過去10年間、アフリカは年率5%以上という高い経済成長を達成し、アフリカが「援助の対象」から「ビジネスの対象」へと大きく変わりつつあります。高い経済成長の主要な理由として、中国などの新興国における高い経済成長を維持するための天然資源需要の大幅な増加、2003年以降の国際市場における資源価格の上昇に伴うアフリカにおける資源開発のための海外直接投資の急増などが指摘されています【注1】。
一方、2000年初頭以降、アフリカの人々の自国の「開発」への向き合い方に変化が起きていることも見逃せません。
アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)
筆者がこの変化に最初に注目したのは、「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」を巡る動きでした。NEPADは南アフリカのムベキ大統領(当時)が提唱し、2001年のアフリカ統一機構(OAU、現在はアフリカ連合(AU))総会で採択されたものです。ここでアフリカ諸国の指導者達は「援助従属を望まず、アフリカ人の運命はアフリカ人自身が決めること」を宣言し、民主主義と安定した経済運営をアフリカ大陸に実現するために市民及び国際社会と協力することを誓約し、紛争解決・予防・平和維持への取り組みを強化し、アフリカ各国がガバナンス改善を目的として相互に批評し合う仕組みを導入するとともに、開発の優先分野として、国境を越えたインフラ整備、人材開発、農業、科学技術などを掲げました【注2】。
このようなアフリカ自身の「内なる変化」も受けて、援助国・援助機関側もアフリカ諸国の開発におけるオーナーシップ、リーダーシップをより尊重する姿勢を示し、「アフリカの政府が運転手席に座るべき」と主張しました。但し、実態面ではアフリカ各国政府の能力不足もあり、援助する側(特に世界銀行、国際通貨基金(IMF))に財政面での主権を半ば奪われた状況(=「運転手」に対して「多くの乗客」が大声で方向や速度を指示する状況)はその後も継続することになりました。
しかしながら、90年代まではアフリカのリーダー達は開発の遅れの理由として「植民地時代の負の遺産」を挙げる傾向が強かったことを考慮すれば、NEPADを通じて、「自分たちの問題を自分たちで解決していくこと」の重要性を明確に認識し、独立国として本来有するべき誇りと自信を取り戻し始めたことは非常に大きな変化であったと感じます。
NEPADはアフリカ各国の指導者達が見せてきた変化ですが、今回のコラムでは市民レベルでの「開発」に対する姿勢の変化に焦点を当てたいと思います。キーワードは、「ディアスポラ」「頭脳帰還」「チーター世代」の3つです。
ディアスポラ
辞書によれば、「ディアスポラ(Diaspora)」とは歴史的由来から「離散したユダヤ人」を、また一般的には(diaspora と記載する場合)は「国外に離散した人々」のことを意味するようですが、筆者がガーナに滞在した2007~10年には「海外在住のガーナ人」を指す言葉として頻繁にマスメディアで使用されていました。「近年(独立後)ガーナを離れたガーナ人」に加えて、「かつての奴隷貿易でアメリカ大陸に連れて行かれたゴールドコースト(当時英国植民地)出身者の子孫のアフリカン-アメリカン」も含まれています。ヒトの遺伝子の解析技術の進歩により、アフリカン-アメリカンは自分の先祖の出身地をかなり正確に(奴隷市場の存在した地域レベルまで)特定できるようになっているようです。
ガーナにおいて、「ディアスポラ」が語られるのは多くの場合、「先祖の国あるいは母国であるガーナの経済発展に貢献してほしい、投資をしてほしい」という文脈においてでした。2000年代後半より、多くの欧米在住の「ディアスポラ」が母国ガーナに一時帰国または永久帰国し、欧米諸国で蓄積した経験・知識・人脈・財力を活かし、ガーナで新たなビジネスを立ち上げて雇用を創出する、不動産投資(外国人向け賃貸住宅・ビル建設)を行う、新興の富裕層を形成し国内消費を牽引する、といった形でガーナの経済発展に大きく貢献しています。筆者の身近にも、幼い頃に両親ともにオランダに移住し、オランダ国籍を有し、オランダで働いていたものの、一時帰国を契機に母国ガーナで新たにビジネス(コンサルタント会社)を立ち上げた「ディアスポラ」がいました。
▲ガーナ首都アクラ中心部ビジネス地区
▲アクラ中心部官庁地区
頭脳帰還
「ディアスポラ」が母国に帰国することは「頭脳帰還」とも表現できそうです。「頭脳流出(Brain Drain)」は良く目にされる言葉と思いますが、「頭脳帰還」は国外に流出した優秀な人材が母国に「帰還」するという意味で使っています。ケニアのジョモケニヤッタ農工大学マズルイ教授はアフリカ各国政府に対して、「頭脳流出」を引き起こす問題(能力開発の機会の少なさ、給与水準・社会保障の低さ等)に対処することの重要性を主張する一方、アフリカにおける過去の「頭脳流出」は今後長期的な視野で見た場合、母国への帰国・送金・投資、母国と在外アフリカ人の間の専門知識・経験の共有等により、アフリカ諸国における経済成長を加速させる「頭脳獲得(Brain Gain)」、「頭脳ボーナス(Brain Bonus)」にも変わり得ると指摘しています【注3】。
ガーナはアフリカ諸国の中でも「頭脳帰還」により最大の恩恵を受けている国のひとつと言えます【注4】。ガーナでは1957年の独立以来、民主的な政権とクーデター後の軍事政権が交互に成立したことから、軍事政権下で弾圧を恐れた多くの知識人が国を離れていきましたが(待遇面で不満を有する医師・看護師、教員などの国外流出も続きました)、1992年以降、既に6回の民主的な選挙を実施し、2000年、08年の大統領選挙・国会議員選挙の結果を踏まえて与野党間でスムーズに政権交代が行われ、国内外に民主主義の定着・深化、政治的安定を印象付けています。市民社会の活動も活発で、言論・報道の自由も相当程度確保される一方、政府のマクロ経済運営も概ね順調で、2011年にはギニア湾沖合の海底油田からの原油生産・輸出が開始され、ビジネス環境も大幅に改善しつつあります。
2008年の国際金融危機(リーマン・ショック)は欧米在住のガーナ人による母国への送金の大幅な減少をもたらすと共に、「頭脳流出」の要因である欧米諸国からの「Pull(引きつける力)」を弱めることになりました。一方、ガーナからの「Push(押し出す力)」は政治的・経済的・社会的安定により大幅に弱まり、むしろビジネス・チャンスの拡大により「Pull」が強まり、長年、欧米に在住してきたガーナ人が現在の仕事・暮らしに区切りをつけ、母国に戻り、母国の発展に貢献しながら、自己実現を目指せる環境が整いつつあると言えます。
多くの日本人にとっては、政治経済的混乱の中で、母国を捨てる決断をした人々の思いを理解するのは容易ではないように思います。欧米で新たな生活を築きつつも、「いつ戻れるのだろうか」との苦しい思いを胸に抱き続けたガーナ人も少なくないのでしょう。そして、大きく変わりつつある母国の現状を知り、「いつか必ず故郷に帰りたい」という思いを胸の中に静かに温め続けてきた多くの在外ガーナ人を行動に突き動かしているように感じています。
チーター世代──社会起業家として母国の開発に向き合う人々
「ディアスポラ」は長年母国を離れていたシニア世代(概ね40代以上)を指しているようですが、より若い世代にも母国の「開発」に対する思いの変化が見られます。筆者が「チーター世代(Cheetha Generation)」という言葉を最初に見かけたのは2010年5月に放映されたNHK番組クローズアップ現代「アフリカを変える“チーター世代”」でしたが、在ワシントンの「自由アフリカ財団(The Free Africa Foundation)」理事長でもあるアメリカン大学経済学部ジョージ・アイッティー教授(ガーナ人)が著作「Africa Unchained: The Blueprint to Africa’s Future」の中で、「チーター世代」に言及したのは2006年でした。
「チーター世代」とは、チーターのようなスピードで変革を目指す20~30代のアフリカ人であり、欧米留学後、欧米企業でキャリアを積んできたものの、2008年の国際金融危機の影響で欧米でのビジネスの機会が縮小したことから、あるいは母国の発展に貢献したいとの思いから、母国に戻り、ビジネスチャンスを見出し、貧困問題、若者の失業問題といった社会的課題の解決を模索し、政治面では既得権益に縛られた古いタイプの政治家に反発し、新たな国づくりに影響力を及ぼしている人々です。「チーター世代」は海外援助や自国政府からの支援には頼らず、自ら社会的課題を解決し、貧困層の人々に寄り添い、彼らに力を与えるべく、国内産業を育成しようとする「社会起業家」としての性格も有しています。アイッティー教授によれば、知識も情熱も有する「チーター世代」が最も必要としているのはビジネスを始めるための資金(マイクロ・クレジットよりも大きいメゾ・キャピトルと呼ばれる2.5万ドルから10万ドル程度の資金規模)ということです【注5】。
マイクロ・クレジット(貧困層を対象とした小規模な無担保融資)は、2006年にバングラデシュのグラミン銀行及び創設者のムハマド・ユヌス氏がノーベル平和賞を受賞したことから、広く認識されるようになりましたが、メゾ・キャピトルを必要とする途上国の「社会起業家」に対して資金を提供する団体・機関もすでに存在しています。熱く湧き上がる思いに支えられたアフリカの若い世代の新たな挑戦に資金提供(投資)を行うことは、ビジネスの持続可能性を確保するための冷静な判断も不可欠となりますが、対等な立場でのウィン・ウィンなパートナーとして、彼らと開発のビジョンを共有することにもなります。
アフリカの開発を牽引するアフリカの人々
筆者は、海外からの援助に依存せず、社会的課題の解決を目指し、ビジネスの分野でリーダーシップを発揮している彼らの新思考の中に、今後アフリカが健全かつ持続可能な開発を実現していく上での大きな潜在的可能性を見出しています。経験・人脈・財力を有する「ディアスポラ」と、情熱・ビジョンを有する「チーター世代」が相互補完的に母国の開発に貢献していくのであれば、アフリカの開発は着実に望ましい方向に前進していくのではないかと期待しているところです。
▲クワメ・エンクルマ(ガーナ初代大統領)記念公園
【注】
- 平野克己著『経済大陸アフリカ』(中公新書、2013年)、「日経ビジネス2013年5月27日号アフリカ:灼熱の10億人市場」他
- NEPAD、外務省(アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD))
- 「Turn brain drain to brain gain」(Ghana Daily Graphic、2008年8月24日)、 「Africa needs policy to check brain drain」(The Ghanaian Times、2008年8月25日)
- ルワンダの経済成長における「ディアスポラ」の貢献については、NHKスペシャル「アフリカン・ドリーム:資源回廊の挑戦」(2010年5月放送)、NHKスペシャル取材班著『アフリカ:資本主義最後のフロンティア』(新潮新書、2011年)、テレビ東京・未来世紀ジパング「コーヒーとゴリラの楽園・ルワンダ奇跡の復興」(2013年7月放映)を、またエチオピアにおける「チーター世代」については、「Ethiopia 2013: Year of the Cheetha Generation」を、それぞれご参照ください。
- NHKクローズアップ現代「アフリカを変える“チーター世代”」(2010年5月放送)、NHKドキュメンタリーWAVE「チーター世代がアフリカを変える~ケニア総選挙の熱き戦い」(2013年4月放送)他
【その他参考文献等】
- シルヴァン・ダニエル、マチュー・ルル著、永田千奈訳『未来を変える80人:僕らが出会った社会起業家』(2006年、日経BP社)
- 原丈人著『新しい資本主義:希望の大国・日本の可能性』(2009年、PHP研究所)
- ダンビサ・モヨ著、小浜裕久監訳『援助じゃアフリカは発展しない』(2010年、東洋経済新報社)
- ジャクリーン・ノヴォグラッツ著、北村陽子訳『ブルーセーター:引き裂かれた世界をつなぐ起業家たちの物語』(2010年、英治出版)
- 大杉卓三、アシル・アハメッド著『グラミンのソーシャルビジネス:世界の社会的課題とどう向き合うか』(2011年、集広舎)
- 「国際開発ジャーナル2013年6月号」(国際開発ジャーナル社)
- 国際協力機構(JICA)
- 世界銀行