燕のたより

陳光誠氏の奇跡的な脱出

陳光誠氏が軟禁されている中国山東省臨沂市の公園で、陳氏を紹介する名刺を市民に配る何培蓉さん(左)=何さんのミニブログ「微博」より(時事)

諸先生各位。
 拝啓。中国の盲目の人権活動家、陳光誠氏が、厳しい監視下で軟禁されていた山東省の自宅から脱出し、北京のアメリカ大使館の保護されましたことが報道され、そして、私は、昨日、テキサス州に本部を置く対華援助協会(China Aid)の牧師、傅希秋氏との電話で確認しました。
 陳光誠氏は、中国政府の進める「一人っ子」政策で、強要された妊娠中絶の実態を告発し、2006年に懲役4年3カ月の実刑判決を下されました。2010年に釈放されても、自宅に軟禁され続けました。
 脱出しようとトンネルを掘り始めましたが、発見され、コンクリートの壁が深く作られ、ほぼ毎日、100人弱の暴漢に見張られていました。
 今回の奇跡的な脱出は、ウェイボー(中国のミニブログ)のユーザーの何培蓉女史(南京在住の英語教師でペンネームは真珠)をはじめとする6、7人のチームワークと、対華援助協会の支援で達成しました。ところが真珠女史は既に自宅で逮捕されました。
 今、中国のインターネットで「真珠」の検索ができず、真珠産業に大打撃ではと揶揄されています。
 今回の脱出では、インターネットのユーザーの連携や「光誠を自由に」という市民ネットワークが大きな役割を果たしました。また、海外亡命者たちの不断の努力の成果です。例えば、先日、来阪した茉莉女史は、以前から、陳光誠氏に関連した治安当局に海外から抗議の電話やファックスを送るようにと呼びかけていました。対華援助協会の傅希秋牧師は、数年間、アメリカ政府に直接訴え続け、また国内のユーザーと連絡・協力しました。なお、傅希秋牧師は中国エイズ問題に取り組み迫害された高耀潔女医の亡命も支援しました。
 陳光誠氏の脱出で、問題が解決したことにはなりません。アメリカ大使館で保護が続き、膠着状態となってしまうことが危惧されます(先日逝去した「中国のサハロフ」と呼ばれた方励之の時がそうでした)。
 今後、さらに良識ある方々が陳光誠氏について注目し、支援し続けていただきたいと心から願います。一日も早く真に「光誠を自由に」。そして、自由を奪われたすべての人々に自由を。
 以下の「関連記事」もご参考にしてください。
敬具
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2012年4月29日
劉燕子

コラムニスト
劉 燕子
中国湖南省長沙の人。1991年、留学生として来日し、大阪市立大学大学院(教育学専攻)、関西大学大学院(文学専攻)を経て、現在は関西の複数の大学で中国語を教えるかたわら中国語と日本語で執筆活動に取り組む。編著に『天安門事件から「〇八憲章」へ』(藤原書店)、邦訳書に『黄翔の詩と詩想』(思潮社)、『温故一九四二』(中国書店)、『中国低層訪談録:インタビューどん底の世界』(集広舎)、『殺劫:チベットの文化大革命』(集広舎、共訳)、『ケータイ』(桜美林大学北東アジア総合研究所)、『私の西域、君の東トルキスタン』(集広舎、監修・解説)、中国語共訳書に『家永三郎自伝』(香港商務印書館)などあり、中国語著書に『這条河、流過誰的前生与后世?』など多数。
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