フィクションのような現実
最近のイルクーツクで人々の生活にもっとも大きな影響をもたらし、また絶えず話題にも上ったのは、深刻な燃料不足だろう。ロシアの十大製油所のうち、イルクーツク州アンガルスクにある石油コンビナートを除く9つがドローン攻撃による影響を受け、一大産油国であるはずのロシアが燃料の輸入を迫られるほどの燃料不足に陥ってしまったのだ。
その結果、ガソリンや軽油の価格高騰が始まり、ガソリンスタンドに並ぶ車の列は50台以上であることも珍しくなくなった。筆者の友人には、ガソリンスタンドの列に並ぶのを避けたがゆえに自家用車がガス欠になり、車を道端に置いて家に帰った者もいる。それでもガソリンがあればまだいい方で、シベリアのとある主要な道路では一時期、すべてのガソリンスタンドでディーゼル以外の燃料は補給できなくなった。
その時期、車なしでは生活できないマイカー族たちは退勤後、水や食料を確保した上でガソリンスタンドに3時間~8時間ほど並んでガソリンを補給する必要があった。やがて行政側がガソリンスタンド周辺に簡易トイレを設置したり、許可もなく高値でガソリンを転売した者を取り締まったりするようになった。市の中心部でも自家用車の通行量は目に見えて減り、6月のガソリン不足が一番深刻だった時期は、公共バスやタクシー以外、車両をほとんど見かけない時間帯や場所もあったほどだ。そのがらんとした感じはどこかシュールで、筆者はふと、1990年代前半に北京を旅行した時の雰囲気を思い出した。
ガソリンは地産地消が原則のため、本来ならドローン攻撃を受けていないイルクーツク州の燃料が一番不足しないはずなのだが、実際はそうならず、むしろイルクーツクにおける事態の深刻さはロシア国内でも突出したものとなった。そこでイルクーツクの人々は、首都圏や前線に優先的に補給されたからだろうと囁き合った。
ガソリンを節約するため、政府機関や民間企業は職員に自転車での通勤を勧めた。市バスには燃料補給の際、専用レーンが設けられたが、普段は自家用車で通勤している人々がこぞって市バスを利用したため、ラッシュアワーはいつも以上に満員状態となった。
それでも都市部ならまだ対処はしやすいが、農村地帯は公共の交通手段もガソリンスタンドも少ない。都市から遠く離れた農村地帯からは、「とうとう人々が乗馬によって移動するようになった」とか「誕生日の祝いにガソリンをプレゼントしている」などという、半ばジョークのようなニュースが伝わってきた。農作業の自動化が進む中、農家は農作物の植え付けに必要な燃料についても早急な確保を迫られた。たとえ植え付けが順調に終わっても、今度は収穫に必要な燃料が確保できるか、ハラハラしなければならなかった。
7月中旬になるとさすがに対応が進み、緊迫感も緩んだが、それでも人々は万が一のことを思い、なるべく自動車での移動を避けた。緊急時や本当に必要な時のためにガソリンを節約しておかねば、という当たり前の心理からだった。ちなみに本稿を書いている8月半ば現在も、イルクーツクでは個人が一度に30リットル以上のガソリンを購入することはできない。
西シベリアでも状況は同じ
7月中旬、筆者は西シベリアのアルタイ地方とアルタイ共和国を旅行したが、アルタイでも状況は変わらないどころか、ガソリンの価格表示がないガソリンスタンドはさらに目立った。そして価格が表示されている場所では、しばしば行列ができていた。地元の人によれば、価格表示が消えていてもガソリンがないとは限らないが、訪れた時点でお店に問い合わせると、たいていはかなり高い値段が提示されるという。この値段で買えないなら、どうぞお引き取りください、というわけだ。
筆者は目的地までかなり長距離のバスでの移動を予定していたので、帰りのバスの切符が買えるかは、かなり不安だった。価格はともかく、バスが本数を減らしている可能性があったからだ。結果的にはガソリン不足への懸念によって観光客の数が例年より激減していたので、危うくはあったが、何とか帰りのバスの座席を確保できた。
ガソリン不足は明らかにそれまで主にウクライナにあった戦場がロシア国内まで食い込んできた結果だ。もとから顕著だった景気の悪化に燃料不足という打撃が加われば、当然人々の暮らしはぐっと苦しくなる。とくに広大な面積をもつシベリアでは、自家用車がないと身動きがまったくとれない人が多いため、人々の心中に蓄積された不満は大きく、最近は厭戦感や政権への不満の表明を恐れない人が場所を問わず増えている。それは西シベリアでも同じのようだった。
軍事都市では要注意
そもそも筆者が最初に訪れたアルタイ地方第二の都市、ビイスクはソ連時代から軍需産業で栄えてきた町だ。その後訪れた首府のバルナウルにもロシア屈指の兵器工場がある。もちろん筆者にそれらを訪れる計画はなかったが、バルナウルでは少しドキリとさせられる出来事があった。筆者がバルナウル長距離バスターミナルの入り口で記念にターミナルの建物の写真を撮っていると、入り口で何気なく座っていた私服の男から、「こんなものの写真を撮る外国人なんて、まるでスパイみたいだ」と言われたのだ。その口調が冗談を言っているのではなく、少し咎めるような口調だったので、筆者ははっとした。幸い、深く追及されることはなかったが、今思えば私服警官だったのかもしれない。シベリアにはアジア系の顔立ちの人は少なくないのに、一目で私を外国人だと見破ったのだから。私はロシアではソ連時代以来、長らく鉄道や航空関連の施設の大半が撮影禁止だったことを思い出し、「撮ってはいけないんですか?」と尋ねてみたが、返事はなかった。私はその時、「あなたにとっては見慣れた風景でも、遥々遠くから来た私にとっては二度と観られないかもしれない風景だから記念に撮影したのだ」と説明したかったのだが、話がややこしくなりそうで諦めた。そして、こういう町では記念写真も気をつけて撮らねば、と肝に銘じた。
その後、帰りの列車に乗っていた時、すれ違った貨物列車の貨物車両の数があまりに多いので、つい「何両あるのだろう?」という子供っぽい好奇心にかられて数えてしまったが、後から考えるとそれも誤解を生む行動だったかもしれない。貨物車には戦車や兵器が積まれていることもあるからだ。今のロシアでは、ただの旅行でも何かと気を遣わねばならない。
さまざまな人の移動
現在のシベリアにおいて、燃料不足以上に長期的な影響をもたらしているのは、人の移動だろう。ロシアではシベリアよりヨーロッパ・ロシア側の方が直接のドローン攻撃などの脅威は増しているにも関わらず、ここ数カ月の間に、モスクワやペテルブルグをはじめとする西側の都市に居を移した友人・知人は少なくない。もちろん皆が皆、行ったきりになるわけではなく、クリミアに引っ越したものの、「とても暮らせない」と言って帰って来た友人もいるが、たいていは行ったまま帰ってこない。
移住の理由のほとんどは求職や子供の進学などだ。若い世代ならともかく、40代以上でも新しい職を求めてモスクワやペテルブルグへ出ていく人が絶えない。経営の統合や廃業によって職場がなくなったり、元々携わっていた仕事がうまく行かなくなったりして転職を迫られたものの、イルクーツクでは新しい就職先が見つからなかったというケースがほとんどだ。
もう一つの移住の流れは、戦争が続くロシアに嫌気が差した人々の、抗議の意味を込めての移住だ。周知の通り、ウクライナ侵攻が始まったばかりの頃や動員令が出た頃、同様の意味や兵役拒否の意思から多くの人が国外へ出た。その頃に比べればずっと目立たない数だが、今も国を出たいという願望を持っている人が多いことは、シベリアに住んでいるとひしひしと感じる。筆者の周りにも、にわかに外国語の勉強を始めたり、筆者に「日本に住むにはどうしたらいいか」などといった話題を振ってくる知人らがいるし、ネット上にも海外移住に関する情報が溢れている。
理由は反戦や徴兵忌避だけに止まらない。実際問題として、IT関係や広報、サービス関係の仕事などをしている人々にとって、今のロシアはとても仕事がしづらい国なのだ。まず、経済制裁によって国際送金やクレジットカードでの支払いができないから、課金が必要な海外のソフトは一切使えなくなっている。しかもロシアでは今年に入って、インターネットの規制がこれまでになく強化された。とくにテレグラムやインスタグラムなどの主要SNS、およびYouTubeなどが使いづらくなったことは大きな影響をもたらしている。首都圏周辺やクラスノダールなどではネット自体が使えなくなった時もあった。その結果、雇い主や上司にネットの自由に使える国に出てリモートワークをするよう促された人も少なくないと聞く。それに燃料危機や収まることのないドローン攻撃が追い打ちをかけ、ふたたび出国熱を生んでいるのだ。
近づく戦場との距離
ふたたび旅の話に戻ると、アルタイ地方のビイスクから南へ長距離バスで移動していた時のこと。バスがやがてアルタイ共和国に入ると、出会った人々との会話から、この地方から多くの若者が戦場に行っていることが伝わってきた。そもそも、第二次世界大戦時の独ソ戦でも、アルタイからは多くの者が従軍し、戦死している。バスがとある小さな食堂の脇で休憩をとっていた時、同じバスに乗っていた男から聞いた話では、彼の故郷はカザフスタンだが、彼の知る限り、カザフスタン人の半分はウクライナ側、もう半分はロシア側についているという。傭兵になる若者も少なくなく、彼の息子も一人はロシア軍、もう一人はウクライナ軍の傭兵になっているそうだ。もし本当なら、まさに家庭内に戦争が持ち込まれていることになる。その男自身もジョージア侵攻の時、ロシア側について戦った経験があるということだった。それを聞いた私は、ウクライナの戦場が独特の近さで感じられるようになった。当然ながら、イルクーツクでウクライナ側の傭兵になった人々について耳にすることは稀だからだ。
ふと見上げると、道端にこんな主旨の警告が書かれた看板があった。
「注意 カザフスタンへの通行はできません」
そうなのだ。この道の先にはカザフスタンとの国境となっているアルタイ山脈がある。その最高峰である美しいベルーハ山の向こうの世界に行きたい、といった思いは、とりわけ動員令が出た直後、多くの徴兵忌避者たちの心を捉えた。実際にも多くの若者が国境を越えるためにこの地に押し寄せてきたという。たとえ国外での生活は決して楽でなかったとしても。だがその後、国境は厳しく閉ざされ、カザフスタン側でも受け入れを拒むようになった。
もう一つの人の流れ
そもそも戦争を続ける祖国への反感から国を出るという流れは今のシベリアでは止めようがない。生活を良くするためにモスクワなどへ流れる人の流れも同様だ。しかしアルタイ地方やアルタイ共和国を旅してみると、もう一つ別の種類の、予想外の人の流れがあるのに気づかされた。地元の人から、ここ2年ほどでアルタイへの移住者が急激に増えていると聞いたのだ。
国境を越えるつもりはなくとも、最近はマンモス都市の喧騒から離れ、自然が豊かで物価も安いアルタイで、より質の高い生活を満喫したいと願う人々が増えているらしい。とくにモスクワやサンクトペテルブルグ、およびノボシビルスクからの移住者が記録的な数で増えているという。最初は、軍需工場のフル稼働によって雇用が増えたからだろうか、と推測したが、都市部から遠く離れた国境に近いエリアを訪れた時も、地元の人は小さな家が並ぶ辺りを指して、「あれらは皆、ここ2年ほどの間に移住者たちが購入したものだ」と語った。
大型のショッピングモールがある都市部と比べ、都市部からバスで10時間前後移動せねばたどり着けないその地域では、自然の恵みが豊かだという以外の生活条件は決して良いとは言えない。特産物もチーズや蜂蜜ぐらいだ。たとえ新たに建った住居の多くが休暇用のセカンドハウスだったとしても、それなりの準備や覚悟をしなければ長くは住めないだろう。その時、ふと「ここはいざという時の避難場所、または俗世を逃れて隠遁生活を送るための場所では?」という思いが私の頭に浮かんだ。
戦争がもたらした変化
辺境近くへの移住の目的はともかく、都市部であれば、アルタイ地方やアルタイ共和国は確かに暮らしやすそうだった。アルタイ地方の行政機関があるバルナウルでさえ、アパートはモスクワの3分の1以下の値段で借りられるし、土地も安い。モスクワにマイホームを持つ人なら、自宅を売るだけで、そのままローンを組まずに移住できるだろう。今は仕事の多くもリモートでできるし、いざとなれば飛行機での移動も便利だ。バルナウルの空港からはモスクワ、サンクトペテルブルクをはじめとする30都市に直行便が飛んでいるのだから。医療へのアクセスもモスクワよりスムーズで、治療費も比較的安く済むという。リゾート地のレベルも高く、ウラル山脈以東で唯一の連邦保養地であるベロクリハは、ここ数年、インフラに多額の投資を行ってきた。
バルナウルやビイスクなどを歩いていると、町のインフラも全体的に東シベリアの町と比べて良く整備されているのが実感された。最初はやはり西シベリアは首都圏から比較的近く、軍需産業があるために景気もいいからかと思ったが、移住者の増加も影響しているのかもしれない。
海外移住より気楽で手軽な国内移住の流れは今後も続くことだろうが、実際のところは、アルタイへの移住を凌ぐ勢いでモスクワ・ペテルブルグへの移住者の方が増えている。つまり今後、たとえかなり戦況が悪化したとしても、首都への人口集中は続き、地方の景気が大きく好転しない限り、モスクワは肥大化し続けるに違いない。そしてアルタイのような幸運に恵まれなかった地方はどんどんと荒れていく。
筆者は不景気や燃料不足に悩むイルクーツクの現状を思い浮かべ、しみじみと感じた。ある町では人が消え、車も消える。ある町では人が増え、整備が進む。人々が馬で移動し始める村もあれば、モスクワからの移住者が不動産を買いあさる村もある。そして至る所のガソリンスタンドに長々とした車の列。戦争は直接爆撃をしなくても、一つ一つの町や村の状況をかくもダイナミックに変え得るのだ、と。







































