援助とビジネスの境界で「開発」を考える

第07回

「ソーシャルビジネス」という言葉が問いかけること~「第3回カンボジア・ソーシャル・エンタープライズ会議」からの学び(2)

 前回に続き、昨年10月28日にカンボジアの首都プノンペンで開催された「第3回カンボジア・ソーシャル・エンタープライズ会議(The 3rd National Social Enterprise Conference of Cambodia)」に出席した筆者が興味深いと感じた点をご紹介します。
 今回は、「ソーシャルビジネス」に対するカンボジアのビジネス界が示した違和感を巡って考察したいと思います。なお、同会議の概要は RUPP(Royal University of Phnom Penh)のウェブサイトに掲載されています。

プノンペン中心部

▲プノンペン中心部

カンボジア・ビジネス界の「ソーシャルビジネス」への違和感

 会議では出席した一般企業関係者のコメントも「ソーシャルビジネス」を考える上で、示唆に富むものでした。彼らからは、「「ソーシャルビジネス」を(通常の)ビジネスから分類・分断すべきではなく、ビジネスを大きな枠組みで捉えるべき」、「カンボジアで起業した「ソーシャルビジネス」のうち、9割は失敗しており、活動を継続している事業の多くも実態は海外援助機関による支援がなければ維持できない例が多いが、このような事業を「ビジネス」と呼ぶのは無理がある」とのコメントが出されました。議場外では何人かの若手のカンボジア人起業家からも直接話を聞く機会がありましたが、「本来すべてのビジネスは社会的であり、社会的な意義があるからこそ存在し続けることができるわけであり、「ソーシャルビジネス」という分類はおかしい、社会的な意義を有しないビジネスなら市場から淘汰されるはずである」との発言が印象に残りました。

「ソーシャルビジネス」の定義

 「ソーシャルビジネス」には、様々な説明が試みられており、今回の会議におけるシンガポール国立大学Dr. Albert Tenによる基調講演の中でも、一般的な定義はまだ確立していないと前置きをしつつ、「ソーシャルビジネス」とは、①社会性(社会問題の解決、社会的価値の創造)、②革新性(既存のビジネス形態からの脱却、システムの変更)、③市場指向性、という3つの側面を有するものであると説明がありました。しかし、最も議論になりそうな①についても、雇用創出の役割が最も重要な社会的課題のひとつであり、公的機関が提供できないサービスの提供は新たな社会的価値の創造であると考えれば、確かにどこまでが「通常のビジネス」で、どこからが「ソ-シャルビジネス」なのか、明確に区別するのは容易ではないように思われます。

欧米型のビジネス思考~強者による弱者への善意の施し

 欧米型のビジネス・リーダーには、「市場における優位な地位を確保するためには手段を選ばず、人材を使い捨て、ライバル企業をつぶし、莫大な利益を得る、一転その利益を社会に還元すべく一大慈善事業家になる」といったひとつのイメージがあります。競争の結果として、勝者と敗者が決まり、「勝者総取り」が容認される一方で、勝者は敗者や社会への善意の施しを倫理的に期待される。この価値観には「勝者(強者)と敗者(弱者)の上下関係」が前提にあります。それでも適正で公平なルールの下で、対等に競いあった結果であれば、勝者と敗者が存在することは当然だろうと思われます。

 一方、世界全体を俯瞰した時の問題は、長い間、先進国が自ら有利になるようにルールを作り続け、途上国にとって不利益となるルールを押しつけ続けてきた点です。筆者が長年関与してきた開発援助の分野においては、援助とはグローバル・レベルでの「強者による弱者への施し」と「上から目線」で考える欧米の援助機関関係者にも遭遇しますが、日本の援助関係者の中には筆者と同様に彼らの姿勢に違和感を有した人達も少なくないだろうと思います。日本の開発援助の基本理念は「対等な目線」での途上国の自立に向けた自助努力支援だからです。「強者による弱者への施し」の意識の強さと途上国の援助依存からの脱却への関心の低さの点において、欧米の開発援助に対して筆者が持ち続けてきた違和感と、「ソーシャルビジネス」を「(通常の)ビジネス」と区別することに対して筆者も気づいた違和感には、どこか共通するものがあるように思われます。

 「強者による弱者への善意の施し」という「倫理的な義務」、あるいは「正義」に違和感を有する人々は、より公正なルールの確立を模索し、新たなビジネス規範を作り出したいという思いに突き動かされ、「ソーシャルビジネス」という新たなビジネスの領域に駆り立てられているように思います。欧米型のビジネス思考において、「勝者と敗者の関係」を作り出す通常のビジネスから、社会的な意義を重視し、対等な「Win-Win関係」を重視する「ソーシャルビジネス」を区別する必要があるとすれば、「ソーシャルビジネス」という考え方そのものが二元論的な欧米的価値観に縛られているとも言えるように感じます。

日本・アジアのビジネス・リーダーのWin-Win型ビジネス思考

 一方、日本やアジアでは、欧米型のビジネス思考とは異なる対等な目線での「Win-Win型」のビジネス思考が明確に伝統的に存在しているように感じます。日本には、近江商人の「三方よし(=売り手よし、買い手よし、世間よし)」や「利真於勤」という行動哲学に象徴されるように社会貢献を重視し、営利至上主義を諌める企業文化、また「モノづくり」と共に「人づくり」を重視してきた企業文化が息づいてきました。このような伝統的な日本の企業文化がアングロ・サクソン型の「株主利益の最大化」を最重要課題として掲げて、効率重視・短期利益重視に大きく変貌し始めたのは、80年代後半以降です。

 昨年放映されたNHK番組『島耕作~アジア立志伝』では、アジアの著名なビジネス・リーダー達が紹介されました。筆者は特に華僑系多国籍企業であるCPグループ会長のタニン・チャラワロン(謝国民)氏のビジネス哲学に非常に興味を持ちました。チャラワロン氏は中国広東省からタイ・バンコクに身一つで移住し、種子販売などの農業ビジネスを始めた父親から客や社会との信頼関係を築くことの重要性を幼い頃に学んだそうです。1979年の中国の「改革・開放」以降、リスクをチャンスと考え、一早く中国に進出し、市場経済に目覚め始めた中国の貧しい農民の大幅な所得向上につながる農業分野における積極的な投資を行い、大きな成功をおさめます。現在、中国各地で、わずかな補償金で土地を奪われた農民と開発業者と癒着し、土地利用権を売却した地方行政機関との間で衝突が頻発しているようですが、CPグループは土地利用権を農民から20年契約で借り受け、株主として事業に参加する農民に株の配当金を支払い、雇用機会を創出するという方式(20年後には養鶏場共々土地も農民に返還)で大規模な養鶏ビジネスを立ち上げ、農民の年収を3割増加させ、中国政府も優良事業として注目しているそうです。地方政府にとっては大幅な税収拡大が期待されています。チャラワロン氏のビジネス・スタイルでは、農民、地方政府、企業の「三者の利益(三利)」が重視され、「三方よし」にも通じる「Win-Win-Win型」思考が明確に示されています。

 このようにアジアのビジネス・リーダーは「ソーシャルビジネス」という言葉が登場するよりも遙か以前から、ビジネスが果たすべき社会的役割を重視していたことを改めて認識しました。彼らのビジネス哲学には明確に「Win-Win関係」が息づいており、ビジネスそのものに社会的役割、社会貢献をビルト・インさせている点で、欧米型の「強者による弱者への善意の施し」という形での事後的な社会貢献とは、ビジネスにおける思想や価値観が大きな異なっていると感じます。

ソーシャルビジネス=「三方よし」企業価値への回帰+協働が創り出す新たな価値

 原丈人氏は著書『新しい資本主義-希望の大国・日本の可能性』(2009年、PHP選書)の中で、「金融資本主義・株主資本主義的な考えを転換し、新しい資本主義のあり方をつくりあげていくべき」として、「会社の事業を通じて公益に貢献する」という「公益資本主義」を提唱されており、「公益資本主義」の3つの原則として、①公平性、②持続性、③改良改善性、を挙げられています。また、「公益資本主義」は、「……日本の先達経営者たちがつくりあげた経営理念、企業哲学のなかに脈々と息づいている考え方と相通じるものである」と述べられています。上述のようにプノンペンの会議では、「ソーシャルビジネス」とは、社会性、革新性、市場指向性、という3つの側面を有するビジネスとの説明がありましたが、表現は異なるものの、「公益資本主義」の3つの原則と「ソーシャルビジネス」の3つの要素は、非常に重なり合うものです。

 過去20数年間、日本においても新自由主義的な考えが当然とみなされ、「会社は株主のもの、株主への利益還元が最優先」というアングロ・サクソン型の企業の在り方が正しいという「常識」が浸透しました。そして、短期的に企業価値を高めることが重視され、リスク管理上、コーポレート・ガバナンスの強化が重視される一方、企業の中長期的な安定や発展の可能性が犠牲にされ、研究開発費が削減され、賃金が最大のコストと見做され人員削減が続き、日本の企業が伝統的に有していた社会的役割を徐々に削ぎ落とすことが一般化してきました。このような状況において、日本の良き企業文化の伝統を捨て去り、アングロ・サクソン型の企業文化に置き換わることに違和感を持ち始めた人々が、日本でも「ソーシャルビジネス」や「プロボノ(=公共の目的のために余暇に専門知識を無償で提供する活動)」という世界的な動きに関心を高めるという形で異議を唱え、日本の企業(人)が伝統的に有してきた「社会的貢献」の役割を部分的に取り戻そうとしているように思われます。

 「ソーシャルビジネス」がまるで何か特別に新しいものとして登場したように見えて、実は日本においては、「ソーシャルビジネス」の長い歴史と伝統があり、日本においては、まさに「ビジネス」とは「ソーシャルビジネス」と同義である時代が延々と続いてきたのだろうと思います。カンボジアの若手企業家が有している「ソーシャルビジネス」への違和感はアジアの一国であるカンボジアにおいて、日本と同様にビジネスにおける健全な社会貢献の役割、「三方よしWin-Win-Win哲学」が確かに息づいている証といえるかもしれません。

 一方、敢えて、「ソーシャルビジネス」を「(通常の)ビジネス」と区別する積極的な意味があるとすれば、それは「ソーシャルビジネス」が有すべき「革新性」、特にビジネスに期待されている社会貢献の理念を共有しつつ、異なる考えや経験を有する関係者間の協働作業によって、従来のビジネスモデルを越えて新たな価値を生み出す共創関係の構築の意義を強調する点においてであろうと思われます。筆者が参加したセミナーでは講師は「「ソーシャルビジネス」では既存の市場に参入し、同業他社と競争するという姿勢ではなく、新たに市場を創造するという姿勢こそ求められる」と説明されていました。

「ソーシャルビジネス」という言葉が問いかけること

 1980年代後半以降、日本も他の多くの国々と同様に新自由主義的な考えに沿って、多くの分野で多くの重要な改革を進め、多くの改善を成し遂げてきました。しかし、一方で、改革実行のプロセスにおいて、古臭いもの、必要のないもの、間違ったものとして捨て去り、あるいは置き去りにしてしまった日本の伝統的な価値観の中には、やはり時代を越えて積極的に取り戻すべき、あるいは新たに生命を吹き込むべき価値観も少なくないように感じます。「ソーシャルビジネス」という言葉に思いを巡らしてゆくことで、変わらずに守り続けて行くべき伝統的な価値観と、時の流れと共に置き換えられ、変化して行くべき価値観を慎重に見極めることの重要性を改めて問いかけられているように感じます。

コラムニスト
黒田孝伸
1959年佐賀市生まれ。九州大学法学部卒、英国サセックス大学開発研究所「ガバナンス・開発」修士課程修了。青年海外協力隊を経て、外務省及び国際協力機構(JICA)において、開発援助業務に従事。訪問国数80か国、うち長期滞在は6か国計17年間。現在は福岡でフリーランスの開発援助コンサルタントとして、ソーシャルビジネス、地域通貨、社会的連帯経済などの勉強会に参加しつつ、「開発」につき考察中。
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