[去中国化 qùZhōngguóhuà]=脱中国化
今年8月、中国の末裔の多い那覇市久米に近年建立された孔子廟。中国は儒教に代表される伝統を今後どうハンドリングさせていくのか。
9月上旬、これまで台湾がらみでしか使われたことのなかったはずの「去中国化 qùZhōngguóhuà」(脱中国化)という言葉がなんと習近平・国家主席の口から発せられるという報道が伝わり、筆者は大いに驚いた。この言葉をめぐって考えてみることは、現在の中国に生きる中国人のアイデンティティを考えていくことにもつながっていくと思う。
思ってもみなかった使われ方
9月上旬に北京師範大を訪れた習近平氏は、ここ数年国語の教科書からいわゆる古典作品が削除されていく傾向に触れ、「いわゆる西洋のものばかりを重視し中華民族の魂である古典作品を軽視するのは、きわめて悲哀を帯びた『去中国化』の傾向だ」と発言。同大学国語研究所が編集責任をもっている小学校1年の国語教科書に記載されている古典詩を現在の6〜8本から、儒教の古典「三字経」「弟子規」「百家姓」などを含む22本まで拡充することを求めた。この話には伏線があり、習氏の北京師範大訪問直前に、上海市内で小学校1年の国語教科書から「暗唱が大変」などの理由で従来まで記載されていた古典作品8本の削除が決定されたのだ。中国国内では人民日報など当局系メディアが率先して伝え、それを受けてVOAなど在外メディアも一斉に伝えた。
この報道は日本国内の主要紙ではあまり焦点が当たらなかったのだが、筆者自身はもっと脚光の当たるべき報道と考える。その理由はまた後述するが、筆者がまずこの報道に注目したのは、「去中国化」とは従来までは台湾関連の言説でしか出てこなかったタームであり、それを北京の中央指導者が直接口にしたという事実だったのだ。
もともと僕が知っていたのは台湾における「去中国化」の方だ。台湾における「去中国化」とは、1970年代から本格化していくいわゆる中華民国体制からの脱却を図り、中国とは異なる台湾現地色の前面化を図る動きを総称して言う。ちなみにこの台湾現地色の前面化を図る動きは中国語では「本土化 běntǔhuà」(現地化)ともいうからややこしい。台湾海峡情勢に興味のある方には周知のように、70年代は大陸中国が本格的に国際社会に復帰する時期であり、台湾から中国全土を統治するというフィクションとしての中華民国体制の動揺が顕在化する時期であった。後に総統になる李登輝をはじめ、日本植民地時代を経験したいわゆる本省人が政治をはじめ各界で台頭し、後の民進党など野党誕生につながる党外運動展開も本格化する時期である。この時期から少し時間をおいて政治的緊張が一段落してから言われ始めた「去中国化」とは、ジグザグの紆余曲折を経ながらも目指すべき方向として台湾社会の一方の側で実現がなお期待されている価値といえるだろう。
動詞「去」には「取り除く」の意があることから派生したと思われるのだが、「去~」とは「脱~」ということを示す用法だ、ということも、この台湾での文脈から筆者は知った次第である。したがって自分の中では台湾での用例が早いが、客観的には大陸・台湾でどちらがこの用法を早く使ったのかは不明だ。
伝統の裏付け求める中国大陸だが…
「去中国化」という言葉についてこのようなイメージが先行していたので、筆者としては冒頭の習近平発言にはちょっとした違和感を持ったのである。では中国にとって「去中国化」とは何なのだろうか? 筆者が考えるに、この言葉には中国大陸の場合、アイデンティティの断絶と再創造の問題が横たわっていると思うのである。
周知のように大陸中国は1970年代末以降、「改革開放」へと舵を切り、この40年以上の時間を通じて社会主義の表看板は架け替えないまでも、少なくとも都市社会は実質的に資本主義的生活様式・価値観が透徹しているように見受けられる。さらに90年代を迎えてソ連・東欧の社会主義が崩壊したことも拍車をかけ、今日では革命史観はともかく、その後の社会主義イデオロギーは事実上中国社会においてかなりの部分事実上説得力を失ってしまったかのように思える。それは例えば、本欄でも紹介した「~同志」といった社会主義的言葉遣いが徐々に衰退していった過程と軌を一にしていると筆者は見ている。いわば社会主義的イデオロギーの衰退にともなって、価値観の空白とアイデンティティ的な混乱が生まれたのであり、それは依然としてなかなか埋めることのできないものになって久しい。
今年3月、台北のひまわり運動現場にて。
その空白を埋めるために前政権時代から持ちだされるようになったのが中国が世界に誇るという儒教であることも詳しい人はご存知だろう。政府当局の肝いりで学術的な体系化が図られているほか、各地で儒教振興のための集会も盛んに開かれるようになりつつある。何よりこの数年、世界で展開されている中国政府支援による中国語教育機関に「〝孔子〟学院」という名前が付いていることが象徴的な事例だ。今回習氏が憂慮を表明したのも、国語教科書から削除される作品の多くが儒教の古典ともいうべきものだったからであろう。
実は儒教関連以外でも、中国大陸では文革期に数多くの古典的資料や作品が放棄されたため、対称的に「中華文化復興運動」により中華の伝統保存が行われた台湾から多くの出版物や資料が最近多く輸入されているのである。
ここで今回の件に話を戻すと、習氏のいう「去中国化」の〝中国〟とは、「中国古来の文化的伝統が象徴されたもの」(多維新聞網)ということであると理解できるであろう。ただ同時にまた、今回の事例が物語るのは、おそらく、近年の中国当局による儒教振興の試みが必ずしもうまく行ってきたわけではない、ということである。教科書への採択数が減らされるようになってきた原因について筆者は必ずしも詳細には調べていないが、おそらくは受験にはさほど役立たないということではないか。深読みするなら、儒教の教えの眼目が、効率を重視する西欧型価値観に真っ向から否定されるという局面があり、習氏の発言はそれをまた上から調整するものであったとも解釈できる。つまりは行き過ぎた効率・利益重視社会を緩和する狙いからも図られてきたはずの儒教定着策も、当局が期待するほどは奏功しなかったということではないだろうか。
外部から辛い見方をするならば、今これだけ儒教を持ち上げているが、そうならば改革開放以前にあれだけ弾圧したのは何だったのか、という疑問も浮上する。が、筆者は外国人でありこれ以上は踏み込まない。ただ、日本の言論空間ではあまり話題にならないけれど、中国の現代的アイデンティティはなお定まらず今後しばらくは錯綜を続けるのではないか──そういう予感を感じさせる報道だったということだけ言っておきたい。