燕のたより

第30回

炎の遺言──魂は天上で煌めき、情熱は燃えさかる

 「涙ほど早く乾くものなし」という。こう思いたくはないが、しかし、そうでなければ耐えられない現実もある。
 チベットから次々に抗議焼身の悲報が飛びこんで来る。今月(2013年11月)11日、青海省ゴロ州ペマ県のアキョン僧院で、ツェリン・ギェル僧は焼身して中国政府に抗議を表明した。僧は病院へ送られる途中で死亡し、これで内地焼身者は122名(内105名が死去)となった。

 華々しく「調和社会」、「中国の夢」、「最も幸せなチベット」などと喧伝される表面とは裏腹に、現実はまったく違う。中国政府はチベット人の日常生活の隅々まで監視し、精神的指導者ダライ・ラマ14世の肖像の所持さえ厳禁する。
 習近平体制となり、統制が緩和されるのではという期待が出た時もあった。今年の6月下旬、ガンデン寺などで肖像写真の掲示が認められたと報道された。状況が好転したかと思ったのもつかの間、7月6日、四川省タウで、治安部隊がダライ・ラマ14世の誕生祝賀会に集ったチベット人に発砲した。
 みな無防備で、被弾や暴行による負傷者は十数名にのぼった。負傷者は、拘束されると、さらに電気棒などで拷問を受けた。想像を絶する残虐さである。

 このような実状が、厳重な情報統制をかいくぐり少しずつ伝わってきた。そのため当局は、抗議が広がり、全面的な蜂起となるのを恐れ、慰問金で解決しようとした。軍事経済大国の中国が人心を収攬するための常套手段だが、チベット人たちは峻拒した。「やつらの金など必要ない。我々は自由な意志を尊重してほしいのだ」という。
 これは抗議焼身者の遺言や遺書でも同様である。みな我が身を炎と化しながら「チベットに自由を!」と叫ぶ。
 昨年1月6日に焼身したツルティムは、次のように書き遺した。
 「常軌を逸した『愛国再教育』が僧院で行われている。表現、移動、コミュニケーション、集会、宗教などの権利を奪い、この実状を外の世界に知らせる言葉は絶対に許さない。本当の状況を知らせた者には不当な非難や恥知らずな誹謗を浴びせ、秘密裏に殺害したり、投獄する。この暴虐と弾圧の証言として、世界の人々がこの事実を知るため、真実のため、犠牲となった利他的な血脈のため、自由への闘いのため、私も己の貴重な体を捧げる」
 また、昨年10月22日、61歳で焼身したドゥンドゥップは、日頃から若者たちに「焼身はしないように。生きてチベットの将来のために貢献すべきだ。自分たちの世代は1958年のチベット蜂起の生き残りだ。だから我々の世代が焼身すればいいのだ」と語っていた。“生きよ” と諭し、励ます焼身なのである。
 つまり、抗議焼身は、巨大な政権に対して、自由を求める個人が止むに止まれずに行使する最後の抵抗である。そこには「生」への熱い希求がある。しかも、それは非暴力である。
 これに対する統制について、先述の「常軌を逸した」は過言ではない。中国政府は上から下まで全方位で厳重に警戒網を敷いている。共産党は工作組を派遣し、しらみつぶしのように一人一人尋問し、政府を賛美し、ダライ・ラマ14世を非難する文書に署名させる。焼身自殺が起きれば、その関係者は共犯として投獄される。家族や親族は公職追放され、公職がなければ全員が拘禁される。寺院は閉鎖され、村は社会保障費を減額、あるいは支給停止される。それとともに沈黙を強いて、事実を外部に知らせないない。

オーセルさんの「暫住証(臨時に交付される戸籍証)」

◀オーセルさんの「暫住証(臨時に交付される戸籍証)」。オーセルさんは自分の故郷でさえ「暫住証」が必要とされることに憤慨している。さらに監視や尾行は常態で、理由もなく頻繁に召喚・尋問・自宅軟禁を強いられ、また「暫住証」はとてもいいかげんで、結婚しているのに「未婚」など間違いが多い。

 チベット女流詩人のオーセルは「チベットの恐怖は手に触れるほどだ」、いや「本当の恐怖は空気中に溶け込」み触れることさえできないと指摘する。
 さらに、このような武力と恐怖による支配に加え、経済成長による「開発独裁」で強制移住、鉱物資源の乱掘、森林資源の乱伐、環境汚染が深刻化し、「中華民族の偉大なる復興」で漢民族化が押し進められ、チベット人は経済的にも文化的にも周縁化されている。そのため止むに止まれず最後の手段として焼身を敢行するのである。つまり、焼身はこれまでの抗議行動の延長にあり、自己犠牲の勇気ある行動では一貫しているのである。

 この現実に、漢民族は、リベラル知識人さえ、沈黙していると言われているが、夏に来阪したニュー・オピニオン・リーダーたちは「確かにウェイボー(中国式ミニブログ)では強制立ち退きに抗議した漢民族の焼身に同情や義憤が広がっているのに比べるとそうだ。でも、チベット(中国語で西蔵)は敏感の上にも敏感、タブー中のタブーで、チ(西)の字も書けない。書けば即座にIDが消される。ほんのわずかな隙さえないのだ」と悔しそうだった。しかし、続けて「漢人として何かしなければならない」と眼光鋭く結んだ。
 また、自由、民主、憲政を提唱した法学者の許志永は「痛恨のきわみで、どう表現すべきか分からない。我々はずっと沈黙してきたが、しかし今こそ声をあげねばならない」と語り、昨年12月、チベット地区の焼身者の家を訪ねようとしたが、今年七月に逮捕された。それでも内外で彼を支援する輪が広がっている。自由や民主など普遍的な価値を通して、このような良識や勇気が繋がっていくなら、恐怖政治に終止符を打てるだろう。

 実際、今月19日、スペインの全国管区裁判所は、1980~90年代のチベット・ジェノサイド(大虐殺)の容疑で、江沢民元国家主席、李鵬元首相ら、政権中枢の権力者5名の逮捕状を出した。裁判所に刑事告発したのは、スペイン国籍を持つ亡命チベット人を含む人権団体で、チベットでの「大虐殺、人道に対する罪、拷問、テロ」に責任があると主張している。そして、裁判所は「当時の政治・軍の高官が関与した疑いがある」が、中国当局が捜査しないため、逮捕状を出したのである。
 このような動きが中国本土やチベット人地域の動きと呼応し、大きなうねりとなって、その「情熱が燃えさかる」とき、焼身者の「魂は天上で煌めく」だろう(プッチーニ「トスカ」)。

コラムニスト
劉 燕子
中国湖南省長沙の人。1991年、留学生として来日し、大阪市立大学大学院(教育学専攻)、関西大学大学院(文学専攻)を経て、現在は関西の複数の大学で中国語を教えるかたわら中国語と日本語で執筆活動に取り組む。編著に『天安門事件から「〇八憲章」へ』(藤原書店)、邦訳書に『黄翔の詩と詩想』(思潮社)、『温故一九四二』(中国書店)、『中国低層訪談録:インタビューどん底の世界』(集広舎)、『殺劫:チベットの文化大革命』(集広舎、共訳)、『ケータイ』(桜美林大学北東アジア総合研究所)、『私の西域、君の東トルキスタン』(集広舎、監修・解説)、中国語共訳書に『家永三郎自伝』(香港商務印書館)などあり、中国語著書に『這条河、流過誰的前生与后世?』など多数。
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