中国寄り道コラム

第03回

文化をめぐるビジネスの今

ドローンへの警戒

 4月中旬に訪れた北京は、入国カードをスマホの画面からオンラインで記入できる制度なども導入されていたせいか、デジタル化が一層進んでいるように見えた。それは便利さとともに、どこか窮屈さももたらした。

 かつておしゃべりで名高かった北京のタクシーの運転手が、客との会話を会社にチェックされるようになってからは、あまりおしゃべりをしたがらない。公共交通や街角には公安警察の姿が目立ち、地下鉄や人の集中する施設に入るたびに検査装置で手荷物をチェックされる……そういったことには、すでに慣れているはずだった。だが、ホテルに到着早々、ホテルのフロントで所持していた荷物の中身をすべてチェックされた時には、さすがにぎょっとした。ホテル側の説明によれば、最近、故宮からほど近いホテルで北京以外から訪れる宿泊客に対して義務付けられているという。理由は「ドローンが入っていないか確かめるため」。筆者の頭の中を「警戒の対象は本当に故宮か? むしろ中南海では?」という疑問が過ぎったが、いずれも無許可でのドローン撮影は禁止されているはずなので、説明の重点の差に過ぎないのだろう。

 ちなみに筆者が滞在したのは、二環路内とはいえ、故宮までは2キロほど離れていた。それでも検査が必要だということは、かなりの数のホテルで同様の検査が行われているはずだ。

 ドローンの製造量では世界でトップを走っている中国だが、ドローンを自国の空から締め出すことにも中国は非常に熱心だ。今年の1月から、違法ドローンの所持は実刑を課されるほどの厳罰の対象となった。また今年5月からはあらゆるドローンについて実名での登録が義務付けられ、同時に首都におけるドローン及びその主要部品の販売やレンタルも一律に禁止されるという。

 バイクを使った宅配便が急速に広まるなど、これまでの北京では物流網の普及において柔軟さ、効率主義が目立ってきた。そのため、ドローンによる宅配なども日本より早く普及するのではと思いきや、「飛行機の安全な航行を妨碍しかねない」「空は無法地帯ではない」などといった理由を掲げ、ドローンの所持や使用を厳しく制限しているのが現状だ。

 リュックやスーツケースを含むすべての荷物を開けてドローンの有無をチェックした後、フロントの女性は部屋の鍵を渡しながら声を低め、真面目な顔つきで言った。
「気をつけて過ごしてくださいね」
 私が日本人なのを心配してそう言っているのは明らかだったが、これまでの中国滞在では一度もなかったことで、その言葉はドローン検査以上に私の肝を冷やした。日中関係が緊張しているのは確かだが、最近は一般の旅行客にまで害が頻繁に及ぶようになっているのだろうか? そんな疑問を胸に、今回の北京での街歩きは始まった。

衰えぬ書店ブーム

 結論から先に言うと、ホテルのフロントの女性の忠告は正しかった。なぜなら北京滞在中、筆者は生まれて初めてスーツケースから10点前後の品を盗まれるという窃盗被害に遭ったからだ。考えられる理由の一つは、スーツケースに日本のステッカーを貼っていたこと。というわけで、やはり用心はするに越したことはない。ただ直接的には、北京滞在中、反日感情を感じたことは一度もなかった。ある時など、中国の友人と一緒にタクシーに乗ると、知日派のその友人は何の躊躇もなく車内で私と日本語を交えておしゃべりをした。運転手に出身を聞かれると、これまた何の躊躇もなく私を日本人だと紹介する。かつて日本に強い反感をもつ運転手に出会ったこともある筆者は少しひやひやしたが、中国社会をよく知っているはずの彼女がそのように大らかである以上、私もそこまで神経質になる必要はないのだろうと思わざるを得なかった。私の知る北京が、そう大きく変わったわけではなさそうだ。

 さらにホッとしたのは、学生や知識人の間で人気が高そうな書店を巡った時だ。平積みのエリアに、一時期は制限されていたはずの日本の書籍の中国語版が目立っていた。しかも三島由紀夫や川端康成といった古典的な作家ばかりでなく、現在人気の高い女性作家やエッセイストなどの書籍も並んでいる。最近は元『暮らしの手帖』の編集者で文筆家としても知られる松浦弥太郎氏の本が人気らしく、いくつか中国語訳が並んでいた。今の中国では学生に日本留学を控えさせようとする強い動きがあり、日中間の交換留学も縮小しているといわれるが、日本の文化からあれこれ吸収しようとする動きまでが消えたわけではないようだ。

北京の書店の平積みスペース北京の書店の平積みスペース

 書店で売られている書籍の外観にも変化が見られた。最も目だったのが書籍の判型だ。三聯書店を訪れた時、日本の文庫本を真似たと思われる判型の本のシリーズが平積みでずらりと並んでいた。1990年代から中国の書籍をあれこれ手に取ってきた筆者にとっても、ほぼ初めて見る光景だ。内容には中国内外の古典的名作が多く、日本の岩波文庫などに似ている。日本の出版文化の影響は明らかだが、恐らく紙が節約でき、スマホと同じく携帯しやすいという実利的要素も導入の理由だろう。

文庫判の本が並ぶ一角文庫判の本が並ぶ一角

 人々が本を読まなくなっているのは中国でも同じらしく、テレビでも読書を勧める公益広告が流れていた。また統計によれば、たとえ読書を好む層でも、今はその7割がスマホで読書をしているという。文庫版の登場は、そういった層に紙の本をアピールするための、挑戦的な試みに違いない。

 ちなみに読書量の低迷にも拘らず、ここ数年、北京はちょっとした書店ブームだ。洗練されたインテリア・デザインを誇る大型書店や本のセレクトやおしゃれなグッズ、そして寛げる雰囲気などで勝負する小型書店が増えている。カフェが併設されていることも多い。

一昨年開店した紙上聲音書店の東四支店。阜成門の本店は喫茶店を併設。一昨年開店した紙上聲音書店の東四支店。阜成門の本店は喫茶店を併設。
同上同上
隆福寺街の中国書店。中はモダンな空間隆福寺街の中国書店。中はモダンな空間

 北京の書店がハード面でどんどんとグレードアップしているという流れは承知していたものの、それでも隆福寺街に新たにできた中国書店を訪れた時は、意表を突かれた。中国書店といえば、清朝のスタイルの門構え。中に入ると素朴だが歴史を感じる空間に古本や画冊などが所狭しと並んでいて、どこから探し始めればいいか悩むほど古本で溢れている、というのが定番だ。だがその新しい分店は、一歩入ると白さが際立つ現代的なインテリア空間に、いかにも「厳選された」といった感じの古書が並んでいる。壁の棚などもユニークな形をしていて、旧来の中国書店を知る人であれば目をこすりたくなるほどモダンだ。そこに昔のノリで乗り込んだ筆者は、少しそわそわしながら考えこんだ。この空間をどう表現すればいいだろう。ショールーム的古本屋? それともデザイナーズ古書店?

生まれ変わった隆福寺街

 ちなみに、この斬新な古本屋がある東城区の隆福寺街は、かつて西城区の護国寺前と並び、盛大な市が立ったことで名を馳せた。だが1901年に古刹隆福寺の一部が火事に遭うと、焼け跡は放置され、さらに1988年には残った伽藍も全て取り除いて隆福大厦が建設される。寺こそ廃れても隆福寺前の露店市は長らく北京随一の賑わいを誇っていたが、伽藍を完全に失った後は街全体の景気が悪化。寺院そのものはその後、ビルの屋上に再現されるものの、街全体の衰退は年々顕著になった。それでも十数年くらい前までは、朝は生鮮食品、昼は衣服を売る露店が並び、何とか市の面目を保っていたが、やがて長い改修の時期に入る。それがいよいよ終わったのが、去年の9月。今年の春節には華やかに露店が並ぶ廟会の賑わいも復活し、人気を集めたという。

1年半前、まだ改修中だった頃の隆福寺街1年半前、まだ改修中だった頃の隆福寺街
隆福寺街をカラフルに飾る面々隆福寺街をカラフルに飾る面々
同上同上
同上同上
同上同上
同上同上
復活した老北京の老舗レストランとその壁面復活した老北京の老舗レストランとその壁面
同上同上

 実は筆者がそのことを知ったのは、春節を5日後に控えた2月10日に、習近平国家主席が隆福寺街を視察したという記事を目にしたからだった。広く知られているとおり、習近平主席は北京出身であり、今もその実家は東城区の胡同の一角にある。そんな彼にとって、隆福寺街に立つ市は幼少期の思い出の一幕であるはずで、それが新たな形で復活したのを喜ばしい出来事として紹介していたのがその記事だった。

 調べてみると、リノベーションを担当したのは、中国建築設計建築院。オリンピックや万博関係も含め、国や町のランドマークとなるようなプロジェクトも数多く手掛けてきた国務院直属の企業だ。そんな点からも、隆福寺街の改修が政策的にかなり重視された、つまりはお上の顔色を窺いながら行われるプロジェクトだったことが分かる。コロナ禍の後遺症である小売業の不振を吹き飛ばしたいという目論見もあったことだろう。

かつて映画館があった建物かつて映画館があった建物

 では実際に隆福寺街を歩いた印象はどうか? 正直に言えば、デザインにある程度の統一感があり、大小の店のバランスも悪くないが、商業的にはコンセプトとしている「文化」の中身が絞りきれていない感じがした。通りに並ぶ店の顔ぶれは、若者向けのグッズやファッションを売る店、老北京らしさを売りにした飲食店、チベットの文化を紹介しつつ飲食も提供する空間、ソニーのテクノロジー体験施設、そして先述の古本を売る中国書店などだ。近代的なビルや歴史的な建物が混在するエリアにそれらが代わる代わる現れるので、少し混乱する。一つ一つの店や施設のクオリティはけっこう高いのだが、ターゲットがバラバラすぎるので、もしかしたらここは3世代揃った大家族向けの商店街なのだろうか、と考えてしまう。そしてこれはあくまで私個人の感想だが、改修工事の始まる前、つまり隆福寺街がもっとも寂れた時期でさえ細々と存在していた映画館がまだ復活していない、というのがとても残念だった。新しい隆福寺街が「文化的な雰囲気」を売りにしていることを考えればなおさらだ。

映画祭で盛り上がる芸術区

 映画といえば、今回の滞在では印象的な「偶然」があった。
 そもそも、北京で「文化」と「商業」が結びついている場として有名なのは芸術区だ。北京の芸術区は、広大であるだけでなく、数も多い。798芸術区や草場地、宋荘を代表とする古顔から数年前にできた新しい芸術区まで、それぞれ個性や特色があり、顧客やファンを獲得している。

 今回私が訪れた「朗園Station」という芸術区は、美術館やギャラリーより飲食店やグッズなどの店舗が目立つものの、現在の北京の流行を知るにはうってつけの場所だった。テーマのはっきりした個性的な店が目立ち、敷地内のあちこちで、凝った立体看板やキャラクター造形などが、さあ、早くスマホで写真を撮ってくださいと言わんばかりに存在を主張している。

朗園Station内の風景朗園Station内の風景
同上同上
同上同上
同上同上
同上同上
同上同上
同上同上
同上同上
敷地内のギャラリーとその展示作品敷地内のギャラリーとその展示作品

 先ほど「偶然」と述べたのは、筆者がここを訪れた日が、たまたま第16回北京国際映画祭の開幕日で、しかもその開幕イベントの会場が「朗園Station」だったからだ。ゆえにその日は国内外から映画界の大物たちが続々とこの芸術区に押し寄せていた。敷地内には映画祭に合わせて準備された多種多様の広告やオブジェやマスコットなどが並んでいて、映画祭を国際的な文化交流の場としてだけでなく、文化を介したビジネスとしても盛り上げようとする意欲が感じられた。その光景を観ていると、中国経済が減速しているというのが、にわかには信じ難くなったが、もちろん映画祭を主催しているのは中央広播電視総台と北京市政府なのだから、予算が潤沢なのは言わずもがな。むしろ無駄遣いをしていないか、市民がチェックすべきなのだろう。

第16回北京国際映画祭の会場第16回北京国際映画祭の会場
同上同上
同上同上
同上同上
同上同上
同上同上
映画祭のマスコット映画祭のマスコット

 個人的に驚いたのは、映画祭の審査員の名に敬愛する女優、ジュリエット・ビノシュの名を見つけた時だ。筆者が北京在住時に訪れた同映画祭にも彼女は招待されていて、しかも、多数の観客とともに会場を出る際、幸運にも間近に本人が立っていた。当時の私は、そのセレブらしからぬ無防備さに、親近感と敬意を同時に覚えたものだった。それが、狙ったわけでもないのに、十数年後、めぐりめぐってまた同じ敷地にいる。その不思議さに、筆者は何とも言えぬ感慨を覚えた。

不振に悩む茶葉市場

 中国で文化が商業と強く結びついているもう一つの例はお茶だ。

北京茶業及茶芸博覧会の会場、北京農業展覧館北京茶業及茶芸博覧会の会場、北京農業展覧館
ブースごとに並ぶさまざまな茶ブースごとに並ぶさまざまな茶
同上同上
同上同上
同上同上

 筆者が北京を訪れた時期はちょうど「第20回北京国際茶業及茶芸博覧会(春季)」の開催日とも重なっていた。そこで友人とともに会場を訪れると、まずはそのいかにも中国らしい「広さ」に圧倒された。4つの会場に所狭しとブースが並び、来場者たちに本格的な作法で淹れた茶を振舞いつつ、茶や茶に関連するさまざまなものを売っている。店が客に茶を試飲させること自体は中国の茶葉市場ではよく見られる光景だが、ここは来場者の数が半端ではない。店員たちは次々と訪れる客に茶を振舞うだけで大忙しの様子だ。

 中国の茶は茶葉の種類の多さも圧倒的だが、茶に関連する品の顔ぶれも豊かだ。関連商品には、茶器や茶道具、茶と一緒に淹れて飲む柑皮やバラの花などの乾物、茶を入れる時に着る伝統的な衣装などまでが含まれる。

中国では湯を淹れて飲むものはすべて「茶」と呼ぶため、会場には霊芝や花弁も。中国では湯を淹れて飲むものはすべて「茶」と呼ぶため、会場には霊芝や花弁も。
同上同上

 そういった品を売る店が広い会場にずらりと並んでいるのを見ると、中国の茶葉ビジネスの裾野や横のつながりの広さを感じる。

 その賑わいに、ふたたび中国経済は本当に減速しているのだろうか、と感じてしまうが、関係者によると、省や都市といった行政単位で出店しているブースは、行政側が資金を負担するので、出店自体は景気にあまり左右されないという。個人商店の場合は事情がまったく別で、ある茶葉専門のブースでは店員が「今年は売り上げがひどく悪く、最高品質の茶葉でも、かつてのような高い値段をつける勇気は到底ない」とぼやいていた。しかも筆者がそこを訪れたのは昼過ぎだったにも関わらず、「今日はまだ誰も買ってくれない」と言う。さすがに安価な茶の売上がゼロになることはないだろうが、高級茶葉については、近年普及しつつある、幹部らに飲食店での贅沢な接待を戒める政策も、売り上げ不振を助長しているのかもしれない。

 そもそも文化をめぐるビジネスには投機的なものも大きく作用し、浮き沈みが激しい。年数を重ねるとワインのように味わいが増すプーアール茶などは数年前、投機の対象としてももてはやされ、1キロ3000万円といった超高級茶まで出現したようだが、去年、バブルが派手にはじけた。
先述の芸術区や商業エリアにしても、表向きは華やかさを保っていても、テナントや利用者が減少するなどといった、経済減速の影響は確実に受けているようだ。

 ただ筆者の印象では、文化とは見た目よりずっとしぶといもので、たとえ経済が衰えても完全に滅びることはめったにない。むしろ経済的に困難な時期ほど文化の実力が試され、本質やクオリティがむき出しになり、より多くの人に影響をもたらすこともある。

 そう思いながら筆者も今、PCを片手に北京で買った茶を淹れて飲んでいる。去年の値段であれば高くて敬遠したに違いない茶葉で淹れた茶を……。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、『シベリアのビートルズ──イルクーツクで暮らす』(2022年、亜紀書房刊)。訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。