
書名:人ありて
副題:頭山満と玄洋社
著者:井川聡/小林寛
出版:海鳥社(2003/06)
本書は、「あとがき」にもあるように、読売新聞西部本社版社会面に2001年(平成13)1月から翌年の3月にかけ、92回にわたって「人ありて 頭山満と玄洋社」として連載されたものだ。更に、書籍としてまとめる際に加筆・修正が加えられている。新聞媒体に連載されたものだけに、広範囲の読者層を想定して書かれているので読みやすい。
この「人ありて」が新聞連載され始めた頃、筆者は東京で勤務していた。ゆえに、直接、読売新聞西部本社版を手にすることができなかった。ところが、インターネットが普及し始めており、東京でも新聞に連載された「人ありて」を読むことができた。ただ、誰が、何の目的で書いているのか、詳細は不明だった。
筆者は2009年(平成21)8月、第一作目となる『太宰府天満風の定遠館』を上梓した。この一冊を書き上げる際、参考資料としてインターネットで読んだのが「人ありて」だった。今も太宰府天満宮(福岡県太宰府市)に「定遠館」が遺るが、これは玄洋社員であり、衆議院議員、香川県知事を歴任した小野隆助が建てた。ちなみに、この小野は、維新の先駆者・真木和泉守の甥でもある。
本書は福岡市の海鳥社という出版社から2003年(平成15)に刊行された。今であれば簡単にインターネットを通じて本は入手できるが、当時は通販市場も未熟で、刊行されていることすら知らなかった。筆者が所有している『人ありて』は2006年の第2刷だ。入手できた時には、本当に嬉しかった事を覚えている。
そして、後年、連載を担当した井川聡氏、小林寛氏の両名のおかげで、筆者は読売新聞福岡県版に「維新秘話福岡」を連載することができた。それだけに、人的関係も含め、思い入れが深い一書が『人ありて』になる。
『人ありて』は、「源流」「燎原」「東亜」「異彩」「深憂」「敬愛」の項目を立て、それぞれに事件、人物、エピソードなどが紹介されている。どの項目、どの頁から読んでも違和感なく読める。さほど、かみ砕いて、一般の読者にわかりやすくした内容となっている。GHQ(連合国軍総司令部)の調査分析課長であったカナダの外交官、ハーバート・ノーマンが言うところの「超国家主義団体」の片鱗すら見当たらない。いかに、大東亜戦争(太平洋戦争)敗戦後、日本人が洗脳工作に従順であったかがわかる。
本コラムの第05回でも紹介した『玄洋社 封印された実像』(石瀧豊美著、海鳥社)の「はじめに」で、評論家の田原総一朗氏が『人ありて 頭山満と玄洋社』を読んで頭山満に関心を抱いたと吐露した。それだけに、玄洋社を正しく理解する教科書とでも言うべき一書である。
「定遠館」から始まった興味
そもそも頭山満と玄洋社に関する本を読み始めたきっかけは、福岡の太宰府天満宮にある「定遠館」という館がきっかけだった。ぼろぼろに錆び、歪に穴が空いた鉄の門扉が目にとまる。なんだろうと思ったら、清国北洋艦隊の旗艦「定遠」の装甲鉄板だった。誰が、何を目的に、こんなところに日清戦争の遺物を置いたのか・・・。そんな疑問を抱いたのが今に続き、幕末から明治時代に関する本を読み進んだ。疑問を解決する本を求め、また疑問にぶつかっては本を探しだった。そうこうしているうち、玄洋社員がこの「定遠館」に関わっていることが分かった。果たして玄洋社とは何か……。玄洋社という組織の裾野の広さに驚き、とんだところに興味の足を踏み入れたものだと後悔しつつも、「なぜ」という疑問が先にたつ。
読売新聞西部本社に所属する二人の記者が新聞連載の記事に加筆したものが本書になる。頭山満と玄洋社の概略を述べている。とりたてて、珍奇な事実が出てきたわけではない。さりとて粗雑ではない。過去に無理やり封じ込められた玄洋社という団体とその活動内容、看板とでもいうべき頭山満を知るための必須の教科書とでもいうべき内容。
一般に、玄洋社は好戦的な団体と思われる。しかし、その玄洋社の薫陶を受けた中野正剛の葬儀を取り仕切った緒方竹虎の弔辞が泣かせる。
「貴様あ、死んで東條に勝ったぞ」
軍部の横暴、弾圧を加える東條英機に抗して割腹自決した中野正剛はペンと死で東條英機と戦ったのである。泥沼化する中国との戦争を終決させるために蒋介石との和平交渉に出向こうとする頭山満を妨害したのも当時の政府である。大東亜戦争敗北後、GHQに所属した共産主義者の調査報告書から社長の進藤一馬は巣鴨に収監され、ついには解散命令が下った玄洋社だ。「好戦的右翼集団」という誤解のまま現代まで続いているのは残念至極。
本書は大きく6つの章に分けて玄洋社の成り立ちから、現在までを描いている。この中で、いかに玄洋社が新生中国の建設に尽力したかを偲べるエピソードが嬉しい。日中国交樹立後、日中平和友好条約調印のために園田外務大臣(当時)が北京に到着。政府専用機に中国の中日友好協会会長の廖承志が乗り込んできた。外務大臣を素通りして頭山満の孫である頭山興助氏を探しにきた。日本政府の要人よりも、廖承志は恩人頭山満の親族を求めたのだ。
蛇足ながら、頭山満が無政府主義者の大杉栄に資金援助をしたことを無節操と批判する方がいる。しかし、しかし、これは大杉の内縁の妻伊藤野枝が頭山の親族であることを知らないからだ。知れば知るほど、驚きの事実が飛び出す一書である。
令和3年(2021)10月15日