かつては華やかだった「町の日」
欧米の文化圏全体で言えることなのかもしれないが、ロシアの人々も誕生日を祝うのが大好きだ。自分自身や家族の誕生日はもちろん、同僚や友人、友人の家族、さらには自分とは直接のつながりがない有名人の誕生日を祝うことも好きだし、自分が住んでいる町の誕生日も祝う。もちろん町の誕生日、つまり市制開始日は個人で祝うというより町全体で祝うから、けっこう大きなイベントだ。
そんな中、今年の6月上旬、イルクーツクは市制開始365周年を迎えた。そこで、今回はこの「町の日」の名で人々に親しまれているイルクーツクの市制開始記念日の様子についてご紹介したい。
6月の上旬といえば、イルクーツクは一番過ごしやすい季節で、しかも夜9時過ぎまで空が明るい。長い夏休みを控え、子供たちも浮足立っているし、大人たちもバカンスの計画に胸を膨らませていたりする。そんな時期にイルクーツクの「町の日」は祝われる。
初夏の新緑の中を賑やかに進むユーモア精神に満ちたパレード。私がイルクーツクで初めて迎えた「町の日」でもっとも印象に残った一幕だ。次々と現れるパレードの参加者たちは、サークルや職場や学校などの団体ごとにテーマを決め、次々と練り歩きながら街を華やぎで満たしていた。アイスクリームを製造する企業の社員たちがみなペンギンの格好をしていたり、ピオネールがソ連時代と同じ、お決まりの格好をしていたり、コスプレファンたちがアニメのキャラクターになりきっていたり。しかも練り歩く者たちは、外見だけでなく、移動の仕方や動作にもこだわっていた。チアリーディングをしたり、打楽器を演奏したりといった定番だけでなく、新体操をしたり、サッカーボールを蹴ったり、一輪車に乗ったり、トラックの荷台で格闘技をしたり、犬や馬と連れ立ったりしながら移動していたのだ。
そこでは観る者も練り歩く者も皆、心から楽しみながら「町の日」を祝っていた。それは普段見られない、イルクーツクの人々や社会の一面が見られる、貴重な催しだった。
その時、私は「町の日」が人々にとっていかに重要な日かということが、心に深く刻まれた。
しかしそれも今は昔。コロナ禍の頃はもちろん、ウクライナ侵攻が始まって以降も、「町の日」のイベントはキャンセルや縮小を繰り返し、訪れる人や露店の数も目に見えて減っていった。
酔いも吹っ飛ぶテロ対策
そんな状況ではあったが、今年は365周年、つまり5年ごとの節目の年だ。8年前ほどの華やかさはないまでも、そこそこの賑わいはあるだろう。そう思って記念日当日、イベントが開かれている会場に出かけた私は、会場のあちこちで見かける制服姿を見て冷や水を浴びせられた気分になった。制服を着た警官や軍服を着た武装警察らが頻繁に、しかもたいていは2、3人で組になって歩き回っている。迷彩服も目立ち、これまで中国を含むどんな国のどんなシチュエーションでも見たことがないほど厳しい警戒態勢が敷かれているのが分かった。市制記念日は軍事関係の祝日ではないのだから、どう考えても異様だ。
しかもイベント会場は緑地や歩行者天国化された道路を含み、かなり広大であるのにも関わらず、建造物のない部分はすべて柵で囲まれていて、その中に入る時は持ち物チェックがあった。これ自体は数年前から行われている措置だが、今回はまるで空港の所持品検査に使われるようなゲートが露天で道路をふさぐようにそそり立っていた。急に雨が降ったりしても壊れないのだろうか? それとも防水措置がしてあるのか? とおせっかいな疑問が浮かぶ。しかも、ゲートの外にはデモ対策か火の手が上がった時の対策か、大きなタンク車が停まっていて、威圧感たっぷりだ。これではとても心からリラックスなどできない。
疑問は募るばかりだった。何を恐れているのだろう? 半月前にモスクワで起きたようなドローン攻撃? いや、そんなものは地上をいくら警備しても防げない。やはり地上で起きることを恐れているに違いない。
ロシアでは数年前まで、イベントと言えばアルコールだった。いかに当局がアルコール類の販売や飲酒を禁じようと、イベントの日にはあちこちに酔っ払いがいるのが当たり前。ミネラルウォーターのペットボトルにウォッカを入れたり、水筒に入れてお茶に見せかけたりと、酒飲みたちはさまざまな努力をしては、「禁止区域」にアルコールを持ち込んでいた。しかしその常識は、一昨年あたりから覆り始めた。イベント会場やその周辺での飲酒制限があまりに厳しく徹底されるようになったからだ。今年に至っては、この警戒態勢である。今回、アルコールの店頭販売が禁止されたのはイベント会場とその周囲100メートル以内だけだが、これではとても飲むどころではないし、たとえ飲んでも酔えそうにない。実際、少なくともイベント会場では、目に見える酔っ払いには一度も出会わなかった。そのことはある意味、今回の「町の日」について、まったくロシアの祝日らしからぬ印象を残した。これでお祭り気分になれという方が無理な話だった。
民俗文化を学ぶ場として
イルクーツクだけではないかもしれないが、「町の日」のイベントではいつも市が立ち、ずらりと並ぶ露店に手作りの品があれこれ並ぶ。地元の手芸や料理の名人たちが作ったぬいぐるみやお菓子や民芸品を眺めるのは楽しいし、いずれも世界に二つとない、オリジナルな品ばかりだ。
とくに貴重なのは、地元の民族文化を反映した品々が並ぶことだ。例えばイルクーツクに住む主要な少数民族であるブリヤート族の人々が作ったアクセサリーやお守りなどの中には、普段なかなか見られないものが多く、店頭でそれらをめぐる蘊蓄などを聴くのも面白い。
今回の露店市でも、露店の数そのものは普段より少なめだったにも関わらず、ブリヤート文化を始めとする少数民族関係のブースがいくつも見られた。ロシア語でユルトと呼ばれるモンゴル風のゲルまで並び、ブリヤート人やその他の少数民族の衣装を着た人々も数多く見かけた。それはスラブ風の民族衣装を着た人々を上回る数だった。もちろん、彼らはシベリアの原住民なのだから、存在感があるのは当然だし、日本でも縁日などに着物や浴衣を着るのと似ているのかもしれない。だが例年と比べると、明らかに意図的に着用が奨励されているようだった。
ちなみに、筆者の期待に反し、書籍を売る露店はほとんどなく、見かけたのはベラルーシ語の自費出版の本を売るブースと、シベリアのポーランド文化を紹介した本を多く扱うブースの2つだけだった。
ポーランド関係があった理由に政治的背景を想像するのは考えすぎかもしれないが、今回の侵攻でブリヤート族とは別の意味でのしわ寄せが行ったのが、ポーランド系住民だったことは間違いない。
かつてロシア帝国がポーランドの反乱を弾圧した際、政治犯を多数、イルクーツクに送り込んで以来、イルクーツクには今もポーランド系の住民が多数住んでいる。彼らの中には、ポーランドを頻繁に訪れる人も多い。そのため、ウクライナ侵攻によってロシアとポーランドの関係が悪化するまで、町の中心部にはポーランド領事館があった。ポーランド領事館の閉鎖は、イルクーツクではちょっとしたニュースになり、ロシアが国際的に孤立しつつあることを人々に印象付けた。だが、関係こそ悪化しても、イルクーツクにはポーランド系の住民がまだ数多く住んでいるはずだ。国としてのポーランドはともかく、イルクーツクのポーランド系住民や彼らの文化は尊重する。筆者には、ブースの存在がそう伝えているように見えた。
そういった「文化の称揚による不満抑制」の構図は、実演ブースが並ぶエリアに入った時、いっそう強く感じられた。
実演ブースの増加
今回のイベントでもっとも新鮮に感じられたのは、ブリヤート文化に関わる実演やワークショップのブースが見られたことだ。特に興味深かったのが、ブリヤート語の書道の実演だ。近寄ってみると、スラスラと描かれていく文字はモンゴル語の書道と同じく縦書きで、中央に一本芯があるかのように真っ直ぐだった。ブリヤート語をモンゴル語の方言の一種だとする説もあるくらいだから、書道が似通っていても不思議はないが、ブリヤート語の書道はそれまで存在すら知らなかっただけに、実際に書く様子を見られたことはとても貴重だった。
その近くには、羊のくるぶしの骨を使った「シャガイ」の遊び方を教えているコーナーもあった。「シャガイ」は伝統的なゲームや占いに用いられるという。中央アジア全域に普及している文化だが、とくにモンゴルで盛んらしい。おもに子供向けの普及活動だったこともあり、子供たちは家族に囲まれながら興味深げに遊び方を学んでいた。
実際には、イルクーツクで普通に暮らしている限り、彼らのこういった文化に触れる機会はほとんどない。街中ではブリヤート語を聞く機会も減る一方だ。そんな中、このようにわざわざ彼らの文化を紹介するコーナーを設けているのは、今回の軍事侵攻にブリヤート族を始めとする多くの少数民族が参加していることを意識しているのかもしれなかった。イルクーツクでは彼らの功績は忘れられていないし、彼らの文化も尊重されている、とアピールしたいのだ。
さらに先に進むと、少しぎょっとするシーンに出くわした。機関銃への弾の装填の仕方を実演するコーナーがあったのだ。教える側も真剣なら、学んでいる側も真剣だ。ブリヤート族らしい子供が、手こずりながらも何とかして弾を込めようとする様子に、「この子の家族や親戚も戦争に行っているのだろうか?」とふと思わずにいられなかった。
ちなみに、厭戦ムードが強まっている最近のロシアでは公式、非公式を含む様々な場で侵攻や現政権を批判する声が強まっている。会場にも、戦地の様子を伝えるプレートが多数並ぶ一角があったが、読んでいる人は見かけず、閑散としていた。
とはいえ、貧しい農村に住む人々にとって、兵士になることはまだまだ「大金を稼ぎながら、国の英雄になれる」数少ない手段だ。ロシアには、しつけ不足で世間知らずの若者について、「軍隊に行けば治る」と考える人が多い。義務の兵役につくことを、大人になるためのイニシエーションのように捉える傾向もある。実際、軍隊に入れば規律を守ることを学べ、掃除洗濯などの基本的な生活の技も身につけられるからだ。この点は中国も同じで、ロシアや中国の男性に、掃除、洗濯、料理といった家事をすることに抵抗感が低い人が多いのは、軍隊経験が影響していると考えてよい。ある日、料理が上手な男性の家庭に食事に招かれた時、男性は自分が料理の得意な理由を「軍隊でまかない係だったからだ」と説明していた。その家庭では、日常生活でも料理は夫であるその男性が担当することが多いという。
だがもちろん、今のロシアでは、軍隊経験の意義はそのような「家事のトレーニング」レベルにはとどまらない。銃弾を込める体験が意味するのも、もっと残酷でシビアな現実だ。
ふと見ると、やっと弾を込め終わった子供が、ほっとしたような笑みを浮かべていた。
「この子が戦争などに行かずに済みますように」
私はそう心から願いながら、その場を離れた。

















































