猫と楽器と本と人間

第01回

この順列には深い訳がある

 二〇〇七年初頭に福岡市南区に越して来る頃、四千前後の世界中の民族楽器は、東京より西の五カ所に分散し、福岡でも保護して増えた猫も今日では、区内数カ所(いずれも近所)に分けたけれど、東京の最後の家では、それらの殆どが二階建てに押し込まれていた。引っ越しは二トン・トラック二十台に及んだ。

 その頃、昼間、十三匹の猫たちは、楽器ケースや膨大な民族音楽資料の段ボールの上や隙間の、それぞれのお気に入りで昼寝をしていたが。私が就寝しようと折り畳みベッドに横になると、あちこちから飛んで来ては、子猫時代に決めた場所に潜り込むのが常同(※)だった。
 両脇、両腿、両足首、足の間、顔の左右、胸の上、首の上……。子どもの頃、無性に哀れな気分になった「捕われのガリバー」の様であった。何しろ、成猫になって、それぞれ三~四キログラム、中には五キロ近い子たちに取り囲まれれば。当然息苦しいは、寝返りは打てないは、なのだ。なのに、心は何時も「至福の時」だった。その昔、子ども心に「何故ガリバーは、渾身の力で逃げ出さないのだ?」と疑問に思ったのだが、案外、彼も「捧げる心地良さ」を味わっていたのかも知れない、と、五十年近く経って疑問が解けたのであった。

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◀東京都人権啓発センター情報誌2005年6月号(Photo by M.Hiraga)。インタヴュー記事と表紙に抜擢された。背景は当時の教室の一角。膝の猫のは、猫エイズの為に教室で独りで暮らしたChame。

 この様な話は幾らでもあるのだが、そのひとつを語っただけで「そりゃ大層なお猫様ですね」と言われる。これは、言う側の精一杯の丁寧語であって、真の意味合いは「そりゃ致命的な猫馬鹿だね」なのだろう。しかし、これは大きな誤解である。

 我家では、タイトル通り「猫と楽器と本と人間」の順列である。が、決して「お猫様意識」でそうなっているのではないのだ。楽器は「世界に数本」「現地では国宝級」という貴重なものも少なくない。文献、書籍も日本では貴重なものばかりだが、出版部数は少なくないに違いないから、希少価値のより高い楽器の次に位置する。そして、それらは「形さえ残れば」数十年数百年経っても「蘇り」「活きる」ことがあるだろう。さすれば、「生きていればこそ」の人間よりも、生き続ける文献・書籍、楽器の方をより大切に扱って当然だと言えるのだ。
 「それを言うなら猫だって、『生きていればこそ』じゃないのか?(死しても皮を残すネコ科の「虎」を例外に)」とお考えになるだろう。が、猫の寿命は人間の五分の一なのだ。つまり「一分一秒に人間の五倍の価値がある」と言うことだ。ならば「五倍尊重されてしかるべき」というのが、論理的な答えに違いないのだ。

 加えて、「猫は猫に生まれ変わる」と言われる。人間の場合、その生き様、行いによっては、蠅や蚊やナメクジかも知れない。余程の徳を積まないと人間が猫に生まれ変わることは難しいらしい。故に猫は、生まれながらにして徳の高い魂を持っているということになるのだ。 
 また一説には、猫は人間が神に懇願して現れた生き物であると言う。サハラ砂漠の山猫(砂漠の山猫というのもおかしな表現だが)を品種改良し、穀物の番人として蔵を守らせ、大航海の船底に住まわせたり、ペスト大流行の際には、爆発的に繁殖させられたとも言う。が、人間が猫を神に強請ったのは、その遥か前だと言う。ならば、人間の社会生活の利便のためではなく。生き方を学ぶため位の精神的な意味合いであった可能性が高い。何故ならば、古代エジプト以前からエジプト王朝初期迄の人間には、かなりの叡智と悟性が伺えるからである。考え得ることは、人間以上に叡智と悟性を持つ猫と共に、人間もそれを学び、磨いて生きて居た。しかし、次第にそれを忘れ始め、とうとう醜い争いを繰り返す様になり、遂には「地球というひとつの生命体」の命迄も脅かす存在になってしまった。それでも猫は、太古からの使命を携えた魂とDNAを持って繰り返し生まれ変わっては、人間たちが再び、それを思い出し猫に気付かされ、学ぶ時が来ることを願って待っているのだ。
 「そうなんだよね!」と、改めて感謝と敬慕の想いで猫に目をやる。 すると、「やっと分かったね!」と見つめ返してくれるかと思いきや、なんと、でれっと昼寝をしていた。
 私が、そこ迄存在を尊重しようというのに。当の猫は、その貴重な時間を殆ど寝ている。しかし、それは即ち、人間の方が必死に考え、学び、探求すべきであるということなのだ。言わば「猫は、生まれながにして涅槃仏」なのである。
 「戯れ言」の様に聞こえるかもしれないが。「猫は勝手気ままで寝てばかり」という普通の解釈から、「猫は悟り切った後、人間に何かを気付かせるために生まれて来たのだ」迄、解釈、思考、はたまた夢想は限り無くあるだろう。この限り無さこそ「人間が等しく与えられた自由」なのだ。その自由を謳歌しない手はあるまい。よって「猫は勝手気ままで寝てばかり」という既成観念、常識で終わってしまうことは、甚だ勿体ないと言える。

 気付けば、「書籍、楽器」そして「人間」も全く同じなのだ。本を読んで、言語的に頭に入ったところで、そこに価値が生まれるというものではない。楽器などはもっとはっきりしている。誰が弾いても素晴らしい音楽になるとは限らないからだ。どんな名器と言われる楽器であろうと。ならば、「名作、名著」も同じ筈だ。不思議なことにそれは話題にならない。にも拘らず古今東西の物書きは、伝えたい思いを、ああでもない、こうでもないと、時には命を削って来た。そして、私と不思議とウマが合う、集広舎の川端社長などが、また根を詰めて編集し、世に送り出す。その世の中が「書物をヘタクソにしか読めない輩だらけ」であったならば、「砂地にせっせと水を遣る」様な空しいものであると言える。まったく「馬の耳に念仏」、「猫に小判」だ。
 「人間」もしかり。ところが、「ヘタクソにしか生きられない人間」というのは、必ずしも「駄目な人間」という意味でもなく、むしろ逆なこともある。これについては、後の機会に。ご高読に感謝。

※ 常同とは、「野生の本能」がさせる「同じ行動を常に取る」という意味と、何らかの精神的トラブルやストレスで「同じ行動を何時迄も繰り返す」という意味がある。また、「自閉症/自閉系」に於いても、前者とほぼ同じ現象をいうことがある。読者に啓蒙したい筆者の感覚に於いては、猫のそれは、非常に深い意味を持つ前者である。このことは追々語り説くことになる筈だ。

コラムニスト
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若林 忠宏
1956年、文学座俳優(当時、後に演出家)の父、ピアノ教師の母の下、東京に生まれる。1971年、中学二、三年の頃に、世界の民族音楽と出逢い。翌年、日本初の民族音楽プロミュージシャンとしてデヴューする。十代後半は、推理小説家としてデヴュー前の島田荘司氏のロックバンドにインド楽器で加入。テクノバンドとしてプロデヴュー前のヒカシューに民族楽器で加入。二十歳そこそこの1978年から20年間、都下吉祥寺で日本初の民族音楽ライブスポットを経営。日本初の民族音楽教室の主宰、同じく日本初の民族楽器専門店も経営し。在日大使館、友好協会、国際理解教室など、伸べ千数百回の演奏を経験する。新聞、雑誌、TVなどの取材も多く、「タモリ倶楽部」「題名の無い音楽会」には数回出演、「開 運なんでも鑑定団」では、特別鑑定士でもある。 著書に「アジアを翔ぶシターリスト」(大陸書房:絶版)、「民族楽器大博物館」(京都書院:絶版)、「民族音楽を楽しもう」、「世界の師匠は十人十色」、「アラブの風と音楽」(以上ヤマハ出版)、「もっと知りたい世界の民族音楽」、「民族音楽辞典」(日本初)」(以上東京堂出版)、「スローミュージックで行こう」(岩波書店)、「民族楽器を演奏しよう」(明治書院:学びやぶっく、2009年6月)、「まるごと民族楽器徹底ガイド」(YAMAHA、2010年2月新刊)の他、共著も多い。「民族音楽紀行:アジア巡礼編」(2008年春)、「アフリカ編」(2009年秋)、「カリブ・中南米編」(2010年9月)の15から16回を「西日本新聞」文化面に連載。2005年からの九州・福岡と東京の通いの頃から、保護猫活動を行 い。2007年には「福岡猫の会」を立ち上げ、2010年に大量の捨て子猫、野良子猫を引き受けて以後、何らかの疾患によって容易く里子に出せなくなった為、新たな引き受けを中断し、看病経験を研鑽することとなる。2013年には、西洋化学対処療法の限界に突き当たり、中医・漢方、西洋生薬(Herb)、様々なサプリメント、ヴィタミン・ミネラル療法などのホリスティック(全身的)療法、及び自然療法を懸命に学び、50頭に及ぶ保護猫の世話に活用。猫エイズなどの不治の病の哀しい看取りなども含め、経験を積む。集広舎サイトにも、インド人作家、グルチャラン・ダースの著書「インド 解き放たれた賢い象」の若林氏の書評がある。 及び、氏は、闘病中の保護猫の世話の為にも在宅で出来る執筆業に重きを移行したいところであり、新聞、雑誌、Webマガジンなどのコラム、エッセイの依頼を求めている。専門的な経験はもとより。引き出しの豊かさと視座のユニークさは、斬新且つ適所なものをお届け出来る底力を持っていると推薦したい。連絡をとってみたいと思われる方はご気軽に当集広舎迄ご連絡頂きたい。
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