燕のたより

第09回

ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しくうたうもの《前編》

「三自愛国」教会の城南堂を見聞して

(1)城南堂の由来

 中国語で日曜日は「星期日」や「星期天」のほかに、「礼拝天」ともいいます。キリスト教徒の礼拝日に由来しています。
 3月15日、日曜日、帰郷していた私は両親と、長沙市内中心部に位置する中華基督教長沙市城南堂(城南教会)に行きました。私たちは洗礼を受けたクリスチャンではありませんが、礼拝に出てみました。
 城南堂教会は、長沙市天心区社壇街にある労働広場の「移動通信(携帯電話などの巨大企業)」のビルの裏にあります。プロテスタント系の「三自愛国」教会で、「三自」とは、第一に中国人自身で教会を支える「自養」、第二に中国人自身で教会を運営する「自治」、第三に中国人自身で伝道する「自伝」を指します。これを表明し、国外の帝国主義勢力の影響を受けないと表明することで、共産党政権の下で存続してきました。
 城南堂教会の前身は基督教内地会福音堂教会です。「内地会」とは中華基督教の教派の一つで、日本では「中国奥地宣教団」と訳されています(現OMFインターナショナル)。この内地会福音堂教会はイギリス人宣教師ジェームズ・ハドソン・テーラー(James Hudson Taylor 中国名は戴徳生)の努力により、彼の没後2年目の1907年に建てられました。そして、中華人民共和国成立後、1958年に、長沙の異なる教派の教会が合同して礼拝するようになり、福音堂教会は中華基督教長沙市城南堂と改称し、長沙市南部地区の礼拝堂になりました。北部地区には城北堂があり、長沙市基督教「三自愛国」運動委員会と長沙市基督教協会(二つを合わせて「両会」と略称)は、ここに置かれています。
 城南堂は文革では徹底的に弾圧されましたが、1982年から始まった対外的な開放に伴い少しずつ再建され、1988年に正式に再建の式典が行われ、2007年には100周年記念が催されました。現在では信者は約2900人で、日曜礼拝は午前7時30分から、9時から、10時からと3回行われています。

(2)礼拝

 教会に行く途中、お母さんは昔のご近所の知りあいと会って、ご挨拶をしました。
「あら。お久しぶりですね。お元気ですか」
「おや。どちらへ?」
 お母さんは城南堂を指さして「あそこですよ」と答えました。
「キリストかい。わしは今じゃ仏教だよ。知ってるかい? 陳さんは道教だよ。さっき通りでばったりと出会ったら、天師(道教の歴代の教主)が来ていると言ってた。そうかい。お前さんはキリストかい」
「まだまだ」
 お母さんはあわてて答えました。
「それじゃ。また後で」
 お母さんの話では、昔の同僚やご近所さんは、このようにして様々なグループに分かれ、その中で友だちができているそうです。
 私たちは10時の礼拝に出席しました。正面には「インマヌエル(主は我と共にあり)」と書かれていました。老若男女が400名収用の礼拝堂にぎっしりと詰まって、超満員でした。司会者をしていた「同労者(原語は同工)」が長沙訛りの共通語で説教を始めました。その日は、「新約聖書」の「コリント人への手紙・第一」9章24節から「節制の能力」が話され、また10章1節~12節から「偶像礼拝に対する警告」が話されました。そして「競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです……」という箇所を説教していたら、突然『聖書』の話を止めて、長沙の方言でしゃべりだしました(長沙の方言はきついと言われます)。
「今日はここでみんなにいわなきゃならねえことがある。ある者は教会に来て4、5年もたつのに、洗礼も受けねえで、ずうずうしく出入りしている。ところが別の者は4、5ヶ月ですぐに洗礼を受けて正式なクリスチャンになった。前のやつはごろつき、のらくら者、チンピラ、ろくでなしだ。後のは我らの主を喜ばせる人で、天国の門はまさにこの人たちに開かれてる」
 そして、パソコンでデザインなどするボランティアの募集の話をして、『聖書』の説教に戻りました。最後に、「詩篇」28章と賛美歌を歌いました。賛美歌は小敏という農村女性の作った「カナンの詩」でした。彼女は1000篇も賛美歌を作りました。

(3)「三自愛国」教会と家庭教会

 中国には「三自愛国」運動に所属する教会(政府公認)の他に家庭教会(非公認で所謂「地下教会」)もあります。これは共産党が信者を管理することに反発し、家庭などを教会にして礼拝を行っています。このような家庭教会は近年急速に広がり、これに対して政府の締めつけも厳しくなっています。他にカトリックや正教もありますが、バチカンと中国は国交がなく、正教は認められています。
 小敏の賛美歌は三自愛国教会でも、家庭教会でも、広く歌われています。私は一昨年、北京の家庭教会で聴いた2篇の賛美歌は、ここでも歌われました。
 「中国の朝5時/中国の朝5時/祈祷の声が伝わってきた/神よ、復興と平和をもたらしたまえ/一致と勝利を賜りたまえ/中国の朝5時/祈祷の声が伝わってきた/人々はまごころの愛を捧げ/一心に中国のため/中国の朝5時/祈祷の声が伝わってきた/万水千山を飛び越え/氷のような心を解かす/もはや縄や鎖で縛られない/もはや戦争はない/中国のために祝福する/運命を転換する/そしてすばらしい収穫を」
「中国人よ立ち上がれ/中国人、中国人よ立ち上がれ/どれ程の年月を沈黙していた/どれ程の年月を昏睡していた/今こそ雄々しいライオンのように目覚めよ/中国人、中国人、中国人よ立ち上がれ/我々は心を一つにしてあなたを祝福する/我々は声を一つにしてあなたを喝采する/万軍の神は永遠にあなたを愛する」
 さて、1時間ほどの礼拝が終わってから、私たちは教会の中を見学しました。ぶらぶらしていると1階に売店があり、簡体字の『聖書』、十字架、国家レベルの両会の機関誌『天風』(月2回刊)などがありました。『天風』2008年2月後期号によれば、2008年1月8日に、三自愛国運動委員会第7回常務委員会、基督教協会第5回常務委員会第六次聯席会議で「中国基督教教会規準」が採択されました。そして、2008年1月25日、中国政治協商会議第11期常務委員会第20次会議でキリスト教界から15人が政治協商委員に選出されました。
 また、国家宗教局副局長の王作安は、2008年1月13日の第8回中国キリスト教代表者会議の閉会式の講話で、次のように述べました。
「各代表、友人の諸君、第8回中国キリスト教代表者会議は既に議事日程を順調に完遂し、まもなく勝利のうちに閉会する。私は党中央統一戦線部、国家宗教局を代表し、この会議が円満に成功したことを熱烈にお祝いする!……この代表者会議は過去の経験を総括し、情勢を分析し、『三自原則』により教会を導き、調和社会を建設するために積極的な役割を果たすことを明確に提起した。これは中国のキリスト教がどのような道を歩み、どのような役割を果たすべきかという重大な問題に対する的確な解答である!」
 そして「両会自身の組織建設の推進に力を注がなければならない」と提起し、次のように演説しました。
「キリスト教両会は、党や政府と多くのキリスト教信者とを結ぶ紐帯であり、キリスト教両会の仕事を通して党と政府はキリスト教信者のあいだに緊密な繋がりを築き、信者大衆の中に求心力と凝集力を強められる。……
 教会の人材建設を十分の重視しなければなならない。政治的に信頼でき、学識的に造詣が深く、人徳的に大衆に奉仕するという原則により、若い世代の牧師や伝道者の隊列の育成を加速し、『収穫は多いが、働き手は少ない』(「新約聖書・マタイ福音書」9章37節)という局面を改善し、中国のキリスト教会の事業に後継者を確保しなければならない。
 最後に、各代表、友人の諸君、今日の午後、党中央、国務院の指導者同志は、人民大会堂でキリスト教両会の責任者に親しく接見し、代表者全員と記念写真をとる。諸君は党中央と国務院がこのように重視し、期待していることに背かず、また多くのキリスト教信者の重大な付託に背かず、中央指導者同志の重要な講話をまじめに学習し、理解し、今回の代表会議の主要な精神を誠実に貫徹し、執行し、中国の教会を健全に育て、多くのキリスト教信者を党と政府の周りに団結させ、『小康社会(割合と豊かな社会)』建設の偉大なる事業に積極的に献身し、『世の光、地の塩』(「新約聖書・マタイ福音書」5章13節)として、社会の調和、人民の幸福のために美しくすばらしい証し人となろう!」
 教会の壁の一角に「湖南省宗教事務管理条例」と「長沙市キリスト教城南堂“五五”普法教育(2006年4月、中央宣伝部、司法部が公民において法律や制度を宣伝教育する第五回目に五カ年計画)」と歴代の宣教師や伝道師の肖像がかけられていました。市の政治協商会議主席や両会の主席が視察した時の写真もありました。

▼写真(筆者撮影):

 現在、教会を新たに建て直す計画があります。ところが、市の指導者は、今の敷地がある中心街(商業地区)ではなく、別の場所に移転することを提案しました。どうなるでしょうか。

(4)おわりに

 伝聞では、今日、公認された「地上」の教会と非公認の「地下」教会の信者を合わせると、中国のキリスト教とは約9000万人に達し(一億人以上という説もある)、共産党員の約7000万人を凌ぐ勢いです。
 今年は「六・四天安門事件」20周年で、あれからもう20年が経ちました。あのとき大地を染めた血の痕は、「調和社会」のまぼろしの好景気のなかで忘れられつつあります。まさに、「時間の流れによって痕跡を洗い、わずかに色淡き血と茫漠たる悲哀とを残すだけである。この色淡き血と茫漠たる悲哀のなかで、人びとにしばらくのあいだ生を偸ましめ、この人に似て人にあらざる世界を維持させる。このような世界がいつ終わるのか私は知らない」(丸尾常喜訳「色淡き血痕のなかで:数人の死者と生者と未だ生まれざる者の記念」『野草』)という魯迅の言葉を思わされます。
 他方、天安門事件以後、中国共産党は急速に人心を失い、共産主義、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論などを唱えても、空しく響くだけで人心を繋ぎとめられず、一方で利益誘導、他方で愛国主義と使ってようやくもちこたえています。そして、現在ネットで「60502010」という数字をデザインしたTシャツが売られています。この数字は中国建国60周年、ダライ・ラマ亡命50周年、天安門事件20周年、中南海で座り込む法輪功信者弾圧10周年を示唆しています。このように今年は様々なことがらの節目に当たる年です。その中で、中国のキリスト教は、今後どのような方向に進むのか、その推移を暖かく見守っていきたいと思います。

コラムニスト
劉 燕子
中国湖南省長沙の人。1991年、留学生として来日し、大阪市立大学大学院(教育学専攻)、関西大学大学院(文学専攻)を経て、現在は関西の複数の大学で中国語を教えるかたわら中国語と日本語で執筆活動に取り組む。編著に『天安門事件から「〇八憲章」へ』(藤原書店)、邦訳書に『黄翔の詩と詩想』(思潮社)、『温故一九四二』(中国書店)、『中国低層訪談録:インタビューどん底の世界』(集広舎)、『殺劫:チベットの文化大革命』(集広舎、共訳)、『ケータイ』(桜美林大学北東アジア総合研究所)、『私の西域、君の東トルキスタン』(集広舎、監修・解説)、中国語共訳書に『家永三郎自伝』(香港商務印書館)などあり、中国語著書に『這条河、流過誰的前生与后世?』など多数。
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