非連載の特別寄稿論文

中国の国際影響力増強と国内メディア産業

集広舎刊『中国の経済体制改革とメディア』の著者・西茹さんが今年発表された中国語論文の全訳を掲載します。徳澄雅彦さんによる翻訳で、『中国経済体制改革とメディア』の続編にあたるものです。原文や最近の関連文献は以下でも閲覧できます。

ICCS現代中国学ジャーナル,第2巻,第1号,3月30日(2010)
ICCS Journal of Modern Chinese Studies Vol.2,No.1,March 31,2010
ISSN:1882-6571

《中国国际影响力的增强与国内媒体产业──以新闻出版业做大做强战略为例》

《直升机24小时枕戈待发──谈日本新闻媒体的灾难报道》《南方传媒研究》2010年24号、南方日报出版社2010年6月、113~122ページ
http://media.nfdaily.cn/cmyj/24/06/content/2010-07/07/content_13555627.htm

中国の国際影響力増強と国内メディア産業

──新聞出版業の拡大増強戦略を例として──

 2008年の北京オリンピックは中国の国力の増強と影響力の拡大を十分に体現し、中国中に成功の喜びを満喫させたのだった。この年のことは、疑いもなく中国の歴史書に留められるであろう。しかし同時に、その一年は、中国が自己と世界との交流の上に存する隔たりを深刻に認識させられ、さらにこの種の隔たりが、挫折感と苦渋の思いを伴っていたことも、いやというほど味わったのである。「3・14」チベット暴乱が引き起こした中国に対する国際世論の非難と、そのあと世界各地で相次いで起きたオリピック聖火の阻止事件とは、中国の官民を挙って驚愕狼狽させた。一部の国民の中には、欧米各国の理解が欠けているとして憤慨し落胆した者もいた。中国の最高指導者でさえも、国際世論の中では「『西強我弱』の世論の格付けがまだ基本的に改変されるに至っておらず、ニュース世論の領域の闘争はもっと激化し、複雑化するだろう」と、再三慨嘆することを禁じ得なかったのである。

 これにより「西強我弱」の世界世論の格付けを改め、中国の国際世論上の発言権と影響力を拡大することが、中国政府にとって切実に必要な課題となった。
 2008年12月、湖錦涛総書記は中央電視台に開設50周年記念祝賀の電報を打つとともに、同電視台に対し、「先進的技術、大量の報道、広範な放送エリア、強大な影響力を持つ、国際的に一流のメディア」を建設するよう要求した。中宣部部長劉雲山は中央宣伝文化部門の責任者座談会において、「伝播力が影響力を決定するのだ。今の時代は、伝播手段が先進的で、かつ伝播力が強大であること、文化理念と価値観がさらに広汎に広まること、さらに世界に対し強力に影響を与えられること、これが大切なのだ」と強調した。
 新聞出版業の最高行政リーダーである柳斌傑は、メディアのインタビューを受けたとき、「現在国家間に跨ったメディア集団は多数存在し、数十の国が新聞雑誌を発行し、出版を行い、テレビ放送をやっており、一つの集団が一千種もの新聞雑誌を発行している。当然国際世論をも左右できるのだ。われわれもやはりこの方向で努力しなければならない。中国は自己の実力と国際地位にふさわしい大型のメディアを絶対に培養する必要がある」とアピールした。これらの指示、講話や発言は、疑いもなくメディアの強大化についての最初の戦略発動である。中国政府筋では、中国が国際世論上で弱勢である重要な原因は、即ち自前の強大なメディアを欠いているところにあるとし、これに対して、西欧国家は自己のメディアの支配権をバックに、中国は妖怪と化したと甚だしい曲解をしている、との見解をとっている。
 2009年4月、新聞出版総署は《新聞出版体制改革を一歩前進させる指導についての意見》を公布し、「迅速に大型メディアの持つ資源を整合し、国際社会で広汎な影響力と強大な競争力を備え、地区・業界・媒体・所有制に跨がった大型のメディア集団を培養する」という新聞出版媒体の強大化改革目標を提示した。柳斌傑は言う。「われわれは非常に大きな圧力を感じている。早急にわれわれの出版メディアを市場に向かわせ、産業として発展を実現し、強大化し、世界の新聞出版市場の有力な競争者となること、これこそわれわれの面前に提起された任務なのだ」と。これまでのところ、新聞出版の強大化改革方案と政策は、宣伝上は威勢がよい。この種の危機を機会と見る思考方式には、本来非難の余地はないが、しかしながら新聞出版総署が打ち出した「ナショナルチームのレベルを備えた『航空母艦』と『連合艦隊』というべきメディア」を造成するという強大化の戦略目標については、冷静な思考の余地があると筆者は考える。
 周知のように、1978年始めから、中国メディアは財政困難を克服するために企業管理方式を試行し、これからメディアは経営改革の道を歩き始めた。90年台に入ってからメディアの産業としての属性が次第に確立されるようになり、メディアは単純なイデオロギーの道具から転じて、イデオロギーの属性と産業の属性と二重の属性による複合体となった。中国メディアの改革は、全体的には経済の市場化に関連しており、党と政府機関に属する事業部門により、企業への形態転換という軌道上を推進させられたものである。ただし二種の属性の間では、必ずしもすべてが一致し矛盾がないとはいえず、逆に、二重の属性で定義された中国のメディアは、属性間の矛盾により、産業化改革のプログラムの途中で、経常的に反復と停滞が次々と生じている。
 上述の中国メディアの二重属性の特徴に鑑み、本文は政策の層面において、中国新聞出版業をめぐり短期間に遂行された強大化戦略の様変わりの進め方を整理し、同時にメディアの実践についての考察を進めようとするものである。この種の考察と分析が、中国メディア改革の現状を理性的で全面的に把握し、有益な参考を提供できればと希望している。

一、新聞出版業が転企改制して“航空母艦”を建造する強大化戦略について

 2009年4月国家新聞出版総署が公布した《新聞出版体制の改革をさらに推進することについての指導意見》(以下《指導意見》と略称)は次のように指摘している。新聞出版業の突出した問題点は「資源が分散し過ぎて、構成組織が地域封鎖と同様の傾向にあり、出版産業の集中度が低く、規模が小さく、実力が貧弱で、競争力が弱いことである」。この問題を解決しなければ中国のメディアの強大化は不可能である。したがって改革の重要目標の一つは「メディアに跨がり、地域に跨がり、業界に跨がり、所有制に跨がった複合した戦略を推進して、融資への広いルートを開拓し、一つの大型の骨幹となる出版メディア企業を育て上げて、新しいタイプの市場の主体と戦略的投資者を創り出す」ことである。《指導意見》は「三年ないし五年のうちに、資産百億を越え、売上高百億以上の、国内一流で、国際的にも知名度の高い大型出版メディア企業を六七社育て上げ、正しい方向に導き、主たる業務では突出しており、実力十分で、影響力が大きく、核心となる競争力が強く、出版専業のメディア企業」も必要であると提起している。その上「条件に合った出版メディア企業が自己資本、合資、合作などの形式を取り入れることを奨励し、地域外で新聞・期刊誌・出版社・印刷工場など実際に事業を経営しているところにも手を伸ばし、国外と香港・マカオ・台湾地区の市場を開拓し、さらに進んで中華文化の国際影響力と伝播力を拡大しなければならない」と求めている。
 この強大化という目標を実現するためには、新聞出版部門は企業の転換、制度の改正改革を進めねばならない。いわゆる転企改制とは、簡単に言えば一部の新聞出版部門を事業から企業に転換させることであって、さらに一歩進めて株式制への改造を実現することであり、株式上場の条件が整えば、上場を通して融資が可能となり、拡大発展を実現できるのである。ただその前提としては、まずその新聞出版部門に対して、公益性を持つ新聞出版の事業と、経営性のある新聞出版の産業とに区分することであって、即ち転企改制改革を進める上での重点は、経営性のある新聞出版産業であるとしている。
《指導意見》は出版部門の転企改制改革に対して、比較的に明確とされる規定を提起している。たとえば「公益性がはっきりしている図書・音像製品と電子出版物の発行部門のほか、すべての地方と大学で、取り扱っている図書・音像製品と電子出版物の出版部門において、2009年末までに転企改制改革を終わっているところ、および中央各部署各部門でも取り扱っている図書・音像製品の出版部門において2010年末までに転企改制改革を終わっているところ」がそれである。ただし新聞出版業についての説明はごく僅かしかなく、ただ原則といった形で「公益性新聞出版物の基本的標準の制定を研究し、適時に公益性新聞出版物のリストを公布する」、「経営性がある新聞出版物の転企改制改革方案を制定し、経営性の新聞雑誌出版部門における制度転換の逐次実行を推進する」。
 周知の事実として、新聞出版物は情報を伝達するもので、世論に影響する重要なニュースメディアである。そのメディアが、強大化する発展戦略上において、軽視できない影響を起こしつつあるのだ。あの《指導意見》はなにゆえに新聞出版に対して漠然とした戦術を採用したのか、なぜ明確な「指導意見」が提起されていないのか? 推測できるひとつの理由として、新聞雑誌業は出版業にくらべて政治性がひときわ強く、さらに複雑で、全面的な計画に対処したり、統一した措置や規定が難しいからであろう。実際に、2003年に発動された35社の文化体制改革テスト個所のうち、新聞出版業のテスト個所は21社。その中で新聞社と新聞業グループが8社であったが、これはやはり、新聞業がマスコミの重要な組成部分とされ、体制改革を深化させる重要な任務を引き受けているからだということでもある。しかし、新聞業を公益性事業と経営性産業に区分するのは大難題であることにに変わりはない。
 2006年7月新聞出版総署が印刷発行した《新聞出版総署の出版発行体制改革の深化に関する工作実施方案》は、「党報・党雑誌・政局等の関連刊行物、および政治性、公益性の出版任務を担当する少数の出版部門では、事業体制を実行すること」と規定しており、「文化・芸術・生活・科学普及といった種類の新聞社出版社」は逐次転企改制改革を進める必要があるとしている。
 同年9月に発布された《国家「十一五」時期文化発展規劃綱要》は、党報・党刊行物・通信社・ラジオ局・テレビ局・重点ニュースネットステーションと、政局関連の新聞出版部門は、すべて重点的な報道事業となることを要求しており、国家は支持力増大が必要としている。さらに報道業集団は子新聞・子出版業の管理を強化し、その優位さを発揮させ、これを党報党刊の補助と主流宣伝陣地の延長とするよう要求している。この文献の中で、経営性文化事業の列に入るのは、制度転換改革を進めている新聞出版部門で「文化・芸術・生活・科学普及の種類の新聞出版社」に限定されており、なおそのほかに「新聞メディアの中の広告・印刷・複製・発行・ネットワーク部分」も入っている。
 これによって、まもなく公開された「公益性新聞出版リスト」と「経営性新聞出版転制方案」は、2006年の二つの文献について多少とも突破出来るかどうか? たとえば新聞業集団内の子新聞や子出版業は、どうやって公益性または経営性の定義を展開できるかなどの問題も、やはり当然関心の的となるのである。
 中国のメディア改革は全体的に経済改革に引っ張られてきた。1996年に始動した党報を核心とする新聞業の集団化改革は無論のこと、2001年のWTOへの加入を契機として始まったのが、地域に跨がりメディアに跨がる強大化改革であって、やはりすべて経済の観点から力を尽くして体制突破を追求したのである。今回の中国メディアが世界に向かって一流とみなされるよう競った強大化転換改革も例外ではなく、同様にやはり経済の観点から出発したものである。これはまた文化産業およびマスコミ産業の生産力の意義が重視され強調されはじめた所以でもあって、ひとつの重要な原因は「経済の穏やかで比較的早い発展を保持する」という政略決定部署の要望に呼応したものである。したがって、新しく順番が回って来たメディアの強大化改革は、実質上メディアの生産力を解放するという観点から出発した改革でもある。それは一群のメディア部門を後押して、様式を企業に転換させ、市場に進入させ、適者生存の原則のもとで、優勝劣敗、マーケットの手法・資本と結び付くことを通してメディアの再編成と強大化を実現させたのである。
 しかしながら、メディア業は中国では重く受け止められているという、特徴的なイデオロギーがあるが、ただ経済発展のみに着眼した改革路線だけで、本当に体制の束縛を突破し、その改革目標を実現し、改革任務を完遂出来るのか? 言葉を換えて言えば、厳格に規範されたメディアの報道改革におけるイデオロギーの属性という角度から見た場合、メディア政策は果たしてどこを指向しているのか? やはり同じように思想解放を奨励し、大胆な改革を奨励しているであろうか? 本論文は第三部分において、イデオロギーの属性という角度から、同時進行中のメディアの強大化戦略の性格と、制度改革および報道改革がマッチするかどうかを考察しようと思う。産業の再編成によって大型化問題は解決出来るが、強化の目標は必ずしもそれで実現出来るとは限らないからである。

二、地域の砦を打破し地域に跨がる新聞を発行する

 転企改制改革を推進し、大型のメディア集団を造成することは、新聞出版業の目前の重要テーマである。政府の新聞出版管理部門の方針はきわめて明確であり、即ち「市場化へのルートを通って、市場のメカニズムである『優勝劣敗』の機能を十分に発揮し、市場と政策の二重規制を運用して、メディア業の形式を異にするマスコミが相互に分かれている産業障壁を突破し、計画経済の時期に形成されたこまごまとした縄張り・地域封鎖による市場の壁をを打破し、メディア業が資本・業務・市場をもって紐帯とし、地区に跨がり、業務に跨がり、メディア経営に跨がって、集団化・集約化・専業化を実行して発展するよう奨励し推進する」としている。
 メディアが産業化し発展するのを阻害するものは、計画経済体制下に形成された分割縄張り体制である。産業化改革が深化したメディアの強大化戦略とは、つまりメディアに跨がり業務に跨がり地域に跨がって新聞出版を経営する策略を通じて、統一市場の形成を促進することである。換言すれば、新聞出版業が地域に跨がって発展する問題を解決しなければ、強大化について語ることは難しい。したがって、新政策のスタートは、新聞出版業の改革への関心の焦点は、曾て一度2003年に、新聞出版業が喜び勇んで地区に跨がる報道を試みに実践した点に絞られたのであった。
 以前には2001年に中共中央弁公庁と国務院弁公庁が下達した《新聞出版ラジオテレビ放送改革の深化に関する若干の意見》の中で、重要な突破性の意義を備えた、メディアに跨がり地区に跨がった経営などを奨励し、メディアの産業化を促進する措置がすでに提起されている。2003年に中宣部の批准を経て、地区に跨がった最初の新聞《新京報》が創刊された。《新京報》は光明日報集団と広東の南方新聞業集団が北京で始めた新聞である。それは長期間の地域分割により、メディアが地域に跨がって投資し新聞を発行する方法がなかった状態を打破し、資本を懸け橋として市場分割状態を打破するという意義深い一歩を踏み出したのである。《新京報》に続いて《第一財経日報》・《毎日経済新聞》・《時代商報》など、多くの新聞や報道集団、あるいはメディア集団の合作による新聞が出現し、地域に跨がった新聞の発行を積極的に模索するという状況が出現した。
 ただし、地区に跨がって新聞を発行するという試みは順当にはいかなかった。《新京報》が登場して2年足らずの2005年の始めに、中宣部は新しく地区に跨がる新聞の創刊について審査批准を行わないことを決定したのである。審査批准を停止した理由は公開できる報道がきわめて少ないためとしている。中宣部長の劉雲山は、属地管理問題についての十分な解決がまだ得られていないと指摘した。当時、新聞出版署副署長であった石峰も、地区に跨がった合作経営の新聞社はまだ実験の段階であると表明し、「コントロールの段階でまだ多くの問題が残されており、特に管理体制が問題である。もし地区に跨がる合作経営のあと、メディアに対する有効な監督管理が弱まったら、この種の形式はただちに研究に値することになる。わたしは地区に跨がる新聞出版の経営は改革発展の必然的な趨勢で、形式は多種多様であるべきと思うが、現在この新聞企業の形式はまだ比較的に単一である。管理体制改革もまだ十分とはいえないので、現在のところ全面的な展開はしないがよい。どんな形式でも、地区に跨がる経営には必ず堅持すべき原則があるのは当然のことで、それは即ち属地管理の原則である」とした。
 2006年8月4日に発布された《全国新聞出版部門業「十一五」発展綱要》は、相変わらず「新聞業グループと大型新聞出版部門機構が、地区に跨がり、業界に跨がり、メディアの経営に跨がり、資源整合能力を増強し、市場集中度を高めることを支持する」と表明している。しかし、現在に至っても、省に跨がって新聞を出す新事例がいまだに現れていない。
 新聞出版総署署長の柳斌傑は、2009年の新政策を宣伝するにあたって、「一つの省、一つの市、一つの県といったような区域内において拡大化を求めたところで、それは根本的に不可能であって、それらの資源と市場がいかにも多いので、発展する余地がないのだ。彼らを行政のワクの中から解放し、一つの大衆的な社会メディア集団公司をつくり、開放・競争を統一したなかで、秩序ある市場での市場競争に参加させる必要がある」と指示した。ただし、これまで新聞業が実践した最新報告からみるかぎり、新聞業整合について最新のスポットライトが当たっている「南北モデル」でさえも、まだ省域内で合作を求めて足踏みしている状態だった。
 いわゆる南北モデルとは、一つは2009年5月10日、広東の西江日報社と省クラスの党新聞の南方日報社が締結した《西江日報社と南方日報社の合作深化の枠組みに関する協議》のことで、南方新聞業メディア集団が西江日報社傘下の西江メディア有限公司の株式の49%を買い取り、合作経営モデルを形成した。これが省クラスの党新聞と地方都市の党新聞が所有権の合作をした南式モデルとされる。別の一つは北式モデルで、08年3月21日、遼寧日報メディア集団と鉄嶺日報社が締結した協議を差し、《鉄嶺日報》は名を変えて《遼瀋晩報・鉄嶺版》となった。省クラスの党新聞と地方都市の党新聞が連合して地方版を創刊し、資源の共同享受のモデルを創設したもの。《遼瀋晩報》はそのブランド性・ニュースソース・管理経験・資金および人的資源を用いて《遼瀋晩報・鉄嶺版》の出版経営を行う。この二つのモデルは僅かだが不可欠の要素を共に保有している。それは即ち省委員会宣伝部と地方の党委員会の支持である。
 メディアの実践面からみると、新聞事業集団の地域に跨がった報道の実践には、慎重にことを運ぶ態度があるといわざるをえない。現在でもなお、旌旗は空高くはためくを見れども、衆兵の群れ来たるを見ず、といったところで後続社がいない。新聞事業集団の慎重さは理解できるものがある。ここで深新聞業集団が《時代商報》を買収した例について振り返り、地区に跨がった新聞発行の難点の所在について考えてみよう。
 2004年8月、深新聞業集団が新華社遼寧分社と合作協議を成立させ、全株式を買い取って《時代商報》を管理発行し、あわせて《深圳商報》に管理・経営の全権を授けた。9月28日に体裁を一新させた「都市の政経大新聞、遼寧瀋陽の主流メディア」である《時代商報》が登場した。新しい《時代商報》はひとたび発売されるや、発行数はもちろん、広告量もあきらかに増大の趨勢を示した。そして時を待たず当地の新聞業市場の前列に位置することになった。これが当地の二つの新聞業グループで発行する夕刊に対し、端倪すべからざる圧力を感じさせたのは想像に難くない。こうしてすぐさま当地のメディア主管部門との摩擦が絶えず生ずることになった。一年にも満たない2005年7月、《時代商報》は遼寧日報新聞業集団に併呑され、同集団が主管し発行することにより、深圳新聞業集団が遼寧集団に投資するという挙に出て、この件は終結したと宣言した。この事例から見て取れるのは、新聞業集団がよそから来て地区に跨がる投資先を探すことがあれば、当地の新聞業集団も属地管理制度が発揮する力を借りて、自分の地区の市場を強化整合し、外来者の「侵入」を排斥することもあり得るということなのである。
 市場分割の局面は実際上は行政管理体系によって造り上げられたものである。地区に跨がる経営は本質からいえば、刺激を与え挑戦させることは、「属地管理」制度も含めて、本来存在したメディア管理方式である。それは必然的に管理制度の反発を呼び起こすことになる。もとの管理体制下では改変は実施不可能という状況下では、やはり新しい改革の試行はしばらく猶予するしかない。地区に跨がった新聞を創刊し、地方の排斥に会う現象を、地方の保守主義に起因するという人もいる。実際には深層の原因はやはり現行のメディア管理制度にある。《新京報》は刊行の詞の中で「合法的地位をそなえ、法律の保護を受けたメディア集団が、地区に跨がって経営管理をする新聞」と自称しているが、しかし、新聞自体が独立した企業法人の資格を手に入れていないため、新聞業集団がよその土地での新聞発行に投資するという行為も単なる経済行為とは見なされないし、地方管理部門は種々の理由、たとえば新聞経営の方針、報道についての考え方、および新聞の人事・発行・印刷・広告経営・財務資本・収支など、各項目の具体的な流れの中で問題点を捜し出して、干渉することになる。
 これで分かるように、政策の矛盾性または政策の不適切は、地区に跨がる新聞発行を阻害する主要原因となる。壮大な発展をしているメディア産業からみれば、中央が打ち出した政策は、地区に跨がる経営を通して、メディアの壮大な市場分割の局面を阻害するものであり、出来ることならそれを打破したいのだが、ただメディアのイデオロギーの属性からすれば、資本の合作の影響がメディアの内容に及び、メディアの管理制度に動揺を与えはしないかと危惧するのは必然である。
 指摘すべきことは、2009年、新聞出版管理部門は、メディアの強大化と新聞体制改革の深化の宣伝の高調と同時に、新聞宣伝に対する管理の強化も強調した。内蒙古新聞管理局は次のとおり指示している。「適切確実に『誰が主管し、誰が責任を負っているか』という点と、『属地管理』の原則に則り、自己の陣地をよく守り、自己の隊伍をよく管理しなければならない。新形勢下にあって新聞雑誌の管理工作を強化し改良進歩させることの重要性と緊迫性を十分認識しなければならない。地区に跨がって新聞雑誌を刊行するには、まず新聞雑誌の主要な実施部門を明確にし、併せて属地管理を受けなければならない。株式制の新聞出版社はまず第一に持株方を明確にし、併せて属地管理を受けなければならない」
 2005年に地区に跨がった新聞の発行を停止した理由は、ひとえに属地管理の問題がうまく解決しなかったことにある。もしこの種の管理制度に少しの改良と緩和も無かったとしたら、あのように報道事業グループが省境を越え地区に跨がって報道をするについては、やはり慎重に成り行き眺めの態度を保つしかなかったであろう。

三、「管理の籠」の中の中国メディアはどうやったら強くなるか

 前文では新聞出版産業化の発展を推進する政策の観点から考察を進めて来たが、政府がメディアの転企改制改革をおおいに奨励し、メディアが眼を世界に向けて強大化するよう呼びかけてきた点は、われわれもはっきりと認識した。その転企改制を通して、資本をもって靭帯とし、メディアの提携・融和・合併を進めることで、メディアの大型化が実現できることは否認できない。しかし、そこには人々に深く考えさせずにはおかぬ問題点がある。それは、メディアはいったいどうやったら、はじめて強大になれるかということである。
 強力なメディアとは単に規模が大きいだけではなく、経済的な実力があり、さらには社会的信用を持たねばならない。ではその社会的信用はどこから来るのか? メディア学者の喩国明の説によれば、「客観・公正・適時・平衡・全面・徹底」を備えた報道だけが社会的信用を取得する基礎である。換言すれば、中国のメディアの強大化が、もし僅かに産業化程度の仕事であるとしたら、やはり不十分であり、メディアの生産内容程度の仕事が必要なのである。よく知られたことだが、メディアの生産内容の改革に最も関係があるのは、即ち報道改革である。それによってわれわれはメディアの別の一つの属性から考察を進める必要がある。報道改革は産業化改革と同調するか否か? メディアの内容に対し行われている管理の現状はどうなのか? 中国のメディアは内容を強化した政策環境を具備しているか? 産業化の推進はやはり中国メディアが報道改革の時期を迎えたということなのか、否か? ここではまさにイデオロギーの属性という観点から、メディアに対する政策が問われようとしている。
 2009年2月、全国報刊管理工作会議が北京で招集開催された。会議の重点は、08年末に中共中央弁公庁・国務院弁公庁が転送した《新聞出版の管理工作を一段と強化改善するについての中央宣伝部・新聞出版総署の意見》(中弁発[2008]27号)という文献の意義を徹底させ、各部署における新聞出版の管理工作をさらに強化改善するための実施意見と具体的方案とであった。
 この27号文献は、新しい形勢に直面して新聞雑誌を出版するなかでの新情況・新問題が提出した、新しい管理規定の重要な指導的文献であると称されている。文献の精神を貫徹するために、新聞出版署はさらに《新聞出版の管理工作を一段と強化し改善することに関する通知》(2009年2月6日)・《〈新聞定期刊行物審査の暫定規則〉の印刷配布に関する通知》(2009年2月9日)と《規範的新聞定期刊行物の主要責任者の就任資格に関する通知》(2000年2月24日)のような一連の通知を発表した。
《新聞出版の管理工作を一段と強化し改善することに関する通知》(以下《通知》と簡称)は、「当面の新聞出版業発展の中に若干の軽視できない問題が存在する。少数の新聞出版主管部門は管理の職責を立派に果たす能力がないし、少数の新聞出版部門では内部管理の手を抜いており、時には出版物の内容に誤りがあり、少数の従業員は職業精神と職業道徳が欠乏している」と指摘している。これらの問題を解決するため、総署は各新聞出版行政管理部門に「新聞出版の主管主宰部門は管理の職責を履行しているか否か、新聞出版の主要な責任者は、就任の条件や、ポジションでの資質に合致しているか、また新聞出版の記者と支局記者に規則違反問題がないか、新聞出版物の重要なテーマ選びの内容を記録する手続きが履行されているか、および内容の質は規定に合っているか、新聞出版物は出版権の譲渡や、一号多刊多報(訳注:審査批准を経て定められた刊行物登記番号を使いほかの出版物を発行すること)などの規則違反はないか、また新聞出版物に掲載された広告に違法や規則違反の現象はないか、新聞出版物の経営に規則違反問題はないか」について重点的に審査をするよう要求している。
 管理強化の措置としては《通知》は「閲読審査に万全を期し、新聞出版の世論のチェックと分析を強化せよ」、「新聞出版の編集取材人員の准入退出制度(訳注:出版物の創刊廃刊の許認可制度。出版企業の創業廃業や、人物の入退社に及ぶこともある)万全を期し、規範的ニュース取材活動を推進せよ」、「新聞出版部門の評価体系の確立を急ぎ、休廃刊制度を実施せよ」、「虚偽広告を懲らしめよ」、「『四假』即ちニセ新聞出版社、ニセ支局、ニセ記者、ニセニュース活動への打撃を展開せよ」等等を要求している。あわせて「属地管理」を強化し、「誰が主管し誰が責任を負うか」の原則を確実にするよう要求している。
 最後に《通知》は、総署が所轄する新聞出版の現状と管理問題について全面的に自主査察を行わせ、その報告書を提出させるよう、各省に対し実施方を要求し、かつ「中央宣伝部と新聞出版総署は、人員を各地に派遣してその実施状況を組織的に検査し、重点地区・重点新聞出版物に対する監督視察を行う」としている。
 われわれの知るところでは、中国にはメディアの報道内容に対して厳格な事後審査を行い、かつ責任追及を実施するという制度がある。その制度の一つが即ち閲読制度である。こうした制度は1988年に始まり、21世紀に入ってからはメディアの環境の絶え間ない複雑化にともなって、閲読制度もまた絶えず強化された。ここに簡単に、2009年に最も新しく登場した閲読の内容を規定する《新聞定期刊行物の閲読施行暫定規則》を紹介しよう。
 新聞出版物の閲読審査は即ち以下の10項目である。
(1)《出版管理条例》とその他の法律・法規及び国家規定の禁止内容を掲載していないか。
(2)新聞報道は真実・全面・客観・公正の原則を堅持し、虚偽・失実の報道を掲載していないか。国家の重大政策・軍事・民族・宗教・外交・秘密などに関し発表または一部転載した内容が、関係規定に合っているか。
(3)重大な革命と重大な歴史にかかる題材は、規定に照らして重大なテーマ選択登録手続きを履行しているか。
(4)罹災情況・疫病情況・交通事故・安全生産・刑事事件・社会安定など、重大で不安に敏感な突発事件にかかる報道は関係規定に合っているか。
(5)社会主義の道徳風格に悖り、格調が低い文章を掲載していないか、色情淫猥・凶悪殺伐な暴力、愚昧な迷信など有害な内容が含まれていないか。
(6)社会での自由な投稿とインターネットの情報の転載・抜粋が関係規定に合っているか、その内容について確認調査を行い、ダウンロードしたアドレスとその日時などを標記しているか、内部発行の非公開の出版物から転載・要約した内容ではないか。
(7)掲載広告は国家の関係法律法規に適合しているか。虚偽違法で内容低俗な広告を掲載していないか。新聞に掲載してある広告は明確な位置に「広告」という文字をはっきりと注記してあるか。規定に違反し新聞報道の形で広告を掲載してはいないか。
(8)新聞刊行物が表示する版数記録は規定に合っているか。特集版・特集号・増刊号の内容は発刊の主旨と業務に適合しているか。
(9)出版物の品質は新聞出版物の品質管理に関する要求に合っているか。出版形式は新聞出版物の形式規範に関する要求に合っているか。
(10)出版物の品質は現行の国家標準と業界標準に合っているか、使用言語文字は国家通用言語文字法の規定に合っているか。
 これらの内容は後の項目の出版の品質と、出版の秩序を除いて、大部分はみな報道内容と世論の動向に密接な関連を持っている。2001年に最初に公布された《新聞出版物閲読審査工作の一層の強化改善に関する通知》と、2005年に頒布された《新聞出版管理規定》の新聞出版の内容に対する規定を比較すると、新しく定められた閲読審査の範囲に対する規定はさらに詳細さを加えている。たとえば、第4条と第6条の中の自由投稿に対する規程など、上述の二つの文献には全く現れていない。
 それとは別に、蒙古自治区新聞出版局が各新聞定期出版部門に向けて公布した《全区の新聞出版管理工作をさらに強化改新するについての実施意見》(09年3月20日)を根拠に、筆者が注目したのは、メディアに対する内容と指導の要求中の「罹災情況・疫病情況・交通事故・安全生産・刑事事件・社会安定など重大かつ敏感な突発事件にかかる」では従前の「関係規定に照らして報道しなければならない」との要求を除去して、さらに「ニュースの取材編集の工作制度と原稿検閲制度を厳格に実施」(下線は筆者による)しなければならないと要求している。これはつまり、こうした民衆の生活と密接な関係があるニュースでは、極端に言えば民衆の生命の安全に拘わるような事件についても事前審査があるということだ。まさか、このような審査制度はニュース報道の「真実・全面・客観・公正」を保証するためだというわけではあるまい? それとも胡錦涛主席が世界メディアサミットで挨拶した「ニュース情報の真実・正確・全面・客観的伝達」の実現に力を貸したことになるのか?
 近年来、中国のメディア管理の上層部は、一方では発展に力を入れ、一方では管理に力を入れるとの方針だけを常に強調してきたが、これはやはり産業化改革推進と同時に、報道編集出版に対する段階的な管理は緩和しないということだ。しかもこの種の管理は十重二十重に執行される過程にあり、人民の生活にとり重大な安全問題について報道が及ぶときは、メディアの中には失言したり辞任するものが経常的に出現することは免れないであろう。
 北京オリンピック後、中宣部と新聞出版総署は続けざまに新聞出版の管理を強化する通知を発布し、主管主宰部門の管理、属地管理制度、イデオロギーの安全と文化の安全を強調している。特別に強調しているのは「異常複雑な国際国内環境に対応する闘争の中で、新聞出版は強固かつ壮大な主流をなす世論として、世論を高い水準に導き、社会を安定した方面へと促進する」というますます重大な責任を引き受けねばならない、と特に強調している。
 中宣部新聞局の胡孝漢局長は軍事戦略思想を引用して一文を草し、発言権を争奪し、世論の主導権を掌握する戦術と策略の問題の中で、われわれはニュース管理の最高のメカニズムの考え方を会得できている、と論述している。胡の論文は「新聞宣伝は『西強我弱』の国際世論の方式の下で、いかにして国家の利益と国家の形態を擁護し、我が方に有利な国際世論の環境を造り出すかであって、われわれは毎度の世論戦から策略と方法を入手し研究する必要がある」と指摘している。たとえば情報伝達のキーポイントは、高い立地点を占領することが絶対必要である、として「情報の制高点を占領するということは、即ち最も早くニュースを発信し、最も早く解説を行い、しっかりと権威ある情報を掌握して主導権を公表し、先入主となる、即ち先んずれば人を制すのとおり、マイナスイメージの言論が伝播する空間を最大限度の力で抑え込むことなのだ。「だから制高点を占め、不敗の地に立ってただちに有効な措置、たとえば「各ランクにわたる応急のニュースメカニズムの建設を急ぎ、国家に関係する応急の政策法規をワンセットにして実現し、ニュースメディアの素早い反応を構成して、政府の機能部門が積極的に処理した高能率システムを、何時でも、どこでどんな状況であろうと、必ず迅速に権威ある情報を発表することができ、手際よく宣伝報道を繰り広げ、有効に世論の制高点を占領する。政府の情報公開制度とニュース公表制度は完璧でなくてはならず、適時、確実に政府の声を伝達し、急場での反応の早さと世論対応能力をレベルアップし、重大な問題に際してはポストに欠員があってはならず、決定的時点で言葉を失ってはならないのである。」
 ここでわれわれが気付くことが出来るのは、国内社会の安定を維持するという観点に立つのは当然だが、やはり“西強我弱”の局面を改変するという観点から分析すると、中国政府の考え方は社会に向けて情報を解放する管理体制ではなく、一つの高速高能率の情報管理体制なのだということである。彼らは最も早いスピードで選ばれた情報を発表し「西強我弱」の世論の方式を改変しようとするのである。
 よしんば政府の情報公表をスピードアップし、政府が中央の信用のおける大メディアが享受する報道の優先権に任せて、適時に確実に政府の声を伝達する努力をしたとしても、やはりゆるがせに出来ない点が一つある。それは政府の検査、政府のフィルターを経た情報は、信憑性において疑念が持たれるという点である。

四、結びとして

 上述の考察から、中国メディア改革がずっとこのような一種の苦境に置かれていることが見て取れる。市場経済発展の中に生存を求めようとするからには、一方でイデオロギーの安全を保証しなくてはならない。即ち、経済の発展に適応し、文化産業改革を深化させる観点からいえば、新聞出版業は企業への転換と制度の改革が求められており、従来の計画体制下の行政区分を基礎に築いて来た、閉鎖的な割拠状態の打破が必要である。ただし、イデオロギーの安全を保証する観点から出発すれば、一方では行政区域管理の基礎とされる「主管主宰制度」と「属地管理制度」の強化確立も必要とされ、かつまた各級管理部門は所轄範囲のメディアに対する厳格な管理責任を、内容に対する厳しい管理を含めて要求されている。これにより経済の観点から探求して突破した改革は、イデオロギー締め付けの状況下で、一つ一つと手足を縛っていった。中国のメディア改革が結局のところ一進一退のシーソーゲームから抜け出すことは困難だと言われる所以である。
「西強我弱」という国際世論の方式の改変は、それ自体が単純なことではなく、産業化を加速し、強大化させる問題である。たとえ資本の合同により巨大メディアを創設する目標を実現したところで、大型メディアは必ずしも強力なメディアを意味していないのである。強力なメディアについては各種各様の定義をすることができるが、やはり強力なメディアといえる組織は、おそらくすべてその社会的信用力の基盤と無関係ではあるまい。そして社会的信用力のアップは、命令遵守専門の価値観をもつメディアが追求し、メディアが実践したことと無関係ではなく、報道の客観・公正・真実によって取得した、メディアの受け手側の信任とも無関係ではない。強大化戦略とメディアの社会的信用力に関しては、筆者はあとで別途論述することとし、ここでは討論の集約は行わない。簡略にいえば、中国メディアは強大化を欲し、誤ってまだ計画経済時代のメディア制度にとどまったまま改革を進めているが、ニュース規律に従った報道改革、メディアの社会的信用力の樹立、メディアの影響力の拡大を展開しないでいるのは、それこそ紙上の空論となるだけである。メディア研究の専門家の彭偉歩が要点を次のように指摘している。「さしあたり我が国のメディア政策は既に情報伝達のグローバル化時代に適応できなくなっており、管制をゆるめなければ、世界の大メディア集団との距離を引き寄せられないだけでなく、かえって彼らとの距離はますます大きくなる」。
 最後に筆者は、上述の考察を通して指摘した中国のメディア政策の矛盾問題は、実質上中国の経済体制改革と政治体制改革のちぐはぐさの縮図でもある、と指摘したい。政治体制改革を推進しなければ、中国はメディアが有するイデオロギーの属性についての解釈を、永遠に計画経済時代の枠組みの中に留め、敢えて本物の思想解放を行わずに、甚だしくは、むしろ左せず右を保つという安全なロジックをもって政治的な危険を回避している向きもあろう。このようないわゆる改革と称するものは多いが、それがかえって人心を消沈させ、改革もまた必ず形式に流れて、実質的な突破はありえないであろう。

※参考文献 省略