シベリア・イルクーツク生活日記

第17回

地方選挙をめぐる所感

買収まみれの選挙

 日本も選挙の季節を過ぎたばかりだが、イルクーツクでも今年の9月、地方一斉選挙が行われた。今回、イルクーツクで選ばれたのは、イルクーツク市の議会議員だった。
 選挙が近づいたある日、友人のこんな言葉に驚かされた。
 「僕は政治家になるつもりだ。だから次の選挙で立候補するよ」
 彼が属しているのは、いわゆる野党だ。数年前までイルクーツクで比較的支持者が多かった党とはいえ、現政権から煙たがられていることは明らかで、きっと選出への道のりはいばらの道だろうと思わざるを得なかった。だが、ソ連時代の著名な政治家の親戚で、ロシアの各地やヨーロッパ各国、日本などを旅行したことがある彼は、イルクーツクの道路や街並みなどの整備が遅れていることに耐えられない、と言う。イルクーツクをもっと美しい町にしたいという彼の情熱には共感を覚えたが、彼が立候補するエリアは筆者の住む地区とは違う上、私にはまだ選挙権がない。そのため彼の奮闘については、遠くから見守るしかなかった。

自宅近くの学校の建物を利用した投票所自宅近くの学校の建物を利用した投票所

 彼がその次に我が家を訪れた時、私はふたたび驚かされた。彼がこんな愚痴をこぼしたからだ。
 「対立する候補は、自分を選んでくれる投票者に2000ルーブルを配っている。俺にそんな金はない。払えてもせいぜい1000ルーブルだ」
 金で票を買うなど、日本の感覚だと明らかに違法行為だが、彼はそれをあっけらかんと語るのだった。
 投票日が近づいた頃、彼の語っていた状況が、彼の選挙区だけで起きていたわけではないことが明らかになった。筆者の住む地区でも、「××に投票すれば2000ルーブルが支払われる。どうだ?」と勧めてくる人物が現れたのだ。
 2000ルーブルといえば、今のレートでは、日本円にすると3000円程度。良識のある富裕層なら見向きもしないが、低い月収に甘んじているシベリアの大多数の人々にとっては、ちょっとした贅沢ができる金額だ。実際、多くの人がその後、2000ルーブルを受け取り、指示通りの投票をしたと聞いた。ちなみに立候補した友人は、買収行為をしなかったことが影響したのか、今回は落選したが、得票率は2位だったという。

筆者の住む地区で当選した統一ロシアの候補の選挙ポスター筆者の住む地区で当選した統一ロシアの候補の選挙ポスター

 その直後、日本でも公約で金銭の支給を約束するバラマキ選挙が話題になった。金銭を支払う約束を有権者の鼻先にぶら下げて票を得ているのは同じなので、「先に金をもらうか、後で金をもらうかの違い」だと考えることもできる。その後、私は両者の類似点と差について、考え込んでしまった。
 もちろん、一見すれば、選挙前に金をこっそり支払う方が、違法性や公平性の欠如、その後に広まる悪影響の面では深刻であるように見える。だが両者の差は、前か後か、違法か違法でないか、というだけではない。有権者に支払われるのが、候補者のポケットマネーか、税金かという差もある。となると、バラマキ合戦も、十分に警戒すべきであることは間違いない。

 選挙活動中に有権者を買収する行為は、公式にはロシアでも禁止されている。それが今回、投票権を持たない筆者の身の回りだけで2件も確認されたことは、それだけでかなり残念なことだ。その後、さらに絶望を覚えたのは、ロシアのメディアで「中央選挙委員会」の報告を目にした時だった。その報告によれば今回の地方一斉選挙で、選挙をめぐる規則違反の報告は28地域から寄せられたものの、確認された事実は「1件だけ」だったという。
 しかも、9月5日以降、ロシア中央選挙管理委員会のサイトに、20万回以上の「攻撃」が行われ、そのうち1%は「最も危険で深刻な結果をもたらす攻撃」だったそうだ。かりに1%でも深刻なものであれば、選挙の活動や結果に影響が及びかねないはずだが、その詳細については不明なままだ。つまり、選挙の公正さをめぐる何もかもが不透明、不明瞭なのだった。

毒を以て毒を制す

 この隠れ買収キャンペーンで筆者が感じたのは、それがかなり「日常化」しているらしい、という現実、そして、庶民の「毒を以て毒を制す」という感覚だった。「選挙なんて、結局はどうせ与党が選ばれるんだから、対立する野党の候補が金銭で票を買っていても、見逃そう」、または「与党以外に票が入るなら、手段を選ぶ必要はない」という感覚だ。もちろん、結局のところは、結果が見えている選挙であり、どんな抵抗も結果を変えることはできなかったのだが。

 この諦観に満ちた情況は、かつて投票がお祭り騒ぎだったという話を聞いていた筆者には、大きなギャップを感じるものだった。
 ソ連が崩壊し、新生ロシアが民主的な選挙制度を導入した頃、人々は投票できることに熱狂し、投票日は近所の人同士が会えば祝いあい、時には酒盛りさえ始まりかねない、特別な日だったという。
 だが実際に今回、投票日に地域の投票場所となった学校を訪ねてみると、その閑散とした様子が印象的だった。投票場所の雰囲気や秩序などは日本と変わらなかったものの、投票者の人影はほとんどなく、会場は寒々としていた。
 今回の選挙では一部の地域で電子投票が導入されたが、イルクーツク州ではまだ導入されていない。その後筆者は、今回の選挙でシベリアの投票率がロシア全体で最低レベルだったといううわさを聞いた。

 ちなみに、ロシアの選挙の投票率というのは、筆者にとって少し謎めいている。先回の大統領選挙の時、在日ロシア人があまり投票に来ていないので、ロシア大使館が投票が可能な人々に投票を呼びかけているという情報があった。だが選挙が終わった後のロシアでの報道を見ると、日本在住者を含めた在外ロシア人の投票率はとても高かったというのだ。どこで何が変わってそうなったのかは、分からない。

政権に養われた人々

 これまで、私の周囲において、現政権を支持している人の割合が特別に多いと感じたことはない。そのため筆者はずっと、なぜつねに圧倒的に高い得票率で現政権が選出されるのか、不思議でならなかった。
 だが、最近一部の知人から、国家から年金や補助金など、金銭的な援助を受けていることを理由に、現政権を支持するという意見を何度か聞き、考え込んだ。確かに、政権は民意にできるだけ反さないよう、努力はしているように見えるし、公共のイベントなどで大統領府の資金援助があることが明記される例も増えている。
 そして何より、マスメディアなどが、我々は正義の側にいる、もっとも民主的な国だというイメージを植え付けることに熱心で、そういった印象の操作はある程度成功しているようにも見える。
 その主張の中にはこんなものが含まれる。
 我が国ではアメリカのようにネイティブを抑圧しなかったし、黒人差別のような人種差別も起きなかった。第二次世界大戦では多大な犠牲を出しながらナチスと戦い、ヨーロッパを救った。アフリカやアジアのあちこちに植民地を作って現地の住民からさまざまな搾取をしたりもしていない。
 そういった、深く討論するとあちこちで破綻するが、表面的にはその通りに見えなくもないといった事象を表に出し、自己弁護をする。スターリン時代に少数民族が強いられた情況や、真珠湾攻撃以外の太平洋戦争の情況について、詳しく知らぬ人が多いロシアでは、そういった論がまかり通ってしまうのだ。
 そのようにして自国の欠点を批判しない習慣を植え付けられて育った世代は、現在の秩序を維持している現政権以外に選択肢はないという考えになりがちだ。他の国の社会制度や、自らの国で税金がどれだけ徴収され、どのように使われているかといった問題にも関心が薄い人が多く、現在受け取っている物質的な援助が十分であれば、それは我らが為政者のおかげであり、批判などすべきでない、という単純な結論になってしまう。年金制度の改革がロシアで最も重要な課題となってしまうのも、それが政府から配られる金銭的援助の中で、一番直接的、全面的、かつ継続的なものだからだろう。
 経済的な問題を解決することで、独裁的な制度の維持に正当性を求めている点や、政権を批判する行為が、「反ロシア」、「愛国的でない」とされてしまう現在のロシアの情況は、中国のそれとよく似ている。こちらでは、「国を愛すればこそ、政権を批判する人もいる」ということを、いくら説明しても理解できない人とよく出会う。彼らにとっては、反プーチンであることは、反ロシアとなってしまうので、政権批判のタブー度はとても高い。

出国による意思表示

 中国との類似点は他にもある。ロシアの現状に不満を持つ人々が選挙やデモといった民主的な意思表示に見切りをつけ、有名無名に関わらず、次々と国を出てしまっているという現象だ。堂々と行うことのできる、唯一強烈な意思表示が「国を出ること」だというのは悲しい話だが、有名な芸能人たちを中心に、誰それが国外へ出たというニュースがロシアでは近年、かなり大きく取り上げられるようになった。もちろん、有名人が国外に出ても、すぐに反逆者扱いされるわけではなく、ウクライナに支援をしたとか、政権を批判したとかいった反逆的行為のレベルによって対応が異なり、国内での公演禁止や財産没収から、指名手配まで、さまざまなレベルの処分を受けている。
 彼らがどんな状況にあるかについては、国内外のロシア語のメディアでしばしば熱心に報道されているが、反逆者扱いされた者は、少なくともロシア国内のメディアにおいてはほとんど反論の機会を与えられず、言われるがままである。

中央市場に掲げられた、「ロシアの英雄」を称えるポスター中央市場に掲げられた、「ロシアの英雄」を称えるポスター

 だがそもそも、ロシア国籍の人々にとって現在、国外脱出の選択肢はそこまで多くはない。これまでユダヤ系の人にとっては、イスラエル経由での出国が手軽だったが、ロシアのウクライナ侵攻が始まってすぐ、ロシアの政治に見切りをつけてイスラエルに亡命したある知人は、今度はイスラエルが戦争を始めたことで当惑し、現在は第三国への脱出を考えているという。この他にもグルジアやベラルーシに移った知人がいるが、いずれも異なった意味で複雑な政治状況にあり、ロシアの情況から逃れて来た者がずっと安住できるのかどうかについては、疑問が残る。こういった、旧ソ連の衛星国に逃れた場合の唯一の長所は、何か必要が生じた時、わりと簡単にロシアに帰国できるということだ。
 幸い、日本は最近、ロシア国籍の者にとって、比較的ビザの取得しやすい国となっているようだが、移動のための交通については、手段が限られており、航空券の値段も跳ね上がっている。

IT空間のもつ可能性

 一方、選挙やデモとは違い、テーマこそ限られるが、一般の人々がもっとソフトに意思表示ができる手段もなくはない。政府から送られるアンケートに答えたり、政府系メディアの報道にコメントを残す行為だ。
 一般の人々が行政に直接関わるという点において、もっとも民主的で公開度も高い状態で行われているのは、町の美化などをめぐり、政府のポータルサイトがメールなどを通じて呼びかけてくるケースだろう。何をすればよいか、市民一人一人から直接意見を募り、その一部を実現している。実施された結果も、どこそこの公園を整備したとか、どこに紀念碑を建てたなどといった形で、ちゃんと報告される。さすがにウクライナ侵攻が長引いた現在は、あまり機能していないように見えるが、数年前はこのシステムによって、イルクーツク市内の公園に、チェーホフの像が建てられた。
このシステムの限界は、対象が電子メールを利用する人に限られることだ。PCやスマホを利用しない人は、その存在すら知らぬまま過ごすことだろう。だが、一般の市民の意見が反映され、町の景観を変えていくという経験は、うまく共有されさえすれば、民主的な社会を作っていく過程で、人々に重要な手ごたえを与えるに違いない。
 大きな政治的問題はなかなか動かせなくても、今後、こういったタイプの動きが復活、増加し、議員に立候補した友人の志のように、イルクーツクが本当の意味で市民にとって住みよい街になることを願ってやまない。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、『シベリアのビートルズ──イルクーツクで暮らす』(2022年、亜紀書房刊)。訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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