます。しかしながらこの政府はわずか1週間で崩壊してしまい、その後の混乱でゲゼルは国家内乱罪に問われ死刑を求刑されるものの、卓越した弁舌で無罪を勝ち取ります。その後は支持者などに囲まれて余生を過ごし、1930年にベルリン郊外で68年の生涯を閉じることになります。

 先ほどもご紹介した「自然的経済秩序」でゲゼルは、2つの大きな提案をしました。

  1. 土地の国有化および国の地代収入の母親年金としての配分
  2. 定期的に持ち越し費用が発生する通貨の導入

 土地と貨幣という、一見直接関係しないような2つの分野にまたがっていますが、ゲゼルはこの両方の分野における不労所得の廃止を社会正義とみなしたのです。大土地所有制が珍しくなく、その下で多くの農民が小作農としてこき使われている一方で、広大な土地を代々受け継ぐ地主はたくさん地代を受け取っては、貴族として優雅な生活を送っていました。また、毎日の生活にも事欠くような人たちがお金を借りては高い利息に苦しむ一方で、何らかの理由で一財産ある人はその資金を銀行にさえ預けていれば、働かなくても金利だけで生活することができます。ゲゼルは土地と貨幣に共通するこのような不公平を問題視し、それを解決するための手段として前述の2つの提案を行ったのです。

 土地についてですが、ゲゼルは国有化した上で、土地を借りて耕作する人は誰であれ政府に地代を払うようにすべきだと述べました。そして、そうやって入った地代を母親年金にすべきだと提案したのです。これはどうしてでしょうか。

 たとえば、毎年12トンの収穫をもたらす田んぼについて考えてみましょう。コメ農家はこの土地でおコメを作っては消費者に売りますが、この消費者は全て、母親が腹を痛めることにより生まれた人たちです。1人あたりの年間コメ消費量が60キロの場合、このコメ農家が12トンのおコメを500人に売って生計を立てることができるのは、このおコメを消費してくれる人たちのおかげであり、ひいてはその500人を産み育てた母親のおかげなのです。そのため、子育て中の母親が経済的に困ることのないように、政府は母親年金を支払うべきだというのがゲゼルの提案だったのです。

 「自然的経済秩序」が刊行された当時(1916年)は、まだまだ女性の社会進出が進んでいない時期で、女性が高収入を得るのは非常に難しい時期でした。このため、子どもを養えるだけの経済力がある男性を見つけることが、特に母親願望のある女性にとっては大切なこととなり、人間としてのさまざまな魅力よりも経済力のある男性を好むようになります。また、経済力に問題ない男性との間に子どもが生まれても、その男性の経済力が子育て中ずっと維持されるとは限りません。その男性が病気や交通事故などで死んだり、男性の事業が破綻したり勤め人の場合には解雇された場合には、残された母子は経済的に路頭に迷うことになります。これは社会正義に反すると考えたシルビオ・ゲゼルは、子育て期間中は政府が母親にきちんと年金を支払うことで、男性の経済力に左右されず安心して子育てできる社会を作るべきだと考えたのです。

 このような提案を聞くと、いかにもシルビオ・ゲゼルが女性に優しい紳士のように思う方も少なくないでしょうが、実はシルビオ・ゲゼルがこの提案を行ったのには別の理由があります。実は彼はアルゼンチンで妻以外にも数多くの女性と交際し、彼女たちとの間に数多くの子どもを残しています。このため、仮にアルゼンチンで母親年金が実施されていたら、他ならぬシルビオ・ゲゼル自身が養育費の支払いから解放されたことでしょう。その意味では、彼自身が得するようなシステムをゲゼルは考え出したとも言えるのです。

 ちなみに、土地の国有化というと共産主義国家のできごとのように思われるかもしれませんが、実は世界でも最も反共産主義的な地域でこの土地の国有化が実施されています。1997年まで英国植民地だった香港は自由貿易に根ざした経済で栄え、資本主義のショーウインドウとも呼べる存在ですが、返還前は香港の土地は全て英国女王の所有物であり、香港で住宅や工場、事業所などを建設する場合には香港政庁から土地を借りる必要がありましたが、この地代が香港政府の財政を助けることになりました。返還後もこのシステム自体は基本的に変わっておらず(もちろん現在の土地の所有者は中華人民共和国香港特別行政区政府になっていますが)、2013~2014年度の同政府予算でも4351億香港ドル(約5兆5500億円)のうち690億香港ドル(15.9%、約8800億円)が地代所得になっています(出典:香港特別行政区政府)。仮にこのお金を香港在住の15歳未満の子ども(約82万0300人)を持つ母親に配ったとすると、子ども1人あたり年間で8180香港ドル(約10万5000円)が手に入る計算になります。

 さて、本題の貨幣問題に入りたいと思います。貨幣の問題点については前回の連載で詳述したので繰り返しませんが、シルビオ・ゲゼルはこの中でも特に商品と比べた際の貨幣の特権を問題視しました。商品は全て、遅かれ早かれ価値を失います。たとえば昨日の新聞を買って読みたいと思う人は普通はいませんし、魚であっても釣ってから数週間放置されたものであれば腐ってしまい、誰も買って食べようとはしなくなります。服やおコメ、そして住宅であればもっと長期間持つでしょうが、それでも長い間に品質が劣化してゆくことは避けられません。しかし、インフレがない場合には、お金の所有者はそのような減価には無縁です。弁当屋ができたての弁当を何とかして売りさばこうとして値下げしてでも弁当を売る一方で、お金の所有者はそのお金で好きなときに弁当を買うことができます。また、このような貨幣の特性から、お金を貸すときには金利を請求できるようになったのです。商品しかない人からすれば、まさに特権的な立場にあると言えるでしょう。

 このため、シルビオ・ゲゼルは「貨幣の特権を廃止しよう」と提案しました。具体的には、たとえば1000円札、5000円札そして1万円札であれば、毎週月曜日になるたびに額面の0.1%(1円、5円そして10円)のスタンプを買って紙幣の裏に貼らないといけないようにするというものです。これにより、お金の所有者も商品の所有者同様に、時間の経過とともに手持ちの価値を減らして、今までのような特権を享受できなくしようとしたのです。

 そして、このような減価する貨幣は単なる机上の理屈ではなく、実際にいくつかの地域で実践されました。その中でも最も有名なのは、オーストリアのヴェルグル(Wörgl)という街で1932年から1933年にかけて実践された労働証明書です。この街では減価する貨幣の熱狂的な信奉者であったミヒャエル・ウンターグッゲンベルガーが市長になると、市内でのみ通用する地域通貨として減価する貨幣を発行するプロジェクトを立ち上げ、1932年7月31日に市役所の手許にあったオーストリア・シリングを担保としてこの地域通貨を発行して流通させました。1929年に始まった大恐慌の中、アルプス山脈の麓のこの小さな町でも失業者が街にあふれていましたが、減価する貨幣はこの街の隅々に流通し、経済を立て直しました。1000シリングしか発行していないのに、わずか数日で市役所に5100シリングもの税収が入ったり、オーストリア国内で失業が増える中でこの町では失業者数が25%も減ったり、そして何よりも信じられないこととして市民が税金の前払いをするようになったりしたのです。この実践は1933年9月にオーストリアの中央銀行によって禁止されてしまいますが、それでも減価する貨幣の有効性を示す実例として知られています。なお、詳細については「ヴェルグルの実験」(「自由経済研究」(ぱる出版)第12号、第13号、第14号および第16号)で紹介されています。

1シリング紙幣。毎月額面の1%のスタンプを買って貼る必要があった。

◀1シリング紙幣。毎月額面の1%のスタンプを買って貼る必要があった。

 また、今日でも減価する貨幣が、地域通貨として実践されています。その中でも最も有名なのが、このヴェルグルからさほど遠くないドイツはバイエルン州のキームゼー湖周辺で使われているキームガウアー(ドイツ語)です。これは、ヴァルドルフ学校(人智学の創設者ルドルフ・シュタイナーの哲学を基盤とした教育プログラムを実施している私立学校)で社会科を担当していたクリスティアン・ゲレリとその学生6名によって2003年1月に立ち上がったもので、ユーロを担保として発行されています。

2キームガウアー紙幣(2012~2013年版)の表面(上)と裏面(下)

◀2キームガウアー紙幣(2012~2013年版)の表面(上)と裏面(下)

 この地域通貨は250ほどのプロジェクトと提携しており、一般消費者は加入時にそのうち1つを選んで、ユーロからキームガウアーに交換すると、その額のうち3%がそのプロジェクトに寄付されます。キームガウアーはユーロと等価で使えるので、消費者としては自分の財布を痛めることなく、たとえば毎月500ユーロをキームガウアーに替えて消費すると毎月15ユーロ、年間では180ユーロを地域のプロジェクトに寄付できます。地域通貨を受け取った事業所は5%の手数料を払ってユーロに再交換することもできますが(会計上は割引となり税制面でも優遇を受ける)、受け取ったキームガウアーを他の事業所に支払うことでこの手数料を回避することができます。また、このようにキームガウアーを受け取ることにより、地域貢献を支援する事業所として消費者イメージを改善することもできます。キームガウアーの場合には3ヵ月ごと(1月1日、4月1日、7月1日そして10月1日)に2%の減価となり、このためユーロよりも3倍近い速さで流通しています。2013年9月現在59万5492キームガウアー(約7860万円)が流通し、659軒の事業所がこのキームガウアーに参加しています。また、2012年のキームガウアーでの売上高は645万2279キームガウアー(約8億5200万円)で、5万5934キームガウアー(約738万円)が地域のプロジェクトに寄付されています。

 ゲゼルが生きた当時は技術がまだ未発達だったので、紙幣にスタンプを貼る方法でしか減価できませんでしたが、技術が発達した現在ではオンライン口座化することにより減価処理を単純化することができます。つまり、普通の銀行口座にお金を預けると定期的に利息がつきますが、その逆に定期的に減価分が差し引かれるようにすればよいわけです。
 減価する貨幣についてはこの他にもさまざまなメリットがありますが、これらについては拙著「シルビオ・ゲゼル入門 – 減価する貨幣とは何か」(アルテ)で詳しく紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。

コラムニスト
廣田 裕之
1976年福岡県生まれ。法政大学連帯社会インスティテュート連携教員。1999年より地域通貨(補完通貨)に関する研究や推進活動に携わっており、その関連から社会的連帯経済についても2003年以降関わり続ける。スペイン・バレンシア大学の社会的経済修士課程および博士課程修了。著書「地域通貨入門-持続可能な社会を目指して」(アルテ、2011(改訂版))、「シルビオ・ゲゼル入門──減価する貨幣とは何か」(アルテ、2009)、「社会的連帯経済入門──みんなが幸せに生活できる経済システムとは」(集広舎、2016)など。
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