私の連載では、社会的連帯経済について何度も触れてきましたが、私の連載の常連の方であれば私がラテン世界の動向ばかり取り上げ、日本人にとってはラテン世界よりはなじみが深い英語圏諸国については、ほとんど話題にしていないことを疑問に感じる人も多いことと思います。それは単に、英語圏諸国では社会的連帯経済という考えがあまり広まっておらず、英語圏諸国政府や地方政府もそういう方面での政策立案に消極的な現状があるからですが、今回はなぜ同じ西洋世界でも、ラテン世界と比べて英語圏では社会的連帯経済がここまで話題にならないのか、そして社会的連帯経済で主役となっているラテン系の人たちとの相互理解を深めるための語学の重要性、さらにはAIを活用した語学学習法について検討したいと思います。なお、フランス的価値観について以前に書いたこの記事もご覧ください。
ラテン世界の価値観の基盤となったのはフランスですが、ここでは古代ローマのローマ法まで遡れる大陸法(シビル・ロー)に加え、理想とする社会の理念を構築してからその理念を現実社会に演繹的に応用してゆくという大陸合理主義的な価値観が優勢となっています。このため、社会的連帯経済という理念を成立させ、その理念を国家に認識させることで、その理念に基づいた各種法制度や経済政策を準備させ、社会的連帯経済の推進においても政府や地方行政にそれなりの任務を負わせるいう形になっています。アジアでも、大陸合理主義に近い朱子学の伝統を持つ韓国において社会的経済の理念的構築が盛んなのは、偶然ではないのです。
それに対し、英米法(コモン・ロー)の下で経験主義的(英国)、または新大陸という環境下で実利主義的(米国)な価値観を発展させてきた英語圏では、社会問題においてもビジネスを通じて解決するという社会的企業や社会的起業家の発想が主流で、これらの発想についても、現実社会の事例を観察してからその真髄を帰納的に分析することで得られたものです。また、国家による法制度の整備や再分配・調整などの役割を期待しないどころか、国家の介入を嫌う傾向があります。ラテン系世界では、富の過度な偏在は権力の集中につながることから、これを防止すべきだという考え方が強くなる傾向がありますが、その一方で英語圏にはそのような発想は薄く、商才のある人間であればいくら稼いで大富豪になっても、その点自体はそれほど批判されません。最近、イーロン・マスクが史上初の兆万長者(総資産額が1兆ドルを超える人)になったのではないかという憶測が広がっていますが、そういう極端な富の偏りができても、そこまで問題視しないのです。
この点で重要なのが、独占禁止法の精神です。独占禁止法自体はどこにでも見られるものですが、その法律の存在理由が、フランスなど大陸合理主義の伝統の強い国が多いEUでは、米国とは異なっています。EUでは、ある業界で独占や寡占が進むと民主主義そのものが脅かされるという意識が強く、欧州連合の機能に関する条約第102条で「直接又は間接に、不公正な購入価格若しくは販売価格又はその他不公正な取引条件を課すこと」、「需要者の利益に反する生産、販売又は技術開発の制限」、「取引の相手方に対し、同等の取引について異なる条件を付し、当該相手方を競争上不利な立場に置くこと」および「契約の性質上又は商慣習上、契約の対象とは関連のない追加的な義務を相手方が受諾することを契約締結の条件とすること」が禁止されています。なお、この件に関しては、EUを離脱した英国もEUに近いポリシーを取っていると言えます。
その一方、米国では自由競争そのものへの脅威のほうが注目される傾向にあると言えます。独占状態になると独占企業が価格を吊り上げたり商品やサービスの質を下げたりしても、消費者は代替企業がないのでその企業を利用し続けるしかないという、消費者保護の観点のみが重要視されており、「流通の効率性(Marketing efficiency)」という表現により、消費者にとってデメリットがない限り問題ないという最高裁判決が、実際1970年代に出ています。例えば、独占企業がその立場を利用して下請けに対して苛酷な条件を突きつけた場合、EU法では制裁の対象になりますが、米国ではそれ自体は問題にならないのです。このような法律の違いにより最近、Googleなど米国の大企業が相次いで、EUから多額の罰金刑を受け続けていますが、これは米国では問題ないことでも、欧州では問題視される一例だと言えるでしょう。
同じようなことは、気候変動・地球環境の問題やITの発達による個人情報の保護などでも言えます。特に米国では、これらの問題の解決は大企業任せであり、政府はそれほど積極的に動きません。しかし、EUでは大陸合理主義適な理念を法体系に編み込み、具体的には環境保護や個人情報の利用に厳しい規制をかけるなどの方策にを取り、これにより外部不経済の問題を解決しようとしています。また、教育や医療、社会保障なども米国は民間市場経済に委ねがちですが、EUではこれこそ市民の権利として政府が守るべきものだとしています。
さらに、民主的な運営という点でも、ラテン世界と英語圏ではアプローチに違いがあります。ラテン世界の社会的連帯経済では、協同組合やNPOなど、対等な立場による構成員同士による民主的な組織運営が重視される一方、英語圏では「市場による解決」を優先する立場から社会的企業などによる社会的成果が重視される反面、その組織自体が民主的かどうかは問われず、むしろ社会的起業家の場合には個人のリーダーシップが評価される傾向にあります。このあたりについては、「自由・平等・博愛」をスローガンにしたフランス革命の精神を受け継ぎ民主的運営を重んじるラテン的社会的連帯経済の価値観と、経験主義的な観点の現状観察とその是正や実利主義に力点を置くアングロサクソン的社会的企業の価値観の違いとも言えますが、このあたりの根本的な発想の違いを理解することが、異文化理解において欠かせないと言えるでしょう。
意外かもしれませんが、慈善活動についてはラテン世界よりも英語圏諸国のほうが重視しています。とはいえ、その理由に注目する必要があります。ラテン世界にも、カトリック教会系のカリタスやポルトガルのミゼリコルディアなどの慈善団体はありますが、あくまでも国家や地域社会が行う活動の一部という考え方が強く、篤志家個人の気まぐれに左右されないようになっています。その一方英語圏では、いくら金儲けをしてもかまわないが、そのかわりノブレス・オブリージュ(高貴なる者の責務)として慈善活動に資産を投じるべきという考え方が伝統的に存在しています。ラテン的な発想では、これら富裕層から徴収した税金を政府が再配分すべきとなるところですが、英語圏ではそのような富裕層が政府を経由せず、自らの信じる形で社会に再還元すべきだと考えられているわけです。かつて菅首相(当時)が「自助、共助、公助」という表現を使っていましたが、この表現に則るならラテン的価値観では共助や公助を重視する一方、英語圏では自助を重視するという違いがあると言えるでしょう。
このような状況から導き出される結論についても、ラテン世界と英語圏では違いがあります。ラテン世界の場合、そのような資本主義だけが経済活動ではないという観点から、資本主義的ではない(株主のように、議決権と配当を受け取る権利だけを有する存在がいない)協同組合やNPOなどをまとめて社会的経済というカテゴリーを確立し、時にはそんな経済を積極的に支援していますが、英語圏では「利益が出ないので資本主義の事業としては成り立たないが、社会的に不可欠な存在」として非営利セクター(NPOや私立大学、私立病院など)、または英語の意味での第3セクターが重視されています。また、ラテン世界では資本主義と並行する形で社会的連帯経済が存在し、時には資本主義の問題点を厳しく糾弾する一方、英語圏では利潤追求活動としての資本主義を最大限推進する一方で、儲からないので資本主義が手を付けない部分を非営利セクターが担当し、行政や篤志家などからの寄付や支援を受けつつ運営してゆくことになるわけです。最近米国では、政治的に右派的な思想を持つIT長者らが、その権力を行使して自分たちの影響が強い社会を構築しようしており、債務危機時代のギリシャで財務相を担当したやニス・ヴァルファキスがこの現象に対して、「テクノ封建主義」というレッテルを付けていますが(われわれ一般市民が、IT系大企業のサービスを利用するかわりにサブスクリプション代として実質上の税金を取られ続け、これら大企業の支配者がまるでかつての封建領主のように横柄に振る舞う状況)、テクノ封建主義の担い手である大富豪たちは、富の独占による民主主義の衰退に危機意識を持たないどころか、逆にそれにより自分たちが好き勝手に振る舞える社会こそが理想だとさえ思っているのです。
このような社会観は、実に危険なものだと言えます。アーノルド・トインビーは、その主著「歴史の研究」で文明の興亡を描いていますが、まさに現在のIT業界は、わくわくするビジョンにあふれたクリエイターたち(スティーブ・ジョブズなど)などによる創成期の急成長が過ぎ去り、もはや社会に不可欠なインフラの一部と化したITの既得権益者らはその権益の最大化のほうを重視するようになっています。そしてAIを含むITの高度化により、単にその社会制度の中で最低限の生活を保障されているだけの「内部プロレタリアート」(トインビーによれば、パンとサーカスだけを保証された古代ローマの無産階級だが、現在のIT労働者などもこの部類)が社会的疎外を感じ、やがてこの社会から離脱するようになります。トインビーは、当時のローマ社会に違和感を感じていた人がキリスト教に改宗し、その後の価値観の基盤となったと書いていますが、もしかしたらテクノ封建主義を嫌う人が増えた場合、コピーレフトやクリエイティブ・コモンズ、そしてウィキペディアなどのように、それとは異なる価値観の実践例が増えて、やがてテクノ封建主義を克服してゆくのかもしれません(クリエイティブ・コモンズ関連の過去記事)。
このような発想の違いにより、具体的な事例の発展にも違いが見られます。例えば貧困層向けの食品提供ですが、米国など英語圏ではフードバンクが一般的で、大手スーパーや食品メーカーと提携したNPOが貧困層に食材を無料で提供しており、政府もそのような政府に対して税金控除などのインセンティブを与えていますが、この構造はまさに古典的な慈善活動そのものです。それに対しフランスでは社会的連帯食料品店(épicerie solidaire)(フランス政府による説明、同食料品店の全国連合会(ANDES))と呼ばれる店舗が存在し、貧困層は一般の店舗と比べて格安で(1割~3割程度で)食品を購入できるようになっています。また、フードバンクでは貧困層が受給者止まりであり、節税目的で食材を寄付してくれる企業頼みであるのに対し、社会的連帯食料品店では貧困層自身がその運営に参加したり、店舗業務を担当したり、各種講座の講師になったりすることで、社会参加や復帰のきっかけをつかむ場所としても機能しています。
社会的連帯経済的なラテン世界と社会的起業型の英語圏との違いが鮮明になる別の分野は、住宅です。最近は世界どこでも住宅価格が高騰し、なかなか持ち家に手が届かない人たちが増えていますが、ラテン世界ではそもそも住宅のような生活に不可欠な財が資本主義の論理に振り回され投機目的で異常な高値で取引されていることを問題視し、そのような取引を防ぐ方法として住宅協同組合住宅が生まれ始めています(住宅協同組合のスペイン全国連合会(CONCOVI)のサイトはこちら)。この住宅の組合員が得られるのは、あくまでも住宅に一定期間(といっても非常に長い年数なので、実質上生涯)住める権利であり、何らかの理由でそこに住む必要がなくなった場合には退会することで出資金などを返金してもらうことはできても、それ以上のものは得られませんが、これによりこの住宅の関係者が誰も投機で儲けられない仕組みが生まれ、資本主義の論理にとらわれない住宅供給が実現します。それに対し英語圏ではコミュニティランドトラスト(CLT)という枠組みが存在し、マンションの場合には土地はトラストが所有する一方、住宅部分は個人が所有し、売却益の一定の上限値を課したり、あるいは通常のマンションであっても一定数の部屋を低所得向けに留保したりするという修正資本主義的な手法が用いられることが多くなっています。
このようなラテン世界と英語圏との発想の違いの理解は、ことアジアで社会的連帯経済を推進するときに重要になってきます。ラテン系言語(フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語など)はヨーロッパ、アフリカと南北アメリカでは幅広く使われていますが、現在アジアではほとんど使われていません。かつてはフィリピンでスペイン語が、そしてインドシナ3国(カンボジア、ベトナム、ラオス)でフランス語が話されていましたが、今ではこれらの国ではスペイン語やフランス語はほとんど使われなくなっており、あえて言うなら東ティモールで公用語の一つとしてポルトガル語がある程度使われ続けているぐらいです。その一方、インド亜大陸やフィリピン、マレーシア、シンガポールなどは準英語圏と言ってよいほど英語が広く使われており、日本を含むそれ以外の国でも、外国語として最も一般的に学ばれているのは英語です。このため、英語圏的な経済観(基本的に資本主義に任せて、儲からないので資本主義がやりたがらない部分だけを非営利セクターに任せるという考え方)も浸透している一方、社会的連帯経済の核心となる価値観(具体的な実践例としては違っていても、根本理念を共有しているので連帯してゆこう)が、韓国を除いてアジアではそれほど共有されていないのが現状です。英語圏的なものの見方をする人にとって、民主主義的な運営を重視するラテン的な社会的連帯経済は、そもそも自分たちの常識を超えたところにある発想であることも少なくなく、言葉そのものの壁に加えて、その実践例を理論的支柱となっている思想の理解も必要であると言ってよいでしょう。
なお、アジアの中でも韓国が、周辺諸国とは大きく異なる形で社会的連帯経済に積極的な哲学的理由としては、大陸合理主義と相性がよく理念中心主義な朱子学に基づく価値観が社会に根付いていることが挙げられます。もちろん大陸合理主義と朱子学は同一視できるものではありませんし、既存の伝統への批判や従来の道徳との分離などのように、大陸合理主義には見られるものの朱子学には見られない側面もありますが、韓国人の価値観が大陸合理主義と比較的相性がよかったことから、韓国政府や地方自治体が社会的経済の推進に責任を持つべきというコンセンサスが韓国社会の中で生まれ、アジアでも例外的な社会的連帯経済の発展につながったのは間違いないと言えるでしょう。
このような背景もあり、社会的連帯経済関係の国際会議では、確かに英語も公用語の一つになっていますが、参加者の大半はフランス語圏やスペイン語圏など、ラテン系言語が使われている地域の人たちです。確かに英語ができれば国際会議に参加はできますが、参加者と深い人脈を構築するには、フランス語やスペイン語の知識が欠かせません。「英語でさえ大変なのに、フランス語やスペイン語なんて…」と思われる方も多いでしょうが、特に若い方で今後社会的連帯経済に取り組もうと考えられている方であれば、フランス語やスペイン語を勉強しておくと将来の可能性が広がるので、個人的には語学の学習をお勧めしたいと思っています(参考: ラテン系言語の取得に関する以前の記事)。
なお、AIを活用すると、従来の学習法と比べて1/3以上時間を節約することもできるようですが、具体的に必要となる学習時間をGeminiに問い合わせたところ、こちらの図のように、意外なことに高校時代に英語が苦手だった人(「ゼロから英語」)にとっては、英語よりもスペイン語やポルトガル語のほうが比較的早く習得できるという、意外な結果が出てきました。実際には韓国語やインドネシア語のほうがさらに簡単で、またかつては受験勉強である程度英語ができた人(「やり直し英語」)の場合はさすがに英語のほうが簡単ですが、英語への苦手意識がある人で社会的連帯経済関係で国際交流を行う場合、比較的簡単にある程度のレベルに到達できる韓国語やスペイン語、フランス語といった語学をやっておくと、今後の交流に使えるようになるでしょう。
特に、AIを使うと1年未満でB1(日常会話マスター)も可能になるので、
- AIそのものを辞書代わりに使って、辞書を引く手間を節約する(特にわからない単語の一覧を作っておきあとで一括検索すると、1語ごとに意味を調べる手間が省ける)
- 現在の実力に合った読解用の文章を準備してもらう(難しい単語や文章の注釈付き)
- 文章の読み上げサイトを最大限に活用してリスニング練習用の資料を作成し、MP3ファイルをダウンロードして通勤中などに聞いたり、発音練習に使ったりする
- 外国語の作文や発言内容をAIに添削してもらい、間違いを修正する
など、自分で学習法を工夫してゆくと、意外に簡単に外国語をマスターできるようになるかもしれません。
今回は、「自由・平等・博愛」のフランス革命的な思想が出発点になっているラテン的社会的連帯経済と、経験主義や実利主義のアングロサクソン的社会的企業の価値観を比較してみました。社会的連帯経済関係の会議では、前者の価値観を共有するラテン系諸国の出身者が多い傾向にあるので、今後これらの分野で国際会議に参加される方には、AIを最大限に活用してフランス語かスペイン語を勉強し、それらの国にある価値観を深く理解されることをお勧めします。

























