シベリア・イルクーツク生活日記

第16回

住民の目から見たロシアの医療

遅れて来た救急車

ロシアの救急車ロシアの救急車

 先日、夫が足を骨折した。けっこう複雑な骨折で、結果的に夫は外科病院の重傷患者用の病棟で2週間を過ごすことになったが、彼に付き添った体験は、ロシアの地方都市の医療について知る良い機会となった。
 骨折が起きたのは路上だった。そこで筆者は、安全なところに移動してから救急車を呼んだ。救急隊員はあれこれ質問し、私たちの居る場所と怪我のだいたいの状況を把握したうえで、車を発車させたようだった。到着まで30分以上かかり、しかもサイレンが鳴っていなかったため、私たちは指定した中庭のベンチに座っていたにも関わらず、救急車が来たのに気づかず、乗り損ないそうになった。
 のんびりした救急活動になった理由が、怪我の状況を軽いものと判断されたからである可能性はぬぐえない。30分以上かかるのであれば、タクシーを呼んだ方が、病院には早く着けたはずだ。だが、公立病院の外来が混んでいる可能性を考えれば、到着次第、応急処置をしてくれる救急車の方が安心ではあった。
 その後、救急隊員たちに処置をしてもらいながら、夫は彼らから「6月から給料をもらっていない。ウクライナの戦線に予算が回っているせいだ」と言われたという。となると、彼らは現在、先が見えぬまま働いてくれているわけで、彼らがかりに緊急性が高くないと判断したがゆえに多少遅れようと、きちんと駆けつけてくれただけで、大いに感謝すべきなのだった。

 そもそも医療従事者の賃金の低さについては、以前から問題になっていた。数年前、イルクーツクのニュース番組で、ある病院の医療従事者たちが、あまりの給料の低さに抗議の声を上げたところ、全員解雇されてしまった、というニュースが流れたことがある。ひどい話だと思って画面を見ると、それは筆者の当時通っていた病院での話で、画面の中で抗議活動をしていた医師たちには、筆者が当時診察を受けていた医師も含まれていた。

イルクーツクの街中に残るレーニン像。その手の先には抗議活動のあった病院がイルクーツクの街中に残るレーニン像。その手の先には抗議活動のあった病院が

 この事件が起きた時期と近い、2019年末のタス通信の報道によれば、ロシアの医者の平均給与は7万9000ルーブルで、日本円にするとおよそ13万5000円弱であり、しかもかなりの地域差や、担当の部署による格差があったという。是正への動きが始まったところで、今回のウクライナ侵攻が起き、先述のような給与未払いの情況も生じてしまったらしい。
 だが、現在のロシアで医者の社会的地位が低いかというと、決してそうではない。週刊新聞『イルクーツク』に掲載されていた2024年のアンケート結果によると、医者は最も権威のある職業とみなされ、子供を持つ親の32%が子供に医者になることを望んでいるという。これは第2位のITエンジニアより12%も多く、ダントツのトップだ。
 もっとも、実際に進学先を選ぶ側はもう少し現実的で、同アンケートによると、大学進学を控えた学生に最も人気の高い専門分野はIT関係で31%を占め、第2位の医学の30%を若干上回っている。
 ロシアでは医療分野と並び、教育分野にも公費が大量に投入されており、100万人を超える大学志願者のうち、60万人以上が国費での入学を許可されている。つまり、大学で医学を学ぶ学生も、その多くは国費で学んでいることになる。

秩序は患者が自ら作る

イルクーツクの国立病院の建物には、伝統建築が多いイルクーツクの国立病院の建物には、伝統建築が多い

 ふたたび我が家の話題に戻ると、病院に着いてからも、緊張を強いられる時間は続いた。
 ロシアでは、役所にせよ、病院にせよ、待機者たちによって生じる行列の秩序は待機者たち自身が管理することが多い。そのため診察室の外にできる行列の秩序も、病院側ではなく患者たち自身の管理によって維持される。新たに列に並ぶ者は、みなに「誰が最後ですか? 」と尋ね、その「最後の人」が診察室に入ったら、次は自分の番だという目安にする。夫が運ばれたのは外科専門の病院で、救急外来は設けられておらず、すべての診察や検査や処置は列に並んで行われていた。それは救急車で運ばれた者であっても、よほど緊急の事態でない限り、同じだった。
 ロシア全体では分からないが、少なくともイルクーツクの公立病院の外来は、いつも混んでいる。しかも診察は一人一人、個室で行われるとは限らない。中国と同じで、個人経営のクリニックが少なく、ほとんどの患者が公立の大型病院に押し寄せるロシアでは、大人数の患者の診察をなるべくスピーディにこなすため、同じ部屋に2人以上の医師がいることが多い。それぞれの医師ごとに、受診中だけでなく待機中の患者もいたりするため、日本の診療室と比べると、かなりごちゃごちゃとした印象を与える。だがそんなにプライバシーに欠ける状態でも、肝心の診察や処置の時は、患者以外の家族は廊下で待つように指示される。筆者自身も体験したように、せっかく患者に付き添っても、診断結果の詳細は患者本人しか聞けず、家族は患者から間接的に聞くことしかできない。

国民皆保険のもとで

 その後続いた状況も、外国人の筆者にとっては、結構ハードルの高いものだった。まず「保険に加入していないと費用が高額になる」と説明されたので、期限切れになっていた夫の医療保険を更新する必要に迫られた。そこで保険会社のオフィスに電話すると、本人以外が更新する場合は委任状が必要だということなので、スマートフォンに委任状のフォーマットをダウンロードし、こちらで「コピーセンター」と呼ばれている、プリントアウトのサービスがある店に駆け込んで紙に印刷してもらい。再び大急ぎで病院に戻ると、痛みでうめいている夫をなだめながら、委任状にサインをしてもらった。
 その直後に夫は入院病棟に運ばれたので、まさにギリギリで間に合ったことになる。翌日、その委任状を手に、強制医療保険のオフィスで保険の有効期間を更新し、病院に届けた。それまでは一年ごとの更新が必要だったが、今回の延長によってロシア国民である夫の保険の有効期限は無期限延長となり、もう二度と延長は必要ないという。ちなみに同種の保険は、安定した滞在資格さえあれば、外国人も加入できるが、ビザが切れると更新が必要だ。

 ちなみに夫はその後、2週間ほど入院し、その間に3時間近くに及ぶ手術を受けることになった。手術の前後も、患部の手当てを始め、痛み止めやビタミン剤をはじめとする、さまざまな薬を投与されたが、この保険があったお陰で、入院費も食事代も治療代もまったく請求されず、自ら代金を支払う必要があるのは、退院後も必要な松葉づえや着脱可能なギブスなどだけだった。
 このロシアの強制医療保険は日本のように毎月保険料を納める必要はないため、自宅や個人に加入を催促する通知が届くことはない。そのため、その必要性はいざという時しか思い出されないのだが、これにきちんと加入しておけば、上述のように、基本的な医療サービスをすべて無料で受けることができる。そのことは、筆者も予備知識として知っていたのだが、実際に体験してみると、やはり驚きであった。なぜなら、同じく予備知識として、ロシアのこの制度はかなり維持が難しくなっていると聞いており、その実際の情況について半信半疑だったからだ。
 もちろん、ソ連由来のこの制度は、患者の治療方法や入院環境のレベルについても、ソ連時代の遺風を強く残しており、日本の医療に慣れた目から見ると、かなりのギャップも感じる。また、完全に適用されるのは公立病院だけで、私立の病院では、医療費の支払いが生じる。だが、費用の差は医療水準の差も反映しているため、富裕層の中には、「医療水準への不安」を理由に国立病院を避け、治療費が高額になるのを覚悟で私立病院を選ぶ人も多い。
 だが、治療が必要な者の中には、時に路上で倒れていた身元不明の重症患者などもいる。そういった人々に医療を施す際、身分さえ証明できれば、保険加入によって最終的には治療費が無料になるという制度は、やはり便利に違いない。病院側としても、安心して治療を施しやすいはずだ。

ひっ迫する予算

 もっとも、先述のように、現在はウクライナ侵攻によって元々潤沢でない予算がさらにひっ迫しているようで、先述のような医療従事者への給料の未払いも起きている。夫の治療についても、そういった病院側の都合から、入院期間が必要最低限に抑えられ、本来ならもう少し入院した方が良いという状態で退院することになった。
 使い慣れぬ松葉杖で4階にある自宅までの階段を登るのは大変だったようだし、そのような情況でまだ頻繁な通院が必要とされるのも理不尽ではあったが、病院の出す食事がかなり質素で、入院中の行動の制約も大きかったため、たとえ痛み止めが注射されなくなっても、夫にとって退院は大歓迎だったようだ。筆者の目からも、患者の自立を促すという意味で、早期退院は悪いばかりではないように思われた。
 筆者にとって入院期間の短さがありがたかったもう一つの理由は、ロシアの病院、とくに重症患者が入れられる病棟で家族を見舞うのは、なかなか面倒だからだ。 
 安静が必要な患者の場合、一番の近親者であっても、病室に入るためには、朝9時から9時半の間に病室の外の廊下で列に並び、順番に医師にお伺いを立てねばならない。許可が得られれば中に入れるが、得られなければ、看護師に差し入れの品を預けることしかできないのだ。
 筆者はそのシステムについて理解するのに時間がかかった上、間に週末を挟んでしまったため、ろくに説明も聞けぬまま夫が入院してしまってから、次に夫の顔を見ることができるまで、5日もかかってしまった。しかもその後も、担当の医師が頻繁な面会を許さなかったため、夫が手術を終え、自ら廊下に出てこれるようになるまでの間、夫に会うことはできなかった。つまり、手術の間、家族が廊下で結果を待つという、お決まりの情況さえ拒まれたのだ。その後は、決められた時間帯なら、廊下で差し入れの食品を一緒に食べたりしても構わなくなったが、院内に談話や飲食のためのスペースなどはなく、朝、面会の許可を得るための列に並ぶ時に待機する階段の踊り場が、そのまま面会のスペースとなった。
 これではほぼ、密室での治療である。つまり、治療の過程で家族である私が治療方法について説明を受けたり、同意を求められたりすることは一切なかった。今回は夫に意識があり、判断や交渉の能力もあったから良かったものの、もし意識も決断力もない患者が運びこまれたら、その治療内容は完全に看護婦や医師にゆだねられることになるだろう。
 今でこそ、携帯電話があるので、入院中の様子や、会うタイミングなどを簡単に電話でやりとりできるが、携帯電話が無かった時代は、家族は何倍も気をもんだはずだ。

ウクライナ侵攻の影響

 そもそもロシアでは役所にせよ、病院にせよ、何か用事をこなそうとするとき、手順がオーガナイズされておらず、何時にどこに行き、どんな処置や手続きをすべきかということが、とても分かりにくいことが多い。一つの用事をこなすために何度も人に尋ねたり、列に並ばねばならないこともある。中には、移民局の統合などのように、改善への努力が見られるケースもある。だが、こういった問題の解決には外部からの視点が不可欠だ。今回の戦争で人の流れが滞り、海外との留学や研修を通じた交流の機会が減っていることも考え合わせると、解決への道のりはまだまだ長いことだろう。
 医療面における戦争の影響について語るさい、それ以上に深刻なのは、欧米製の医薬品の価格の高騰だ。先日なども、筆者は薬局で、常備すべき医薬品の価格が以前の3倍以上になっていることに気づき、驚くとともに、所得の低い人々はどれほどの負担を強いられているのだろうと、心配になった。専門家によれば、必ずしも治療の効果が高くない薬品の値段も一様に上がっており、「法外な値段」になっているものもあるという。それでも手に入ればまだましだが、一部のワクチンのように、海外製はまったく手に入らなくなったものもある。先日は、長らく閉鎖に抗ってきた欧州の医薬品会社のイルクーツク支社が、いよいよ閉鎖された。
 救いはロシアには代替となる国内製の医薬品もある程度まではあり、薬草などによる伝統的な民間療法も盛んなことだ。そんな民間療法の中には、医師もその効果を認めているものが少なくない。ただ、市販されている薬草の成分をもつ薬品などは、比較的安価な反面、品質に問題のあるものも多い。反対に、直接大自然の中で採取されたものは価格が高く、庶民にはなかなか手が届かない。

静かに苦しむ人々

 実際には多少の差があるものの、現代の中国とロシアの医療制度が、ともにソ連の医療制度にルーツをもつことは、しばしば実感される。医療従事者の報酬が、その労働量と専門性を考慮した時、相対的に低すぎることや、医療従事者の不足、地域による医療水準の格差、治療を受ける過程の煩瑣さなどは、両国の共通した課題だろう。一方、市場経済化が医療面でも進んでいる中国では、病院での診療は無料ではない。診察代は安価であっても、検査費や薬品代がかさめば、結果的にはかなりの出費になることもある。
 その意味では、社会主義の時代を終えたはずの新生ロシアの方が中国より社会主義的な医療制度を維持しているのは驚きだが、その制度も今回のウクライナ侵攻によって少なからぬ悪影響を受けている。もちろん、ウクライナの戦場にある医療施設が軍事攻撃によって直接受けている被害とは比べ物にならないが、彼らがメディアで大きく報道されることが多いのと比べ、侵攻している側であるロシアの人々への戦争の影響は見えにくく、関心も集まりづらい。
 筆者の実感に基づけば、実際にはロシア側にも、医療従事者も含め、侵攻を支持していない者はたいへん多い。だが、給料の未払いによって医療従事者が減少し、さらに経済制裁の影響で入手可能な医薬品の減少や価格の高騰などが起きれば、患者にとって必要な治療が遅れたり止まったりする可能性は高い。その影響はすでに目に見えるようになりつつあり、医療行為という、もっとも国籍に関係なく施されるべきと筆者が考える行為が、ただロシアに住んでいるという理由だけで十分に受けられなくなっている。
 今回の夫の入院によって得られた「気づき」は多いが、そのうち一番貴重なのは、このような、国民皆保険という一見理想的な制度の陰で、「静かに苦しんでいる人々の存在」に気づけたということだろう。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、『シベリアのビートルズ──イルクーツクで暮らす』(2022年、亜紀書房刊)。訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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