バンク・オブ・仏陀の道

第09回

第2節 法登録の巻

あれから僅か4カ月目の9月5日、俺は再びここダッカ国際空港にいた。
今回はスムーズにイミグレーションを通過し、まずは空港の両替所に向かう。ちなみにレートは10円が現地通貨で72タカ。日本円で3万円が2万1600タカとなるのだが、紙幣が細かいため、指3本分ぐらいのぶ厚い札束が、ドサッ、と戻ってきた!
数えるだけでも一苦労なのだが、便宜上、両替したおやじの目の前でしっかり数えてみる。と、うん!? 1000タカ足りない……。
と気づいた瞬間、このおやじの手のひらから滑るようにサッサッと500タカ札が2枚、目の前に差し出された。
その間わずか0.5秒! うまくこちらに気づかれなければ、“ちょんぼ”しようとしていたのが見え見えだ。さすがはバングラディシュの両替人……こいつらプロだ。

今回は経費を節約するため、チッタゴンへは夜行バスで行くことにした。なので、空港から都市間シャトルバスが出ているバスターミナルまで移動しなければならないのだが、なるべく安くすませたい。
きょろきょろしていると、案の定、タクシードライバーが声をかけてくる。「1000タカでどうだ?」。高いよ! と軽く手を振りジェスチャーをする。「じゃあ900、いやいや800……」
俺は、「バスかオートリキシャ(3輪スクーター)で行く」とつっぱねる。
すると、「オートリキシャは空港内では禁止だから、ここにはいないよ」とタクシードライバー達は言う。

とりあえずバスを拾える通りを教えてもらい、空港を出る。
と! その瞬間、大後悔。
……なまら暑い。
この時期は、秋のように過ごしやすいって聞いていたのに……だまされたぁ、タクシーにしときゃよかった。

すると、なんと、いないと聞いていたオートリキシャがいるじゃないか!
あいつら~嘘つきやがって。ノーチョイスだが、いちおう値段交渉……これ旅の常識。
「なにぃ~500タカァ~、200にしろよ~。……いい、じゃあバスにするから」と乗らないふりをしてねばる。案の定、追いかけるよう後ろから声が、「300でどうだ?」。
俺はにやりとして「オ–ケー」、交渉成立。
旅先の値段交渉は、強気が鉄則だ。……日本政府のような外交交渉をしていたら、すぐに痛い目に遭う。

首尾よくオートリキシャでバスターミナルに向かったのだが、ものすごい渋滞、さすが首都ダッカだ。
運転手はみんなクレイジー。両側を走っている車両とのすきまが僅か5センチぐらいしかない時がある。車間距離は大げさじゃなく僅か10センチだ!
そのうえ、1時間足らずの走行なのに接触が2回! ドライバーのリアクションときたらチラ見するだけ……。
さらに突然の急ブレーキで、俺は2回も鉄条網みたいな座席の仕切りに頭を打ち付け、その度に命の次に大事なニコンとMacの入ったバックが、ドスゥ、と床に叩き付けられる。あったまくんな、このこの~。

目的地に到着した。金を払おうとすると、財布の中にはバングラディシュの紙幣で一番でかい札、500タカ札しか入っていない。仕方がなく差し出し「釣りをよこせよ」と言うと、「残りはチップだ」と抜かす。やっぱりそうきたか~。妥協して50だけやると言うと、「いや100だ」。
結局、75タカ取られた。チップまで値段交渉かよ……。

チッタゴンへの都市間長距離バスに乗る。荷物の多さを考慮して、ファーストクラスにさせてもらった。とはいっても800タカは日本円で約1200円だ。
ちなみに、エコノミークラスだと600タカ。距離にして北海道の札幌から世界遺産の知床半島ほどの距離だが、日本での値段は1万3000円。約10倍! やはり日本の物価はクレイジーだ。

全然関係ない話だが、以前、カンボジアの首都プノンペンの路上で、ロン毛の俺を見た床屋のあんちゃんが、「お~い、そんなうっとおしい頭してないで髪切ってかないか?」って言うから「いくらだ?」って聞いたら、1ドル(100円)だって!
「お前の国ではいくらだ~」と聞かれ、とてもじゃないが40ドル(4000円)とは言えず、10ドル(1000円)と答えた。
なのにその床屋のあんちゃん、たっけ~って、目を丸くして驚いていた。
そりゃ~日本人は「べ~リ・リッチ・ピープル」って言われてもしかたないかも。そんな時、俺はいつも「エクセプト・ミー」(俺以外はね)と答えるようにしている。

16時にダッカを発って、深夜24時にチッタゴンに到着した。意外と近い。何時間かかるか知らなかったせいで、この殺伐としためちゃ治安の悪そうな場所に真夜中に着いてしまった……。
まいった、朝に着くと思っていたのに、半端な時間だ。さらにホテル探しと宿泊費が必要になった……。

10月6日
昨夜かけずり回ってやっと見つけたパラマウントホテルの朝、窓の外は昨日からの強い雨が降り続いている。しかし、雨のおかげで俺にとってはとっても過ごしやすい。まるで北海道の夏のようだ、と思いたい……。

まずは、散歩がてら近くを徘徊してみた。
……ストリートチルドレン、特に少女の多さに衝撃を受けた。

ストリートで生きる廃品回収で生計を立てるストリートの少女たち ストリートの少女たち ストリートの少女たち2ストリートの少女たち3

 

こんなに早くバングラディシュに舞い戻って来た理由の一つは、4カ月前にスタートしたブッダバンク、通称BOBの、その後の運営状況を視察することである。が、本当の目的は、 legaliz(合法化 )BOBブッタバンクの正式な法登録の手続きをして、バングラディシュ政府からの認可を受けるためである。
我々はあくまで人道支援及び救済活動として行っていることなのだが、それをしないと、違法行為になってしまうのである。何とも矛盾した理不尽なことだ。
自分とこの国民が困っていても何もできない政府が、代わりに救済に来ている外国人や組織に登録義務を課せて金を巻き上げるのである。

とにかくそれが、今回のプライオリティ、俺の使命なのだ。
元来、役所というところには縁が薄く、自分にとって最も苦手な人間達の巣窟みたいなところが物語の舞台なのか……? またまた似つかわしくないことに取り組むことになったのである。

そもそもバングラディシュに来るきっかけになったのは、今から1年ちょっと前の6月、毎年バンコクで行われているCS(四方僧伽)のマーチプロジェクト(平和の行進)の時である。この時、参加国の一つバングラディシュからは誰も参加できなかった。そのため組織として誰かを現地に派遣しなければならなかった。
それには、多少の語学力がありスケジュール的にもフレシキブルに動ける人間。しかも情勢が不安定な地域に一人で赴き視察するとなると、なかなかいないものだ。
大げさに言うと僕の場合、何かあっても家族もなく失うものもない。そこで、自分が行きますか? と言ったのが始まりだった。
そうしたら、「救世主が現れた!」と祭り上げられ、引くに引けなくなった……。

さらに次の年には、まったく予想もしていないCS(四方僧伽)バングラディシュ代表に任命されることになったのだ!
CSの創立者の井本氏に「こんな不相応な人間が、そんな立ち場になってもよいものなのですかね?」と、いちおう謙遜しながら聞いてみると、「なんせ人材不足なもので」、ついでに「不相応な人間も不相応でなくなることもある」という返答が……。さらに「世の中、上に立っている連中も不相応な人間ばかりですから」と、たしかに……。
……それってやっぱ不相応ってことっしょ。

チッタゴン初日の朝、アウンに連絡すると、待っていたかのようにすぐにホテルにやって来た。再会の喜びの余韻に浸る間もなく、まずは口座に入った法登録に必要なお金を書面で確認する。
CS(四方僧伽)創立者の井本氏より、既に担当者のアウンに必要な経費が送金済みである。
彼の話では、数日前にブッダバンク総括役員のメンバーを集めて、法登録の件に関しての報告会を開いたらしい。その時彼ら、とりわけアシシュとシャンガプリヤ僧侶は、アウンに対し「なんで俺たちに何も知らせないで、おまえが金の受け取り先になったんだ? 井本はなぜお前に送金したんだ?」と訳の分からない理由で彼を強く責め立てたらしく、アウンは説明に困ったとぼやいてきた。
……心配していたことが的中した。やはり既にそういうことが起きていたか。

この日の3時、プロジェクト(ブッタバンク)の総括役員5人全員が集合。
挨拶のあと、前回の二の舞にならぬよう、俺は話の初めにこれまでの経緯、また費用を作るため陰でどれだけの苦労があったかを説明した。
今後のために変な期待をされないよう釘を刺したつもりだが、まったく聞いている気配はない……。

自称ファーストメンバー・オブCSバングラディシュのアシシュは、井本氏から送られた必要経費の送金先が、自分じゃなくアウンの口座だったことが気に入らなくて仕方がない様子だ。
彼曰く、バングラディシュでは、海外からの送金、特に大金の場合、申告義務や税金など、事前の手続きや複雑なルールが存在する。なので、トラブルが起こることを心配した、というのが非難の表向き理由だ。
しかしそれは、単なるたてまえで、明らかに不信と醜い嫉妬である。

ミーティングは、それぞれの地域の状況報告で始まった。
それによると、順調に返済は始まっており、場所によっては既に2回目の返済が終わったところもあるらしい。
ところがアシュシは、自分のところはまだ返済が始まっていないと、罰が悪そうに言う。と、思い出したように、あわてて現場担当者に電話する。
「今聞いてみたら、無事始まっているそうですよ」と、アシシュが誇らしげに言う。っていうか、今まで何も確認してないのかよ……!

会議の始まる前、シャンガプリア僧侶から、前回立ち寄れなかった地域を訪問して、実際に融資を受けた村人とも話をするように、とアドバイスを受けた。
もとよりそのつもりだが、ちゃんと考えてくれているのだと少しは安心した。
が、そのあと一瞬で、その淡い期待は崩された。
なぜなら、会議が始まり、シャンガプリア僧侶が口を開いて最初に出たせりふは、「CSバングラディシュとしての新たな銀行口座を作るべきだ」、だった! と言うより、ほとんど命令である。
そして、条件として、最低2人のメンバーの同意がないとお金を引き出せないようにしろ、と要請。それも自分たちの住んでいるチッタゴンの銀行に、と場所まで指定。
2人とはアシシュとシャンガプリア僧侶か!?
……いきなりそんな話かよ。やっぱ、まずは金なんだな~。

そして、次にやっと本題の法的手続きの話題に入った。ブッダバンクの前身となるナショナルNGOの法的登録に必要な、経費の詳細は以下のようになっている。

Affair a Bureau(事務局)  US$150
Administration(行政)  US$ 500
Intelligence Department(情報局)  US$ 700
Home ministry(内務省)  US$700
Communication(通信、交際費)  US$200
Registration fee (登録料)  US$ 750
Other(その他)  US$350
合計3500ドル
実際に登録に必要な公的経費は750ドル(約9万円)だ。他はほとんどアンダーテーブル(賄賂)である。

それでも最低1年はかかることを知らされた。まともにやると3年以上は待たされる。開発途上国での役人のコラプションは、きわめて普通のことなのだ。
だが、はっきり言ってショックだ。てっきり自分が滞在中に完了するものだと、勝手に思っていたからである。もっと悪いことに、全額納めてからも、円滑に進めるためには、さらなる賄賂が必要になるらしい。今後いくら必要になるかは、まず手続きを終わらせてからじゃないと、わからないときている。
それらの必要なエクストラ経費をどうするかだ……?

アウンが、重い口調で
「みんなでシェアするしかない」
と言った瞬間!
一同シ~ン……。
利権は主張するが、痛みをシェアする気はないようだ……。

法登録に向けてのプロセスや必要な軽費の詳細は、アウンが以前、自身のNGO、エコ・デベロップメントを立ち上げた経験から得られている。それだけに適任と見ている。
彼は、四方サンガのナショナルNGOの立ち上げとブッタバンクの将来を見据え、早めの法的手続きを提案した。そこで自ら政府に掛け合い、かかる費用や手続きの必要項目を調べ、それらを記載した文書を作成して井本氏に提出した。
その提案を受け入れた井本氏は、この時点でまだCSバングラディシュとしての口座がないため、アウンの口座に必要経費を送金したのである。
事は急を要していた。したがって彼が送金先の窓口になるのは、きわめて自然なことである。

この日の深夜、僕とアウンとアシシュの3人は、ホテルの狭い部屋に場所を移し会議を続行した。
で、NGOの法手続きには、最低7人のメンバー登録が必要になる。ナショナルNGOとしての登録には外国人は含まれないため、今いる4人のほか、さらに3人の役員が新たに必要となる。そこで、メンバーの選出には公平を保つため、チャクマ族、マルマ族、バルワ(ベンガル人)それぞれの部族から出すという提案がされ、一同賛成した。
アシシュは、その方法として、それぞれ希望者を募り公平に面接をして選出する、と主張する。

僕とアウンは驚き、そんなことをするよりは、まずは信頼できるめぼしい人材にあたるのが現実的、と主張。面接という行為自体が、公平さを欠き、上下関係を作ることになる。それに、逐一全員の承認を得ることや、必要書類の作成など、複雑な手続きを考えると時間の無駄である。

しかし彼は頑として譲らない。僕は、現在行われている5カ所でのブッタバンク開催地の中で、一番の成果を上げている、ランガマテ県ディグリバ村の責任者Mr.ピブロップを当然そのメンバーの一人に推薦するべきだ、と提案した。
だが、アシシュは、よっぽど自分の息のかかっていない人間を受け入れるのが怖いのか、「シャンガプリア僧侶に相談しないと」と繰り返す。
「あんたはいっつも、何でも彼と相談してばかりで、自分の意見はないのか?」と、ついつい角の立つ言い方をしてしまい、険悪な空気に……。
さらに僕は、シャンガプリア僧侶が真っ先に要求した、CSバングラディシュの銀行口座のことに言及。優先順位を無視し無理矢理自分の主張を通そうとする横柄な姿勢を強く批判した。

その日の夜、このことが、通通のアッシシュからシャンガプリア僧侶の耳に入り、かんかんに怒った坊主、いや僧侶は、僕からの直接な謝罪がない限り、もう絶対に協力せん! と言ってきたのだった……。

……いきなり初日から暗礁に乗り上げた。

コラムニスト
伊勢 祥延
1960年北海道生まれ。中学校を卒業と同時に美容師の道に進む。31歳の時に独立。同時に写真作家として活動を始め、以来世界50カ国以上を撮影して回る。主に難民や少数民族などにフォーカスを合わせたドキュメンタリー映像を製作「写真ライブ」と名付け各地で上映会及び講演を行っている。最近では東日本大震災で、被災者との交流や復興の様子を記録した映像を発表し話題を呼んだ。書籍の他に、2007年から毎年チャリティカレンダー(発行部数約2万部)を製作。主益金は四方サンガによりアジアの貧困地や被災地への緊急支援に使われている。写真集:Scenes (自費出版)TRIVAL VILLAGE(新風舎)カンボジアンボイス(四方僧伽)リトルチベット(集広舎)子どもを産んで、いいんだよ(寿郎社)
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