バンク・オブ・仏陀の道

第01回

おおいなる使命と目的

 今から3年ほど前の2009年6月、ひょんな事からバングラデシュに行く機会を得た。元来旅好きの僕が、新しい国に行けると、旅感覚の軽い気持ちで引き受けた現地視察だった。
 衝撃的だったのは、なんと言っても貧困の凄さである。写真家として、いままで多くの国を訪ずれて来たが、こんなに一度に貧しい人を同時に見た事は無い……。人口密度が世界一なら貧困密度も世界一だ。他に貧しいと言われる地域、アジアを始め中東やアフリカ、南米でもこんなひどいのは見た事が無い……。
 更にこの土地には多数派のベンガル人とビルマ系少数民族との根深い人種問題が存在する。
 そこに深く関わることで僕は、この国に通い続ける事になっていった。

 渡航2回目の2010年6月、バングラディシュの首都ダッカに到着した。さっそく空港のイミグレでトラブルが起こる。入国に必要なアライバルビザ50ドルを請求された。去年は無料だった。前回来た時、日本人は無料のはずなのに賄賂欲しさで30ドルよこせ、とか言うふざけた輩がいた。なので、はじめはまた同じような張ったりだと思い、「嘘言うなよ、俺は昨日大使館に電話して聞いたんだぞ」とか言ってこっちも張ったりかましてみたが、半年前から法律が変わったとかで、悔しいけど今回は払うしかなかった。
 くそ~、それにしても無料からいきなり5000円かよ。
 今回はさらにカメラにもイチャモンつけられる「何に使うんだ? 職業はなんだ?」「俺は床屋で写真撮んのが趣味なんだよ」とか言いながらすったもんだ、とりあえずその後なんとか入国。
 目的地のチッタゴンに移動するのは次の日である。とりあえずダッカ市内に移動して安宿を数件あたるが、すべて外国人はだめとかで門前払いになった。探し回ること5件目でその理由は政府の方針だと知る。外国人が安宿などでトラブルに巻き込まれると面倒だからである。ノーチョイス。あきらめるしかなかった。仕方なく高いホテルへ、とまあ高いと言っても日本円で2000円ぐらいなもんなのだが。

 地元の人いわく、このあたり政治的に不安定らしい。その証拠にホテルのレセプションではパスポートを取られ(チェクアウトまで)さらに写真まで撮られた! まるで囚人扱いだぜ。なかなかエキサイティングで幸先のいいスタートだ、と痩せ我慢。ゴミと人だらけで臭い街だけど飯はうまい。混沌としたこの空気間、なぜか古巣に戻ったような不思議な感覚がよみがえる。

 その夜、ホテルの部屋でテレビのニュースを見ていた。するとダッカ市内のビルが、倒壊して100人以上の人が死んだと言う、すさまじい映像が飛び込んで来た。なんだろう、自爆テロ? 地震? それともまたサイクロンか? と思いきや、なんと原因はビルの老朽化による倒壊! そして瓦礫の下には大勢の人が埋もれていると言う。

 この国では、ずさんな工事と管理とで、首都のダッカだけでも3000以上の老朽化したビルが、いつ崩壊してもおかしくないと言う。さらに、それからわずか3日後のことだが、同じようにホテルの部屋でテレビを見ていると、今度は漏電で大きなビルが全焼! 1700人が犠牲になった。ダンプに死体を山済みにして運び、空き地に埋めるシーンや病院の中に死体が並べられ、回りには家族らしき人達が嘆き悲しんでいるシーンが繰り返し流れている。
 日本では、こうゆうシーンは流さない。バングラディシュにいることの実感がわいてくる……。

 まずはこれから僕が向かうことになっている土地、チッタゴン丘陵地帯、CHT(Tittagon Hill Tracts)と呼ばれ(以下「CHT」と表記)とは、どんな所なのかを話さなければいけない。

注:時事解説
バングラディシュ南東部のCHTには、もともとジュマと呼ばれる先住民族の人々が暮らしている。顔つきは、日本人とあまり変わらないアジア系モンゴロイドである。ジュマとは、焼き畑(農業)をする人々の総称で、実際はチャクマ族やマルマ族など計12の部族からなっている。彼等は古来よりそれぞれ王制を敷いて仏教を信仰し自給自足して来た山岳民族である。自治区として認められ、イギリスのインド・ビルマ統治下時代も、それぞれ部族の王がイギリスに年貢を納めることで平安を維持してきた。しかし第2次大戦後、アジアが諸国が相次いで独立し近代化するなか、ジュマの人々は、インドから東パキスタンその後のバングラディシュへと、国家体制に強引に取リこまれて行った。
1970年代後半になってバングラデシュ政府は、開発と平野部に住むベンガル人のCHTへの一方的な入植政策を取る。世界銀行やアメリカ、カナダの援助によってランガマティ県に建設された発電用のカプタイ・ダムは、ジュマの人々の広大な農地と家屋を強引に水没させ、新しく入ってくる入植者たちは、軍や警察を後ろ盾に我が物顔でジュマの土地と家屋を奪った。抵抗を試みる者たちは、拉致され行方不明となり、ある者は殺された。また警察の手によって刑務所に入れられた。さらには家を壊され、ある者は放火され、そうした「打ちこわし」は一般家屋ばかりか仏教寺院にまで及んだ。仏像の首が刎ねられ、地面に転がされた。また、ジュマの女たちの多くレイプされ、中にはレイプの後に殺害された。そうした被害は、2012年になった今でも続いているのだ。そして今、遂に、CHTでの「セトラー」と呼ばれるベンガル人入植者の人口が、ジュマの総人口を遥かにしのいでしまった。
よく、一見文明や近代化が遅れているように見える人や生活習慣に対し人々は、上目線で取り残されているのだと決めつけたがる。それは多くの場合偏見である。元来は、先住民ジュマの人々は近代国民国家など必要としていないのだ。以前僕はアフリカのマサイ族や中東で砂漠の遊牧民と寝食を共にした経験がある。その時に痛感した。近代化や物質文明に巻き込まれずに生き続けることは、崇高な尊い行為である。そしてそれを維持することは、近代化することよりも、遥かに困難なことであり、気高い精神を必要とする。彼等は取り残されたんじゃない。自分たちの意志で従来の生活を守っていたのだ。

 バングラディシュでの初日の朝、まずはパミッション(許可証)の手続を行わなければいけない。
コピー屋へ行きパスポートのコピーをファクスで訪問先に送る。「四方サンガ」の現地スタッフで、アウン氏の運営するエコ・プロジェクトという現地NGOが、役所に掛け合いサポートしてくれることになっていた。

注:「四方サンガ」 とは「Catuddisa Sangha 」とも言い、アジアの仏教徒を中心とした非営利の組織の名前である。
「仏の教えに導かれ四方(全世界)から馳せ参じ心を合わせ、人々の救済のため命の限り尽くす」というような、ありがたい意味らしく、仏教界の共通言語ような言葉らしい。人権や災害など人道救済支援を目的として活動する、独立した個人の集まりである。(現在16カ国にメンバーを持つ)

 僕は四方サンガの依頼を受け、その一員としてこの地にやって来た。これから向かうCHTは、外国人の訪問が厳しく制限されており、入るには各地域ごとに特別許可書が必要になる。その後ダッカ中心部の銀行へ料替えに行くが、日本円は予想に反しなかなか難しい。強いはずのジャパンマネーもこの国では厄介者扱いだ。大手銀行をいくつか当り4件目でやっと両替が出来た。持参した50万円は36万4500タカになった。いったいこんな大金なにに使うのかと言うと、実は大いなる使命と目的があるのだ。
 そういうわけで、いつもの様な自由気ままなバックパック旅行とはちょっと訳が違う。なんせ50万円もの現なまを人から預かっているのだ。そもそも俺はこんな大金持ち歩いたことがない。その使命と言うのは、このエッセイのタイトルにもなっているバンク・オブ・仏陀(BOB)、通称「ブッダバンク」という銀行業務の開設なのである。自分の長いようで短い人生のうち、最も似つかわしくない仕事なのである。

 ブッタバンク(BOB)について簡単に説明しよう。ブッダバンクとは、四方サンガの主要なプロジェクトの一環である。主に途上国において、人道的に又社会的に虐げられてる状況にある人々を対象に、無利子で必要なお金を融資することで、継続可能な自立、独立をサポートする。いわゆるマイクロ・クレジットと言うやつである。
 すでにカンボジア、ビルマ(タイ国内の難民コミニティー)日本で実行され成果が出ている。そこで今年はチベット(インド国内に暮らすチベット人コミュニティ)スリランカ、そしてバングラディシュの3箇所でスタートするのである。
 なんてったて名前が「ブッダバンク」である。それぞれ開設する地域の寺と僧侶が必ず関わるのがみそだ。融資を受ける村人は、形として仏さんからお金を借り、仏さんに返すこととなる。仏さんに助けてもらったのだからお布施するのが当然と言えば当然。早い話、それが利息の変わりになるという事だ。
 なんだやっぱ利息取るんだ、と思うだろうが、なんせお布施なのだから額は当然自分で決めればいい! 当人の経済状態や、収穫に合わせればいいのだ。そして返済は収入が発生してからすればよい。というありがたく画期的な仕組みなのである(ガイドラインはある)。なぜなら従来の融資は、借りた瞬間から利子が生じる。それが借りた人を苦しめたとえ成功する可能性があっても、その時にはすでに利子が膨らんでいて、豊かになるどころか返済のためにに仕事をしているというような悪循環に陥るケースがほとんどなのだ。
 資本主義経済の負の側面、格差を作り出す構造がそこにある。逆にブッダバンクのしくみは無利子なので、その心配はまったく無い。さらに外に流出することなく地域の中でエンドレスに回り続ける。大勢の地域の人が関わりそれぞれがオブザーバーとなることで、人と人とを繋ぎ感謝の気持ちが、村を心を、そして生活を豊かにする。地域やコミニティが自立していく強い可能性を秘めているのである。それが成功すれば、更に以前から四方サンガの推進する、地域通貨の導入の可能性も広がる。「地域通貨」とは限られた地域の中でだけ使える独自の通貨で、物々交換のしくみを円滑にすると考えればよい。地域通貨には税金がかからず、物以外にも職能や技術の交換にも役立てる。

 しかしそれを始めるためには、地域の人が自立独立して、ある程度豊かでなくてはならない。交換する物や技術がないと物々交換(地域通貨)は成り立たないからだ。その下地を創るため、はじめは現金を使い生活環境の底上げが必要である。それをマイクロクレジット、ブッダバンクがやるのである。自分の担当するバングラデッシュは主にCHT、ビルマとの国境近くに暮らす系少数民族ジュマ及びバルワと呼ばれるベンガル人仏教徒(以下「バルワ」)の暮らす地域で開設することになっている。
 始めるにあたり、中心となり総括する役員が現在4人。それぞれが、担当の地域がある。そしてそれらの役員全員が、すべての地域に関わることで、情報をシェアし暴走や孤立化を防ぐ。さらに地元の有力者や僧侶を含む数人を選出し、それぞれの地域に実行委員会を設立する。融資を受けたい人は、それぞれ計画書を持ち寄り、ほかに二人の承認の元、実行委員会を通して融資を受けられる。諸経費として、幾らかの会費(運営費)を徴収する。ちなみに宗教は問わない、現にイスラム教徒やヒンズー教徒も参加している。

 これをスタートさせることが、俺のタスク。今回のミッションなのである。
 さてさて、どうなることやら……。

コラムニスト
伊勢 祥延
1960年北海道生まれ。中学校を卒業と同時に美容師の道に進む。31歳の時に独立。同時に写真作家として活動を始め、以来世界50カ国以上を撮影して回る。主に難民や少数民族などにフォーカスを合わせたドキュメンタリー映像を製作「写真ライブ」と名付け各地で上映会及び講演を行っている。最近では東日本大震災で、被災者との交流や復興の様子を記録した映像を発表し話題を呼んだ。書籍の他に、2007年から毎年チャリティカレンダー(発行部数約2万部)を製作。主益金は四方サンガによりアジアの貧困地や被災地への緊急支援に使われている。写真集:Scenes (自費出版)TRIVAL VILLAGE(新風舎)カンボジアンボイス(四方僧伽)リトルチベット(集広舎)子どもを産んで、いいんだよ(寿郎社)
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