我が輩は狼である。
先日語った東チベットで起きた大地震について、もう少し語ろう。地震から一週間ほどは、日本国内でも報じられていたので地震の存在を意識することもあったかと思う。ところが、いつしか報道は消え、地震があったことすら覚えてない人も多いのではないだろうか。地震のことをお前さんたち日本人の多くが忘れてしまったのは仕方がない部分も多い。中国政府自体が、地震が起きて一週間ほどで、すでに終わったこととすべく幕引きに動いていたのだから。
チベット各地から被災者を救うために僧侶たちが集まったことは前回話した。集まった僧侶の人数は1万人弱、中国政府が投入した救助隊よりも若干少ない程度の人数だった。ところが、中国政府は震災から1週間ほどで、彼らの大部分に退去を命じた。それは救助隊の救助活動が打ち切られたのと、ほぼ同時期だった。
なぜ、中国政府は、素早く救出活動を打ち切ろうとしたのだろうか? たしかに、埋まって1週間もたてば、生きている望みは限りなく薄い。だが残された家族からすれば、死体が見つかるまでは“もしかしたらまだ生きているのではないか?”という思いが捨てきれないことは、獣である我が輩よりも、お前さんたちのほうがよくわかることかと思う。そして、チベット人と言う連中は、何世代も寒冷な高地で生き続けてきたタフな人種であり、実際に1週間や10日生き続けていたとしてもなんら不思議ではない。
今回の地震の犠牲者の人数だが、中国政府の公式な発表では、およそ2200人。現地のチベット人の言葉によれば10000人〜15000人。かなりかけ離れた数字だ。おそらく、どちらも正確な数ではないだろう。チベット人たちが言う数字は、統制がとれた組織でまとめられたものではないので、消息がわらかない者を犠牲者として扱ったり、同じ人物を別々な場所で二度数えてしまっている数字が混ざっているのではないかと推測される。それでは、中国側が掲げている数字の方が正確かと言えば、そうも言えない。
中国側の統計では、多くの人数が犠牲者の数から省かれている。まず、犠牲者として数えられているのは、被災の中心地であるジュクンドの町の居住者だけだ。周辺の村々での犠牲者は犠牲者としてカウントされていない。さらに、ジュクンドに住んでいても、ジュクンドの配給票を持つもののみが、犠牲者として数えられていて、配給票を持たないものは、犠牲者の数に数えられていない。
地震が起きたジュクンドはチベットの三大地域であるカムとアムドの境に近い古来からの交易地だった。多くの商人がカム地方、アムド地方の両方から集まっていた。彼らはジュクンドの定住者でないので、ジュクンドの配給票は持たず犠牲者にカウントされていない。また定住者でも、定住してすぐに配給票が貰えるわけでなく、定住して6年や7年という歳月を経るまで配給票を得ることができない。それどころか長らくこの地に住んでいる老人の中にも配給票を持たないものもいる。
配給票を持たない死者は、犠牲者として計上すらされない。それでは配給票を持たない生者はどうだろうか?
配給票と言う言葉の通り、配給を受け取れない。中国政府からの支援は配給票を持つ者のみが受け取れる。先ほど語ったような理由で被災地に居住しているにも関わらず配給票を持たないものはもちろん、地震によって配給票が埋まってしまったものも中国政府による支援を受けることはできなかったのだ。
支援を受けられないチベット人たちを支えたのはチベット各地から集まった僧侶たちだった。しかしながら、中国政府が彼らを被災地から追放しただけではあきたらず、政府を通さずに被災地に義援金や救難物資を運び込んだのは政府に対する挑戦行為だとして支援活動に従事した僧侶たちを取り調べている。救難活動をしたこと、被災地の実情を知らせる映像を撮影して公開したこと、犠牲者数が中国政府の公式発表よりも多かったと主張していること、全て中国政府に対する挑戦行為として、厳しい追及が行われている。
すでにジュクンド市内からは中国の救援隊は撤収し、民間による救援活動も厳しい検問によって阻まれている。検問の目をかいくぐって山を越えてたどりつくか、検問の兵士を買収する以外に、支援の物資を届ける手段は今はない。しかし、今はその細々とした物資のみが被災者たちの頼みの綱なのだ。