
書名:井上雅二と秀の青春(一八九四 – 一九〇三)
副題:明治時代のアジア主義と女子教育
著者:藤谷浩悦
価格:4,860円(本体4,500円+税)
判型:A5判/上製本/472頁
ISBN 978-4-904213-66-7 C0021
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平成31年(2019)に刊行された本書の巻末人名録を確認する。内田良平、大原義剛、末永節、頭山満、奈良原繁、平岡浩太郎、安永東之助という玄洋社員の名前があり、別に玄洋社、黒龍会という団体名での項目も立てられている。本書のタイトルにある井上雅二が、どれほど玄洋社、黒龍会と深い関係にあったかが窺える。更に、大正6年(1917)7月10日に刊行された『玄洋社社史』の発刊に賛同する方々の記名帳である「玄洋社社史編纂芳名帳(芳名録)No,16」にも、井上雅二(1876~1947)のサインが確認できる。
また、玄洋社の総帥ともいえる頭山満が高く評価した荒尾精(1859~1896)という人がいるが、この荒尾精の評伝『巨人 荒尾精』を著したのも井上雅二だ。荒尾は尾張(愛知県)出身。西郷隆盛の書生から陸軍軍人となり、陸軍参謀本部所属の陸軍大尉だった。大陸政策に従事し、漢口楽善堂を経て上海の日清貿易研究所を創設。この時、軍籍を離れるが、支那領土保全を主張。台湾でペストに罹患し死去したのは惜しまれる。
ちなみに、この荒尾精を頭山満は「五百年に一度は天偉人をこの世に下すという」という言葉で称える。
井上雅二は兵庫県出身で旧姓は足立。井上家を相続するために見込まれて婿養子となった。この井上雅二は東亜同文会幹事、黒龍会評議員、南洋公司常務、衆議院議員、アジア主義者と、その経歴からしてアジアとの関わりが深い人だ。先述の荒尾精の下で中国語、漢籍を学び、台湾総督府に陸軍通訳官として勤めた。東京専門学校(早稲田大学)時代は中国人留学生と親しみ、福本誠(日南)と親交を持ち、陸実(羯南)、池辺吉太郎(三山)らとは盟友といっても良い関係にある。辛亥革命の孫文の革命支援者として記録に名前が残るが、根津一(東亜同文書院院長)、山田良政(孫文の革命支援の山田兄弟の兄)と親交があったことからも、相当の支那(中国)通であったことが窺える。
昭和4年に発行された『海舟全集』の編纂委員にも名前を連ねており、幅広い知識を有していた人だ。それだけに、『井上雅二と秀の青春』という一冊は、アジア主義、玄洋社、黒龍会を研究する方には必須の一書。
末尾ながら、妻は日本女子大学学長、小田原女子学院短大学長を務めた井上秀。娘はアメリカ・イェール大学に留学した哲学者であり、日本女子大学名誉教授の菅支那。井上雅二は中国に対する篤い思いから、娘に「支那」と名付けた。