玄洋社を究めるための資料ガイド

第09回

なぜ、今、権藤成卿なのか

権藤成卿 その人と思想──昭和維新運動の思想的源流権藤成卿 その人と思想──昭和維新運動の思想的源流

令和7年(2025)5月11日(日)
於:サワラピア(旧ももちパレス)視聴覚教室
(一社)もっと自分の町を知ろう 会長 浦辺 登

 皆様、おはようございます。一般社団法人もっと自分の町を知ろう 会長の浦辺登です。昨日の「福岡藤原塾」が終わって、懇親会、そして、カラオケ大会はいかがだったでしょうか。
 さて、本日の午後、藤原直哉先生と私の対談、藤原先生のお話がありますが、午前中は私の話を聴いて戴きたく思います。本日は「なぜ、今、権藤成卿なのか」というタイトルですが、その前に少し、世の中の変化について説明をいたします。

 先日、ジェイソン・モーガンさん(麗澤大学准教授)が講演をなさった際、スクリーンにアジア主義者として頭山満の写真を出されました。ジェイソン・モーガン?どこかで目にした記憶があると思っていましたが、私が寄稿しております『維新と興亜』にジェイソン・モーガンさんのインタビュー記事が出ておりました。アメリカ南部の生まれで、日本の歴史に非常に詳しいのがジェイソン・モーガンさんです。なぜ、ジェーソン・モーガンさんが頭山満を知っているのだろうか・・・。不思議に思い、『維新と興亜』の編集長である坪内隆彦氏にメールしてみました。すると、そんな質問をすると、逆にジェイソン・モーガンさんは不思議に思われるのではないですか。彼にとって、頭山満は常識の範疇だからです、との回答でした。ここにおられる皆様はすでに頭山満、玄洋社についてはご存じの事と思います。GHQの洗脳工作により玄洋社、黒龍会などは「右翼」とレッテルを貼られましたが、今日は権藤成卿を通じて玄洋社、黒龍会、特に今後注目しなければならない黒龍会について解説したいと思います。

 まず、権藤成卿(1868~1937)ですが、福岡県久留米市で権藤松門の長男として誕生しました。制度学などを実父の権藤松門に習った思想家です。松門の門下生には松村雄之進、渡辺五郎、武田範之、宮崎来城などがおり、彼らの多くは「明治四年 久留米藩難事件」の関係に連なります。権藤成卿と内田良平とは黒龍会では同志の関係でしたが、後に意見が対立して別れました。権藤成卿の著作には『自治民範』『皇民自治本義』『君民共治論』があります。しかし、この権藤成卿については、従来、『権藤成卿 その人と思想』(滝沢誠著)くらいしか、参考文献はありませんでした。それだけ、忘れ去られた人物だったのです。しかし、2015年に藤原直哉先生の『日本人の財産って何だと思う』が刊行され、続いて2019年に『権藤成卿の君民共治論』(権藤成卿研究会編)が出版となりました。この『権藤成卿の君民共治論』は権藤成卿生誕150年記念誕生祭、講演会を記念してのものですが、当日の講演会での講師を務めましたので、私の講演録も入っております。

日本型コミューン主義の用語と顕彰──権藤成卿の人と思想日本型コミューン主義の用語と顕彰──権藤成卿の人と思想

 そして今年、2025年4月には内田樹氏の『日本型コミューン主義の擁護と顕彰』として権藤成卿の人と思想についての本が出ました。ご存じのように、内田樹氏(神戸女学院大学名誉教授)といえばリベラルな研究者として知られますが、今回、内田樹氏が権藤成卿の新刊を出されたことで、いよいよ、時代が大きな変化にあることを身近に感じることができます。
 内田樹氏がこの権藤成卿の新刊を出される前、私は『維新と興亜』令和7年(2025)4月号に「権藤成卿の思想的源流」という一文を寄稿しました。ちょうど、内田樹氏の新刊でいえば第4章第1節255ページに該当する箇所を述べています。権藤成卿の文章は難解な単語の羅列ですので、解読した読み下し文をと思われる方は私の一文を参照していただければありがたく思います。

 この権藤成卿の一族の系譜と相関図については、昨年の「福岡藤原塾」の翌日に開催された「福岡たまり場 横のつながり 近現代史寺子屋塾」で配布しましたが、再度、スクリーンに出していますので確認をお願いします。その相関図からは現代にも関係がある人々が権藤成卿と繋がりがあったことがわかると思います。当然、玄洋社、黒龍会という団体との結びつきも簡略ですが、わかるようにしています。
 この人物相関図において外せない事件が「明治四年 久留米藩難事件」です。これは権藤成卿だけではなく、武田範之という黒龍会メンバーを理解するには避けて通れない事件です。ですから、権藤成卿を理解するには必ず理解しておかねばならない事件です。また、この拙著『明治四年 久留米藩難事件』から、「福岡たまり場 横のつながり 近現代史寺子屋塾」のメンバーである井上永太郎氏のご先祖も事件と関係があった事が判明しました。これには、大変に驚きましたが、同時に不思議なご縁にありがたく思った次第です。更に、権藤成卿を理解するにあたり拙著『玄洋社とは何者か』も読了していただけましたら、ありがたく思います。

 さて、ここで黒龍会について解説をしたいと思います。黒龍会は明治34年(1901)2月3日に東京神田で創立。当初は59名のメンバーで始まります。シベリア・満洲の開拓を目的とし、万般の実情、実勢を究めるため、調査分析を行う経済シンクタンクでした。ここで重ねて強調しますが、世間一般が言うところの「右翼」ではありません。黒龍会の名前の起源はシベリア、満洲を流れる黒龍江(河)からとったものであり、ロシア語ではアムール河と呼び、アムールとは天使、エンジェルの意味です。GHQ(連合国軍総司令部)に潜入したコミンテルン・スパイであったハーバート・ノーマン(調査分析課長、カナダの外交官)は、意図的に秘密結社を想起させる「ブラック・ドラゴン・ソサエティー」と黒龍会を訳しています。ここに、欧米の策略として、日本やアジアに再認識させてはならない団体が黒龍会だったのです。

権藤成卿の君主共治論権藤成卿の君主共治論

 この黒龍会は1920年(大正9年)には、英文機関誌の『Asian Review』を発行していました。今から100年以上も前に、和文と英文での機関誌を発行する団体だったのです。GHQが言うところの「秘密結社」とは大きく異なります。玄洋社、黒龍会はアジアの植民地解放も進めていましたので、GHQとすれば黒龍会や玄洋社を封印してしまいたかったのです。振り返れば、日本に満洲・シベリアの利権を独占させてなるものかという意図が隠れているのです。

 更に、この黒龍会の英文機関誌『Asian Review』のジェネラル・アドバイザーにはフランスの詩人ポール・リシャールがいます。フランスの文学者が黒龍会に関係していたなど、現代、日本人で知る人はどれほどいるでしょうか。さほど、私たち日本人は大東亜戦争敗戦から80年、真実から目隠しさせられていたのです。このポール・リシャールと親しかった日本人といえば大川周明です。大川周明といえば、先ほどの人物相関図でも分かるように、権藤成卿と関係があることが見えてきます。

 この大川周明、大東亜戦争敗戦後、戦争犯罪人として巣鴨に収監されました。そして、戦争犯罪の法廷ではパジャマに下駄履き、あるときは、被告席に座る東條英機のはげ頭を背後からピシャリと叩いた人物です。精神異常者として精神病院に送られましたが、大川周明をよく知る人々は「巣鴨で一服盛られた」と噂しました。巣鴨での事々は『大川周明』(大塚健洋著)にも述べられています。
 大川周明といえば、ポール・リシャールの『告日本国』を翻訳していますが、収蔵されているのは国会図書館ですので、インターネットのデータで読んでいただければと思います。日本人には世界に対し大きな使命があるとポール・リシャールは訴えています。その内容はGHQにとって、とても都合の悪い内容となっています。先の大戦は日本の「侵略」戦争だと決めつけられていますが、そうとは断言できない事が出てきます。ゆえに、大川周明をGHQは封印してしまいたかったのです。

 先ほどの『Asian Review』には、金子堅太郎も一文を寄稿しています。金子堅太郎といえば福岡県が生んだ著名な大臣であり、日露戦争ではハーバード大学の同窓生であるアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトに日本支持の直談判に赴いた人です。見事、アメリカ世論を日本支持に転換させた立て役者です。その金子堅太郎はアメリカにおける排日移民についての意見を述べています。金子はハーバード大学在学中から、アメリカにおける人種差別などで討論会に臨んだ経験があり、アメリカの建国の歴史にも深い知識を持っていた人です。明治4年、いわゆる岩倉使節団(遣欧使節団)の船に便乗し、アメリカで留学生活を送りました。この岩倉使節団の記録では久米邦武が記録した『米欧回覧実記』に詳しいです。慶應義塾大学出版会が刊行しているものが現代文に翻刻されていますので、関心がある方はこちらをお薦めします。モルモン教の本山があるソルト・レイク・シティーを訪ねた記録もあり、アメリカ開拓の歴史も理解できます。

日本の財産って何だと思う?──権藤成卿と私の日本再生論日本の財産って何だと思う?──権藤成卿と私の日本再生論

 また、『Asian Review』には、玄洋社の頭山満についての寄稿文も出ています。黒龍会同様、玄洋社が秘密結社であるならば、こういった英文の機関誌に紹介されるはずもありません。重ねて申しますが「右翼」というレッテルを貼って、日本人が封印を剥がされないように仕向けたのがGHQです。
 この黒龍会についてですが、今、イギリスのケンブリッジ大学で研究が始まっています。あの世界を支配したイギリスが黒龍会の研究を進めているということの背景に何があるかを考えてください。アメリカのトランプ大統領によって大改革が進んでいますが、次なる開拓、資源開発の地はどこか。それは、かつて黒龍会が開発を進めていた満洲・シベリアです。この地域の地下資源などのデータについては旧満鉄(南満州鉄道)も持っていましたが、黒龍会も独自に農産物の生産高、歴史、伝統、文化についての報告書を残しています。

 ここで、皆様に再認識していただきたいのは、黒龍会は満洲・シベリアの経済開発のシンクタンクであったこと。膨大な地下資源、農産物のデータを持っていたこと。民族、風俗、文化についても造詣が深いこと。日本の歴史、伝統、文化も並行して詳しいこと。ゆえに、地球最後の資源地域である満洲・シベリアを日本に独占させないためにGHQが黒龍会を「悪」の団体にしたてあげたこと。欧米主導の経済開発において黒龍会は邪魔な存在であったことです。

 最後に、皆様に提言したいことがあります。
 戦後の日本は太平洋の彼方のアメリカを向いていれば良かった。しかし、その体制がトランプ大統領の大改革によって変わった。今後は、再び、アジア、満洲・シベリア地域に着目しなければならないこと。それには、先駆者としての黒龍会の存在、実績を知っておくべきと考えます。実際に、ケンブリッジ大学では研究が始まっています。日本は従前の環太平洋経済から環日本海経済に移行するとして関心を向けていただきたいと考えます。日露戦争でのポーツマス講和条約での詳細な内容についても「イェール・ノート」(合意書)がありますので、研究をお願いしたいと思います。
 これにて、私の話を終わりたいと思います。ご静聴、誠にありがとうございました。

コラムニスト
浦辺登
歴史作家・書評家。福岡県筑紫野市生まれ。東福岡高等学校卒業。福岡大学ドイツ語学科在学中から雑誌への投稿を行なうが、卒業後もサラリーマン生活の傍ら投稿を続ける。近年はインターネットサイトの書評投稿に注力しているが、オンライン書店ビーケーワンでは「書評の鉄人」の称号を得る。「九州ラーメン研究会」のメンバーとして首都圏のラーメン文化を研究中。地元福岡で学習会を主宰し、オンラインでも歴史講座を行い、要請があれば各地で講演を行っている。
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